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臨済宗大本山 円覚寺

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2022.06.24
今日の言葉

いのちの講演

先日は広島県福山市に行って講演をしてきました。

二十日からの大摂心という大事な行事を控えていたのですが、一昨年からの依頼でしたので行ってきたのでした。

主催は、いのちの会福山です。

生命尊重センターというのがあります。

ホームページに書かれている情報によると、

「1982年(昭和57年)再来日されたノーベル平和賞受賞者マザー・テレサの「日本は美しい国だが、中絶が多く、心の貧しい国だ」の呼びかけが契機になり、1984年(昭和59年)5月、小さないのちを守る月刊誌『生命尊重ニュース』を創刊して、生命尊重センターを発足」したものだそうです。

「以来33年間にわたり、”いのちは授かりもの””お腹の赤ちゃんも社会の大切なメンバー”を訴え、啓発活動を全国で展開しています」というのであります。

そして

「啓蒙活動の一つは、胎児の命を守る『生命尊重ニュース』の発行。

また全国40都道府県で「いのちの講演会」を開催しているのであります。

その「いのちの講演会」の福山での会に招かれたのでありました。

いのちの会福山では、第一回の講演会が平成十三年に行われていてその講師が松原哲明先生でありました。

松原哲明先生は、松原泰道先生のご子息であり、東京三田の龍源寺のご住職でもありました。

私も学生時代からとてもお世話になっていました。

いのちの会福山には、松原哲明先生がずいぶんと協力されていたそうなのです。

そんな松原先生のご縁から、この度第二十回の記念講演に講師としてお招きいただいたのでした。

この講演会にしても、もともと二〇二〇年の六月にうかがうように決まっていました。

広島県の福山市には、当時妙心寺派の宗務総長をなされていた栗原正雄和尚が住職されているお寺があるのです。

妙心寺派の宗務総長は、花園学園の理事長もかねていらっしゃいますので、花園大学の総長を務めている私としては、理事長からの依頼ですので断るわけにはまいりませんし、まして松原先生のご縁となればなおのことであります。

しかし、二〇二〇年にはコロナ禍の為に延期となり、更に昨年二〇二一年も開催の予定でしたが、ギリギリになって感染者が増えて延期となってしまったのでした。
それがようやく開催できたのでした。

三百名のホールが満席でありました。

またこの会は

「一口1円でお腹の赤ちゃんとお母さんを救う「円ブリオ基金」を立ち上げ、円ブリオ基金箱とポスターを家庭・学校・お店・病院・行政など町のどこにでも設置し、お腹の赤ちゃんを大切にする社会の空気をつくることをめざしています」というもので、円覚寺にもこの募金箱を置いています。

そのように「いのちの始まりからすべてのいのちが大切にされることを願い、おなかの赤ちゃんとお母さんを温かく迎える町づくりへの啓発活動をすすめている」というのです。

そこで講演のはじめにはいつものように、生まれたことの不思議、今日まで生きてこられたことの不思議、そして今日ここでめぐりあうことのできたご縁の不思議に手を合わせましょうということについて話をしました。

いつもそのようにして合掌しているので、今回はいのちの会ですので一層丁寧に、いのちが生まれたことの不思議から話をしました。

何もなかったところに、父と母との出会いがあって、お互いこのいのちをいただいたのであります。

筑波大学の村上和雄先生は、生前によく「細胞一個偶然に生まれる確率を計算すると、一億円の宝くじを買って一〇〇万回以上連続当選するくらいの確率でないと細胞一個偶然に生まれない」と仰っていましたが、生まれたこと自体が奇跡なのであります。

生まれてきたとしても、そのまま放置されていたらここにお互いはいないのであります。

今日までにはいろんな人のお世話になって生きてこられたのです。

両親や家族、学校の先生や友達、いろんな人のお世話になってきました。

そのおかげで今ここにこうしてめぐりあうことができるのであります。

このことを本当に心から有り難いという思いで受け止めていれば、人間として悪い行いはできませんし、このことを受け止めていれば、判断を誤ることもないのであります。

ちょうど「地球を歩くワーク」を行ったあとでしたので、地球四十六億年の積み重ねがあって、お互いのいのちが生まれていることを話しました。

そのようなことを思うと、まさにここにこうしていることは奇跡なのであります。

そこで『碧巌録』にある百丈禅師の問答を紹介しました。

百丈禅師にある僧が質問しました。

「特に奇(すぐ)れた事とは、どんなことですか」と。

百丈禅師は答えました、「わしがここ大雄峰にこうして坐っておることだ」というのであります。

山田無文老師は『碧巌録提唱』の中で、

「禅宗では何が有り難いのか。
…如何なるか是れ奇特の事と、この僧なかなか油断のならんやつである。
天下の百丈を試験しよる。返事しだいでは許しませんゾ、という勢いだ。」
と解説されて、更に

「そこで百丈が答えるのに、
「独坐大雄峰ー俺が今現に生きてここに坐っておることが一番有り難いわい」

…一番大事なのは、今ここに生きておるということだ。」

と提唱されています。

そのいのちというのは単独では成り立たないものです。

禅語に啐啄同時というのがあります。

ちょうど『生命尊重ニュース六月号』にこの言葉について書かれていました。

「これは卵から雛鳥が生まれる時の状況を言ったものです。

「啐」とは卵の殻の中で雛鳥が内側からつつくことであり、「啄」とは親鳥が殻の外側からつつくことですが、雛鳥が卵からかえる時、つまり雛鳥の誕生にあっては、両者の作業が機を捉えて同時になされる、というわけです」と書かれている通りであります。

この『生命尊重ニュース』の言葉も紹介して、親が子を育てようと思い、子の生きようと願うことによっていのちの営みがあるのであります。

それ故にお互いを思いやることによっていのちは存在し、そして生きるものであります。

相手を思いやる一番端的なことが「微笑み」「笑顔」であります。

身近な人に「笑顔」を向けるのがまず一番であります。

そこで、

明日はどうなるかわからないけれど
今日一日は笑顔でいよう。
つらいことは多いけれど
今日一日は明るい心でいよう。
いやなこともあるけれど
今日一日は優しい言葉をかけていこう。

という私の言葉を伝えました。

この言葉から、その日の講演の演題を

「二度とない人生だから笑顔で生きよう」にしたのでした。

長い人生と思うのではなく、今日一日を笑顔でいようと思って生きることだと伝えたのでした。

 
横田南嶺

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