坐るということ
合気道というと、私のふるさとである和歌山県出身の植芝盛平翁が始められた武道であります。
私のいなかの新宮市にも植芝翁から合気道十段を授与された達人の方がいらっしゃって道場を開いていました。
残念ながら私はその合気道にはご縁がありませんでした。
植芝翁の素晴らしい技をこの頃は動画でも見ることができるようになりましえた。
実に丹田が充実していて、体の中心軸が全くぶれることのない動きなのであります。
合気道家の方と話をしていて、そんな達人の技というのは、そう簡単に伝わるものではないこと、それ故にそれを多くの人たちに伝えるにはどうしたらいいかということなどについて話をしていました。
達人の技は選りすぐりの者と一対一ではじめて伝授されるのだと思います。
しかし、多くの方に広めようとすると、それは難しいものです。
そこで、ある一定の型を作って、その型をみんなで稽古することになります。
型だけを行うのでは達人にはなれないでしょうが、その型を学ぶ事を通して達人の域に到達する人も出てくるというものでしょう。
禅の道も似たようなところがあります。
やはり達人が選りすぐりの者に一対一で伝えたものでありましょう。
それが文字によらず、経典にもよらずに心から心へと伝えたのです。
不立文字教外別伝と言われるところです。
しかし、それでは多くの人には伝わりませんので、型を作ったのだと思います。
手を組み脚を組んで坐るという型を作って、その型を稽古するのが坐禅であります。
または僧堂の暮らしなどというのは、型そのものであります。
一定の型に順って稽古していればある程度のものが身につくのであります。
しかしながら、禅の本質はその型にあるのではありません。
その型を通して何に気がつくかというところが問題なのであります。
先日西園美彌先生にお越しいただいて、足指のトレーニングの講習をしてもらいました。
今回は、足で大地を押すということを三時間かけて、実習しました。
普段足で立っているのですが、足で大地を押すという実感はあまりないものです。
三時間かけてですから、しっかり講習してもらいました。
坐ることも難しいのですが、立つこともまた難しいものです。
立った姿だけで、かなりのことが伝わるものでしょう。
とある禅僧が立っている姿を見て感動して出家したという僧もいらっしゃいます。
足の裏で大地を踏みしめて立つのですから、足の裏の感覚をはっきりさせないといけません。
それには足の指をしっかり使えなければなりません。
足の指を一本一本丁寧に動かしてゆき、拇指球、小指球とかかとの三点でしっかり大地を押す感覚を身につけるのです。
西園先生の丁寧で的確なご説明と、独自のワークで、だんだん行っているうちに、拇指球小指球とかかとがしっかりと意識できるようになってきました。
また足の裏で息を吸い込み足の裏から吐き出すということも実習しました。
これは禅の修行でも、足心で呼吸すると教えられますので通じるところであります。
私も意識して行っています。
しかし、足の指を使ってこの足の裏の呼吸を行うようにするとより一層足の裏で吐き、足の裏で吸うということがはっきりとしました。
すっと立って、しずかに足の裏から息を吐き、足の裏から息を吸っていると、立っているだけで坐禅と同じになると実感することができました。
西園先生は丹田と足の指がつながっているのだと教えてくださいます。
足の指をしっかり使うことで丹田がより一層はっきりとしてくるのです。
中心軸がはっきりして立つことができるようになりました。
以前小欄で、「坐ることは立つこと」という話を書いたことがありました。
そのなかに、「人は足で大地を踏みしめて立ち上がるぞという気力が必要なのであります」と書いています。
そして佐々木奘堂さんの、
「足の付け根で立つことを坐るという」という説を紹介しています。
坐るというのは、足の付け根で立つことだというのであります。
ところがこれがなかなか難しいのです。
「なかなかはじめて聞く修行僧には、かなり難しいことのように思えたようであります。
しかしながら、聞いていると、その心が伝わってくるものであります。」
と以前に書いていますが、伝わりにくいものであります。
しかし、今回西園先生に三時間にわたって、足で大地を押すという実習を続けますと、足で大地を押して立つことを実感することができました。
足で大地を押していると、自然と腰がすっと立つのであります。
丹田が安定して、中心軸が定まって、なにものにも動じないぞという気力も湧いてくるのであります。
私は、「ああ佐々木奘堂さんが私たちに伝えようとしてくれたのはこのことだったのか」と思いました。
あとで修行僧達に聞いても、今まで奘堂さんの講義は難しくてわからなかったけれども、西園さんの講習を受けてようやくこのことを言っているのだと実感できたと言っていました。
また椎名由紀先生がいつも繰り返し「上虚下実」ということを教えてくださいますが、このことも実感できたと言っていました。
椅子に坐っていても、足で大地を押すという感覚を失わないようにしていると、腰が立つのであります。
これは腰を立てようとして意識して行うのとは違ったあり方なのです。
そんな発見をして、控え室で西園先生の椅子にお坐りになった姿勢を拝見していると、必ず足で床をしっかりと押しているとお見受けしたのでした。
内部から自然と腰が立ち上がるという感覚なのであります。
奘堂さんから「足の付け根で立つことが坐ることだ」と言われても、それは私たちに真実を端的に言ってくださっているのですが、なかなか難しいのです。
達人の技はわれら凡人には伝わりにくいものです。
しかしながら、何らかの型を教えてもらって、それを繰り返し繰り返し稽古し実習していると、こういうことかなと感じるものがあるのです。
凡人は凡人なりの努力実践を続けなければと思ったのでした。
横田南嶺