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臨済宗大本山 円覚寺

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2022.05.29
今日の言葉

元気で長生き

唐の詩人、崔 敏童にこんな詩があります。

一年始めて一年の春有り
百歳曽て百歳の人無し
能く花前に向かって幾回か酔わん
十千酒を沽うて貧を辞することなかれ

という漢詩であります。

意訳すると、一年が経つと、一年に一回は春が訪れる。

人の寿命は百歳と言われているが、百歳まで生きる人はいない。

花に向かって酒を飲んで酔うことなど、一生の中で何回出来ることだろうか。

大金を使って酒を買って、それで貧しくなってお金がないなど言わないように。

というところです。

確かに長い間生きているように思っても、何回桜の花を見ることができるか、考えるとそれほど多くはないと気がつかされます。

また『菜根譚』には、

「天地は万古有るも、此の身は再び得られず。
人生ただ百年、この日最も過し易し。」

とあります。

天地は遠い昔からある悠久なのものであるが、この身を再び得ることはない。

人生はせいぜい百年で、月日はどんどん過ぎてゆくという意味です。

古くは『荘子』に、

「人、上寿は百歳、中寿は八十、下寿は六十なり。

病痩・死喪・憂患を除けば、其の中口を開きて笑う者、一月の中、四五日に過ぎざるのみ。」

という言葉があります。

「寿命の方はどんなに長生きしても、上の長寿で百歳、中の長寿は八十歳、下の長寿なら六十歳にすぎぬ。

しかも病気で苦しんだり、親兄弟の喪に服したり、心配事に悩まされたりする時間を除くと、そんな短い人生の中、口を開けて笑って過ごせるのは一月の内たった四、五日しかない。」

という意味であります。

現代語訳は、講談社学術文庫『荘子 全訳註』を参照しました。

「人生七十、古来稀なり」とはよく聞かれる言葉ですが、七十歳まで生きることは稀だったのでありました。

まして況んや百歳まで生きることはまず無いと思われていたのでありました。

お坊さんは長命が多いと言われています。

たしかに、有名なお坊さんで、親鸞聖人は九十歳、法然上人は八十歳、蓮如上人は八十五歳、白隠禅師は八十四歳、と当時としては、長命であります。

それでもやはり百歳まで生きた方は少ないのであります。

私が接した中でも百歳を超えたお坊さんというのは松原泰道先生と、方広寺の大井裁断老師くらいであります。

なかなか百歳まで生きるというのはたいへんなことだと思われます。

先日百歳の方がお越しくださり、お目にかかることができました。

大正十年、一九二一年のお生まれの方でした。

なんと関東大震災を経験しておられるのであります。

円覚寺の塔頭のお檀家さんであり、月刊誌『致知』にも最近掲載された方であります。

健康法を教えていただきました。

毎朝、棍棒で足の裏を片方ずつ200回叩くのだそうです。

それからベッドに腰かけて乾布摩擦をするそうです。

頭から足先までもう一所懸命にやるんだそうです。

また夜は、ベッドに入って「ありがとう、ありがとう」と唱えながら全身を手でさすって眠るというのでした。

そのおかげだと仰っていましたが、百歳のご生涯風邪ひとつひかずに来られたそうなのです。

先方からは、「管長にお目にかかれて」と喜んでくださいましたが、こちらの方こそ、百歳の方にお目にかかれて幸いでありました。

今や人生百年時代という言葉をよく耳にするようになりました。

百歳曽て百歳の人無しと言われていましたが、そうではなくなったのでした。

有り難いことであります。

医学の進歩や食生活や環境がよくなったからなのでありましょう。

しかし健康寿命という言葉もあります。

健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間のことです。

百歳まで元気でいるということになるとこれは容易ではないように思います。

趙州和尚というお方は、唐の時代に百二十歳まで長生きされた禅僧であります。

六十歳から諸方の禅僧方を訪ねて行脚したのでした。

臨済禅師も訪ねていますが、その頃は七十代であったろうと察せられます。

自分よりも二十歳ほど若い臨済禅師と問答しているのであります。

やはり飽くなき向上心、探究心というのは、元気で長生きの秘訣のひとつかもしれません。

趙州の観音院に住されたのは、すでに八十歳で、それから四十年も教化活動されたのでした。

ただ、趙州和尚が六十代で行脚していた頃、会昌の法難という仏教大弾圧があったということもあってか、仏教は大きな打撃を受けていたのでした。

「がまんがならぬは東の村の黒黄老だ。
お布施などついぞ持って来たこともないくせに、ろばを放ってわが堂前の草を食ませおる。」

「村人は、わしに尊敬の念など一かけらも起したことはない。
先刻思いがけず門前に現われたと思うたら、茶を貸してくれ、ついでに紙も貸せというばかりだ。」
(筑摩書房『趙州録』より)
と十二時の歌で詠っているほどであります。

こういう言葉など、一読すると単なる愚癡をこぼしているだけのようにも思えますが、こういうことを詩に詠いながらも、どこか達観して楽しんでいるように思います。

趙州和尚のような方は、どんな状況にあっても遊戯三昧のご生涯を送られたのでした。

食事、睡眠、体操、運動、向上心、探究心、いろいろ大事にしながら、元気で長生きを目指したいものであります。

遊戯三昧という、楽しむように遊ぶようになれたら一番であります。

 
横田南嶺

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