他力本願とは
昨年依頼されていたのですが、昨年はリモートでの講演となってしまい、今回ようやく初めてうかがうことができました。
話をするのは銀座なのですが、まずそのまえに築地本願寺におまいりしなければと思って、築地に参りました。
築地本願寺も初めてお参りさせてもらいました。
築地本願寺は、京都の西本願寺を本山とする浄土真宗本願寺派の寺院であります。
西本願寺の直轄寺院という位置づけで、1617年に建立されています。
1923年関東大震災で焼失してしまったために、建築史家伊東忠太博士の設計により古代インド様式の外観で1934年現本堂が落成しています。
これは重要文化財になっています。
当時の大谷光瑞門主が「これからは教会のような誰もが入れて、椅子に座ってやれるお寺が必要だ」という考えだったそうです。
御門主以外には反対の者も多かったと聞いています。
大きな本堂には圧倒されました。
念仏の力の大きさを感じたものであります。
訪ねたのは日曜日だったので、大勢の方がお参りになっていました。
この築地本願寺の宗務長を務めておられるのが、安永雄玄さんであります。
安永さんは、銀行員をなさっていて、更に経営コンサルタントのお仕事もなさっていた方であります。
そんな異色の経歴をもつ方が、七年前に築地本願寺の宗務長代表役員に就任されたのでした。
とても革新的なお考えで、いろいろと新しい試みをなされているとうかがっていました。
今回も有り難いことに、そんな安永さんにお目にかかることもできました。
私のように僧侶一筋の人間とは、まったく異なるのですが、共通している考えも多くあって、控え室で楽しく話をさせてもらいました。
築地本願寺の中には、カフェがあって、これがお昼時ということもあってたいへん賑わっていました。
お土産物のショップも充実していて、それからブックセンターもあり、たくさんの書籍も販売されていました。
しかし、カフェに隣接しているブックセンターはどうしても人出は少なく、近々閉鎖されることになったそうなのです。
安永さんにうかがうと、ブックセンターは採算がとれないとのことでした。
やはり本はなかなか売れないのであります。
寂しい気もしますが、これが世の流れであります。
納骨堂の他に、近年新しくできた合同墓にもお参りさせてもらいました。
この合同墓は、家単位のお墓ではなく、個人単位でのお墓なのであります。
今の時代の要望によく答えていると感じました。
ご本尊さまにおまいりし、一通り見学させていただいてから銀座に向かいました。
築地本願寺 GINZA SALONというのは、今から数年前に開かれたものです。
銀座の中にあるビルの一角で、いろんな講座、催しものがなされています。
今回私のような者がうかがったように、こちらでは宗派にこだわらずに、講座が開かれているようで、すばらしいことだ思いました。
お参りに来ていただいた方に喜んでもらえるということは一番大事なことだと思っています。
お寺では、サービスという言葉に抵抗があるのですが、私はサービスは大事だと常々思っています。
控え室で、そんな思いを安永さんに申し上げると、安永さんも同意してくださり、安永さんは、お寺は高度なサービス業だと仰せになっていました。
私が、「お寺の世界で、「サービス業だ」と言うと、反発を生んでしまうものです」と申し上げると、安永さんは「サービスという言葉の語源は何かというと、キリスト教におけるミサや法要のことを「サービス」と言うんです」と教えてくださいました。
築地本願寺では、多くの方の要望にこたえるように大勢の職員の方々がけなげにサービスをされているお姿は尊いものであり、私などは学ぶべきだと思ったのでした。
銀座サロンでの講演は九十分、「変わらないもの」と題して話をしました。
コロナ対策をして、定員の半分にしての開催でありました。
世の中が移り変るなかで、変わることのないものは何かを話しました。
結局すべてはうつりかわるのであって、変わらないものはなく、変わるものだという真理のみが変わらないのであります。
更に仏教の教義も年月を経るうちに大きく変わってゆきました。
初期の仏教から大乗仏教の流れ、それから念仏や禅の教えにどのように発展していったのかを話して、そこに共通する変わらない教えは何かをお話してきました。
本願寺という名前のもとになっているのが、「本願」ということです。
よく他力本願という言葉で使われます。
他力本願を『広辞苑』で調べると、
①阿弥陀仏の本願。
②俗に、もっぱら他人の力をあてにすること。
と書かれています。
一般には二番の意味で使われることが多いのです。
岩波の『仏教辞典』で
「他力と本願は同義で、阿弥陀仏(あみだぶつ)が衆生を救済するはたらきのことであり、そのはたらきは阿弥陀仏の誓われた四十八願にもとづくものである。特に第十八願を指す場合もある。」とあります。
では、十八願というのはどういうものかというと、
「阿弥陀仏が因位の法蔵菩薩として修行していたとき、それに先だって建立した<四十八願>のうちの第十八番目の願のこと。
無量寿経巻上によると第十八願の全文は、
「設我得仏、十方衆生、至心信楽、欲生我国、乃至十念、若不生者、不取正覚。唯除五逆誹謗正法」
(たとひ我れ仏を得たらんに、十方の衆生、至心(ししん)に信楽(しんぎょう)して我が国に生ぜんと欲し、乃至十念(ないしじゅうねん)せんに、もし生ぜずんば正覚を取らじ。ただ五逆と誹謗正法とを除く)である。」
ということであります。
築地本願寺のブックセンターで求めた『浄土真宗のみ教え』という本には、
「阿弥陀如来は四十八の願いを発して仏となられた。
その願いの根本である第十八の願は、
「われにまかせよ、わが名を称えよ、浄土に生まれさせて仏にならしめん」という願いである。
如来は、私たちを救わんとしてつねに寄り添い、南無阿弥陀仏のよび声となって、われにまかせよとはたらき続けておられる。
このはたらきを他力といい、本願力というのである。
阿弥陀如来の本願のはたらきにおまかせして、念仏を申しつつ、如来の慈悲につつまれて、浄土への道を歩ませていただくのである。」
と書かれていました。
本願を信じそのはたらきにまかせて、多くの方の為にはたらいてサービスされている本願寺の皆様のお姿は尊く、頭のさがる思いでありました。
他力本願の教えも尊いのであります。
横田南嶺