幸せは支え合うこと
それを見ますと幸せとは何か、人それぞれの幸福感が伺えて興味深いものがございます。
幸せはこんなものかな子の笑顔、普通の子、二度寝入り、朝寝坊、孫の顔、五円引き、黄身二つ
などなど、どれもなるほどと思わせるものであります。
ほかにも
女房留守などというのもございました。
愚痴いえる、寝息きく、夫婦風呂などもございます。
人間は食べることでの幸福感も強いもので、
幸せはこんなものかな鍋囲むというのもありました。
コロナ禍で、こんな鍋囲むなどというのも難しくなりました。
いつも変わらぬ「握り飯」のおいしさ、台所での「つまみ食い」などもひとときの幸せを感じるものでありましょう。
ある小学生が「幸せはこんなものなか晴れた空」と詠った句なども心に響きます。
これも古い話ですが、カールブッセは「山のあなたの空遠く「幸」住むと人のいふ。噫(ああ)、われひとと尋(と)めゆきて、涙さしぐみ、かへりきぬ。山のあなたになほ遠く「幸」住むと人のいふ。」と詠いましたが、これらの川柳を見ると、案外幸せを遠い所に求めるのではなくて、 身近なところに感じているようです。
たしかに宝くじに当たったからといって、それで必ずしも幸せになるとは限らないものであります。
小林一茶の句に「幸いにやきもちくるむ一葉かな」というのもございます。
熱い焼きたてのやきもちを一枚の葉っぱでくるんでいただく、熱い熱いやきもちを食べるのに一枚の葉っぱがあれば、それこそ幸いを感じる事でしょう。
「幸せはなるんでじゃなくて気づくもの」という川柳もございました。
そういう中で、この幸せ川柳の企画をした選者は、たくさんの応募の中から、幸せ大賞に選んだのは、
「幸せはこんなものかな半分こ」という句でした。
選者の方はこのような批評を書いていました。
「家が田舎で本や雑貨を売っていた頃、兄と僕はよく店番をさせられていた。駄賃は店の商品のアンパン一個という日が多かったが、どちらが店番になっても二つにわけあって食べた。一人で口にするアンパンよりもずっとおいしかったことを覚えている。」
そういうものだろうと、私も懐かしく思いました。
私も兄弟が多くて、四人兄弟でした。兄が一人いて、あと弟が二人います。小さい頃は、バナナも貴重な食べ物で、一本食べられることはなくて、兄と二人で半分こでした。子供心にいつになったらバナナを一本食べられるのかと思ったものでした。
更にその川柳の選者は、
「うれしいこと、楽しいことも一人より二人、二人より三人とみんなと一緒の方が大きくなります。
それと同じで二人で半分こすると『おいしいなあ』『おいしいなあ』と言い合って食べるから、おいしさが倍になる」と書かれていました。
ごちそうを独り占めして食べるとおいしそうに思うかも知れませんが、なにか寂しいものです。
どんな味わいでも分け合うことによって、一層おいしく感じるものでしょう。
まさに「幸せはこんなものかな半分こ」とはよく詠ったものだと思いました。
こんな川柳を思い出したのは、『修身教授録』を読んでいて次の言葉に出会ったからであります。
「そこで人間は、この世の中を愉快に過ごそうと思ったら、なるべく人に喜ばれるように、さらには人を喜ばすように努力することです。
つまり自分の欲を多少切り縮めて、少しでも人のためになるように努力するということです。
一つの林檎を弟と半分分けにして、二人が半分ずつ食べるのもむろんよいことでしょうが、時には「今日はお前みんなおあがり。近頃お利口になったごほうびさ」とでも言ってみたら、どんなものでしょう。
半分ずつ分けて食べたら、それはただの林檎の味ーところが弟にみんなやって、弟がにこにこしながら食べるのを見て喜ぶのは、まさに天国の林檎の味と言うべきでしょう。人生の妙味津々たるを知るには、まずこの関所を突破してからのことです。」
というのであります。
半分こずつもじゅうぶん幸せなのですが、時には自分は食べなくても、どうぞといって差し上げて、相手が喜ぶのを見て喜ぶというのは、更に素晴らしいものです。
延命十句観音和讃に、
われを忘れて ひとのため
まごころこめて つくすこそ
つねに変わらぬ たのしみぞ
まことのおのれに 目覚めては
清きいのちを 生きるなり
という一節があります。
人は決して一人では生きられません。
自分は天涯孤独だとうそぶいてみても、生まれてから誰の世話にもなっていない人はいません。
生まれたとき、自分で産湯を使って、その日から自分で食べ物を用意して生きてきたということはあり得ません。
時には親が、自分は食べなくても、子に食べさせてくれたこともあったからこそ今のいのちがあるのでしょう。
人間は、成長するにつれて、自分ひとりで大きくなったように勘違いをしがちですが、けっしてそうではありません。
一人では生きられない、よわいものです。
お互いに支え合って生きてゆくものです。
「幸せ」は、おたがい支え合うことによって感じるものでもあります。
横田南嶺