一呼吸これ三千世界
はじめに体の不思議についてお話くださいました。
お互いの体の臓器について、それぞれひとつずつ名前を挙げてくださいと問われました。
二十数名で一つずつ思い当たる臓器を答えました。
五臓六腑くらいはすぐに思い当たりますが、数えてみるとずいぶんとあるものです。
五臓は、心・肝・脾・肺・腎の五つの内臓です。
六腑は、漢方でいう六種の内臓、すなわち大腸・小腸・胆・胃・三焦・膀胱の総称だそうです。
しかし、残念ながらそれらを意識することはほとんどありません。
椎名先生は、喉の絵を描いて、気道と食道について聞かれました。
気道は、鼻から肺へ空気が通る道であり、食道は、口から食べたものが胃に入ってゆく道であります。
この二つの位置関係が難しいのです。
修行僧に絵を描いてみせて、どちらが食道か質問されましたが、正しく答えることはできませんでした。
気道が喉の前の方にある広い道であり、食道はその奥にある細い道なのであります。
そして食べたものが気道に入らないようにはたらいているのが、喉頭蓋というものです。
喉頭蓋というのは、呼吸をしているときには開いていて、物を飲みこむときにはかたく閉じて食物が気管へ入いらないようにはたらいてくれているのです。
喉頭蓋など、まったく意識しないものですが、飲み込む時にきちんとはたらいてくれているおかげで、誤嚥にならずにすんでいるのです。
そんな話を聞いていて、東井義雄先生のことを思い出しました。
東井先生の『拝まない者も拝まれている』という本にある話です。
東井先生がまだ小学校の先生をしていらっしゃった時です。
毎日新聞配達をしながら、学校に通っている生徒がいました。
その生徒が「先生、ああと口をあけると、のどの奥にペロンとさがったへんなものが見えてきますが、あれ、どういう仕事をしているのですか」と先生にきいてきたという話です。
東井先生は「今日家に帰って調べてみるから、明日まで答えを待ってくれんかい」といって、その晩、お調べになったそうです。
あれは口蓋垂というもので、気道と食道のわかれ道で、食物が道をまちがえて気管に入り込むと窒息してしまうので、そういうことにならないように、食物をのみ込むときには口蓋垂が気管の入口をふさいでくれるというようなことがわかってきたというのです。
そんなことを調べて東井先生は、
「ほんとに、ほんとにびっくりしました。
それを知らないくらいですからお礼をいったことは一度もありません。
それどころか、すまんと思ったことさえもないのです。
そんな私を、生かしずめに生かしていてくれたものがあるのです。
気がついてみると、それがとまれば死ぬ以外ないいのちにかかわる呼吸さえも、私の意志でしていたのではなかったのです。
心臓がとまれば死ななければならぬという心臓だって、礼もいわず、うれしそうな顔もしない私のために、夜も昼も、一瞬の休息もとらずにはたらき続けていてくれたのです。
何もかも、生かしずめに生かされ続けてきた私だったのです。」
ということに目覚められたのでありました。
そして東井先生は、
「どこかのお寺の幼稚園の五歳の男の子のつぶやきを記録してくださっているのを思い出します。
ぼくの舌 動け
というたときはもう動いた後や
ぼくより先に
ぼくの舌動かすのは
何や?
というのです。五歳でこんな驚きを驚く子があるのに、私は、二十五歳になって、教え子のおかげで、このことに気付かせていただいたのです。
私のような奴が、おがまれ、願われ、祈られ、ゆるされ、生かされていたのです。どうにもこうにも、頭の上がらぬ思いでした。」
と仰っているのであります。
椎尾弁匡僧正は、
「天地人生においては一物といえども、一つの出来ごとといえども、単独に独自の力で出来ておるものはありませんでした。
只今の私の一息一息は、縦には無始の始めから永遠の将来に向かうその一点においてありますし、空間的には無数の尊い縁のお育てを受けて始めて生まれ出ているのです。
この私は一瞬一刻、大きな縁のお育ての上に生かされて生きておるのでした。」
と仰せになっています。
また宮崎童安さんは、
「この息は神仏そのもののいのちである。
この息によってこの身は神仏とひとつに結びついている。
なにもかも息ひとつぞとなりにけり この身このまま極楽浄土」
と述べておられます。
食べたものを飲み込むということ、息をしているということ、心臓が動いているということ、みなすべて天地の大いなるはたらきなのであります。
天地総力をあげてのはたらきです。
坂村真民先生の詩に、
一呼吸これ三千世界
一呼吸
これ
三千世界
言葉はわかっているんだが
こういう心境にはなかなかなれないものだ
鳥が飛んでいるのを見よ
魚が泳いでいるのを見よ
彼等はちゃんとこの呼吸を
生まれながらにのみ込んでいる
まったくえらい奴らだ
(『花ひらく 心ひらく 道ひらく』講談社α新書)
というのがあります。
この一呼吸が実にすばらしい神仏のいのちそのもの、天地一切が総力をあげてはたらいてくれているものなのであります。
そんなことを感じて、椎名先生のご指導のもとに修行僧達と呼吸をさせてもらいました。
有り難いことであります。
横田南嶺