三年ぶり
今年は、お祭りなどでも三年ぶりに開催というところが多いようであります。
連休中には、博多どんたく祭りが三年ぶりに開催されたと報道されていました。
祇園祭も、今年は山鉾巡行が三年ぶりに催されるとのことであります。
そのほかにも青森ねぶた祭りも今年の夏には、三年ぶりの開催を目指して準備しているとか。
土佐のよさこい祭りも、この夏に三年ぶりの開催へと方針を決めたということです。
先日三年ぶりに都内のお寺で法話を行ってきました。
三年ぶりというのは、やはり実に感慨深いものであります。
お寺の法話でありましたので、いつものように、皆さんと手を合わせて、生まれたことの不思議に手を合わせ、今日まで生きてこられたことの不思議に手を合わせ、そして最後に今日ここでお互いにめぐりあうことができたご縁の不思議に手を合わせましょうと言って始めました。
これも三年ぶりとなると、今日ここでめぐりあうことができたという事には、より一層感慨深いものがありました。
毎年法話に赴いているお寺なので、三年前にはどんな話をしたのか調べてみると、法話のはじめには、
カリスマの終わりを告げる鐘ゴーン
という川柳を紹介していましたので、もう今となっては懐かしいことであります。
令和元年の五月というと、一日に新しい天皇陛下のご即位の儀式が厳かに行われて、令和という新しい元号になって、これからの未来に期待をしていたのでした。
円覚寺においても四月に、大用国師という円覚寺中興の祖師の二百年大遠諱を務めて、大授戒会を開催して、千数百名の方々に授戒をして、更に三井記念美術館で円覚寺展を催したのでした。
今から思えば、実に活気づいていた頃だったのでした。
それから一年も経たぬうちに、新型コロナウイルス感染症の蔓延に振り回されるようになったのでした。
カルロス・ゴーン氏の話から、「天知る、地知る、我知る、子知る」「天網恢々疎にして漏らさず」という言葉を紹介していました。
「天知る、地知る、我知る、子知る」とは、誰も知る者がおらず、二人だけの秘密にしようと思っても、天地の神々も知り、自分も相手も知っているのだから、不正は必ず露見するものだということであります。
これは、後漢の学者・楊震に推されて役人になった王密が、金十斤の賄賂を贈ろうとしたとき、「夜なので誰にも気づかれません」と言ったところ、楊震が「天知る、地知る、我知る、子知る。何をか知る無しと謂わんや」と答えたという故事に基づいています。
そこで今の時代には、戒に基づいた暮らしをするのが一番だという話につなげて、五戒を説いていたのでありました。
五戒とは、
第一不殺生 命あるものをむやみに殺さない
第二不偸盗 人のものを盗み取ることをしない
第三不淫欲 道に逆らった愛欲を犯さない
第四不妄語 嘘偽りを口にしない
第五不飲酒 酒に溺れて生業(なりわい)を怠ることをしない
の五つであります。
今年はやはりコロナの話題から始めました。
我が孫はマスクない世をまだ知らず
マスクした顔しか知らぬ知人増え
などの川柳を紹介して法話を始めました。
三年ぶりで、お互いにお変わりありませんかと申し上げたいところですが、三年ぶりともなると、変わらないということはないのだと話をしました。
まず私などは、大いに暇になったのでした。
こういう仏事法要でも、まず第一に省略されるのが、法話でありました。
法話は不要不急だと思い知らされたのでした。
世の中の変化はめまぐるしいものでありました。
円覚寺においても、コロナ禍のはじめ頃に前管長がお亡くなりになりました。
本来であれば大きなお葬儀になるところを、内々で済まさざるを得なくなりました。
それがようやくこの三月に三回忌の法要をお勤めすることができました。
やはり、こういう儀式を務めることには、心にけじめがつくという意味があります。
コロナ禍の前から、葬儀の簡略化が問題となっていました。
いろんな事情があるのはやむを得ないと思いますが、やはりお亡くなりになった方に対しては、残された者はできる限りのことをして差し上げたいと思うのが人情であります。
コロナ禍で、簡略化は一層進んでしまったようですが、もう一度何が大切なのか、すべて簡単にしてしまってそれでいいのか、もっと大事なものを見落としていないかと考えるべきでありましょう。
すべては移ろいゆくとは、無常という真理であります。
ただこの二年ほどあまりにもその変化が大きかったのであります。
無常と共に大事な真理は、無我と言います。
無我というのは、われ一人あらずということです。
一人では生きられないということなのです。
多くの方や、大自然や様々なものの関わり合いによってこそ、生きていられるのであります。
そうであれば、生きることは、まわりへの思いやりの心を持つことだと話をしました。
最後に五月七日の毎日新聞余録にあった東大阪市の米野嘉朗さんの詩を紹介しました。
米野さんというのは、1993年に生まれ、四歳で原発性免疫不全症と診断された後、次々と難病に襲われたそうです。
学校にもあまり通えなかったのでした。
さい帯血移植手術のため九歳で東京の病院に移り、しばらくして詩を書き始めました。
入院生活が二年を過ぎた頃、疲れた母親がベッド脇でうとうとしていると、「後で読んで」と言ってパソコンに詩を書いたそうです。
その詩が毎日新聞の余録に掲載されていました。
「いま、おいらにつばさがあれば
病気を治して
ママをいろんなところへつれていってあげたい。
いつも看病してくれているママ。(中略)
もうちょっと待っててね。病気を治したら、絶対にしあわせにするから。それまで待っててね。」
というのであります。
残念ながら約一カ月後、息を引き取ったというのであります。
辛い闘病生活を送りながらも、母を思いやる心に感動しました。
人は苦労して、思いやりのある人間になる場合と、意地悪になってしまう場合があります。
コロナ禍というお互い思うにまかせない苦労がございますが、意地悪になるのではなく、相手を、まわりを思いやることのできる人間になりたいものですというような話をしたのでした。
折から天気も良くて、爽やかで三年ぶりに法話を終えて有り難い思いで鎌倉に戻ったのでした。
横田南嶺