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臨済宗大本山 円覚寺

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2022.06.15
今日の言葉

聞くことの難しさ

聞くことというのは難しいものです。

お亡くなりになった先代の管長は、つねづね寺の住職というのは、あまり多くを語ってはいけない、しゃべることよりも人の話を聞くことが大事だと仰っていました。

こちらが語る言葉は三つでよいと仰せになっていたのでした。

それで三語族でいいというのでした。

それは、いったいどんな言葉かというと、まずとにかく、人が見えたら部屋に通してお茶でも出して、こちらが坐禅の要領で肩の力を向いてゆったりと丹田に気力を充たしてどっしりと落ち着いて坐って、楽にして、向こうの言うことをとにかく聞きなさいというのです。

そして話しかけられたら、こちらはら只ひたすら、「ああそう」、「ああそう」と聞き役に徹しなさいということです。

そしてその話がたとえば孫が学校に入ったとか、娘が嫁に行ったとか、うれしい話ならば、全部話し終わったときに、「よかったね」と言って喜んであげなさい。

逆に身内が病気になったなど、つらい話、苦しい事ならば、話し終わった後に、こちらも一緒に困った気持ちになって「困ったね」と言ってあげなさいというのです。

それだけでよいというのです。

この「ああそう」と「こまったね」と「よかったね」の三つの言葉で済むというのが先代の管長の教えでありました。

これは簡単のようで難しいものです。

まだ「傾聴」などということがあまりいわれていない頃でした。

先日川野泰周さんにマインドフルネス講座の二回目を行ってもらいました。

今回は、マインドフルネスリスニングという実習を行いました。

何年か前にも行ったことがあって覚えていますが、久しぶりに行ってもらったのでした。

これはとても大切なことだと感じています。

どういう実習かというと、まず三人一組になり、そのうち二人で一方が話し手、一方が聞き手役になります。

もう一人の者には、観察してもらいます。

話し手がまず九十秒、何か与えられたテーマについて話をします。

それを聞き手が聞いて、今話したことを十五秒にまとめて、相手の方に返します。

この要約することを「サマライズ」というのです。

そして三人目の人が、二人の様子をよく聞いて、きちんと話し手のいおうとしていたことを、よくサマライズできていたかと判断するというものです。

学生の頃夢中になっていたこと、これから将來の目標など、あるテーマについて語るのです。

九十秒で語ることは、まだそれほど難しくないのですが、それを十五秒に要約するのは難しいものです。

私も皆と一緒に交じって行っていましたが、私は相手が九十秒しゃべる間に、大事な単語をメモしながら聞いていました。

その書き取った単語をもとに、十五秒に要約することができました。

そのように相手の話を聞いて、それをうまく要約して返すことができると、相手は理解してもらえたと思うのです。

川野さんは「最高の傾聴とは注意という贈り物を話し手に与えることである」と仰っていました。

理解してもらえたと実感できることが大事だというのです。

そしてこのように要約しようと思って聞いていると、相手の感情と同一化しないというのです。

相手の感情のままに聞いてしまうと、一層感情的にさせてしまうことにもなりかねないというのです。

終わったあとの修行僧の感想を聞いても、このマインドフルネスリスニングが難しかったと言っていました。

相手の話を要約しようと思って聞くと、まず真剣に聞きます。

かとって感情的になってしまうと正しく理解し要約することができなくなりますので、冷静に聞くことができます。

そして相手にも納得してもらえるのですから、とても素晴らしい方法であります。

観音さまというのは、この人の声を聞く、相手の話を聞く菩薩さまなのです。

釈宗演老師の『観音経講話』には、

「今、人あって、南無大慈大悲観世音と一心不乱に唱えると、観音はどこにでもおいでになるから、その声に応じて、響きの声に応ずるがごとく、または人の門に立って扉を叩けば、うちから直ちに答えをするがごとく、即座に身を現わして、人々を済度なされるのである。

ちょうど幼い小供が走ってきて、お母さんというと、親は無意識的に後ろを振り向き、直に手を出して伴れて行くようなありさまで、今、観音の大慈大悲の本願として、世間の衆生を救済しようというところから見ると、どこから現われるということもなく、世間の音声すなわち、観音の御名を唱えるものがあれば、直ちに身を現わして済度なされようというのである。」

と説かれている通りであります。

日本では、「悲母観音」「慈母観音」といって、赤ん坊を抱いている観音さまがよく画かれます。

観音さまの心とは、この母親のような心なのだと示しているのです。

母親は偉大です。

赤ん坊が泣いていると、その泣き声だけ聞けば、何を望んでいるのか分かります。

お腹が減ったのか、眠たいのかすぐに分かります。

その時の母親の心というのは、観音さまそのものなのです。

どんな悩み事の相談であっても、その人の身になって聞いてあげることができたならば、その人の心は観音さまなのです。

簡単なようで、人の話を聞くことは難しいものです。

つい余計な口を挟んでしまいがちです。それよりも親身になって聞いてあげるのです。

浅草の観音さまに、大勢の人がおまいりするのは、観音さまに何もかも聞いてもらう為でしょう。

観音さまは、どんな話であろうと、どんな悩みであろうと、ただ聞いてくださっています。

それだから、大勢の方が観音さまにお参りするのでしょう。

浅草の観音さまのご本堂には「施無畏」と書かれた額が掲げられています。畏れ無きを施すのです。

分かりやすく申しますと、「安心しなさい、大丈夫だよ」ということです。

親身になって聞いてあげて、大丈夫だよという気持ちを伝えられたら素晴らしいことです。

それだけに難しいのであります。

 
横田南嶺

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