二種の苦労人
森先生の高弟であった寺田一清先生にお越しいただいて、ご指導いただき、その方法で行っています。
まずはじめに「立腰」といって、腰を立てて正坐瞑目のひとときを持ちます。
そのあと、本文を一段落ずつ声に出して、読んでゆきます。
一人が一段落を読むと、また次の人が次の段落を読むのであります。
そうして、一章を読み終えると、各自が順番に一人ずつ、この章のなかで、どこに対してどんな感銘を受けたのかを発表します。
最後に私が総評をして終わるのであります。
先日は、『修身教授録』の中の「二種の苦労人」という章を選んで読書会を致しました。
二種の苦労人というのはどういうことかというと、森先生はお互いこの世に生きるからには、苦労するということを避けられませんと説いています。
また苦労しないと人間の本当の値打ちも出てこないものです。
しかしながら、森先生は、そこでこう述べておられます。
『修身教授録』から引用させてもらいます。
「しかし、ここで気をつけなければならぬことは、なるほど苦労というものは、その人から甘さをとって、一応しっかりさせることとは言えましょう。
つまり、その人からお目出たさを除くことは確かですが、しかし同時に、お目出たくないと言っても、そこには二種の違ったタイプの苦労人が出来上がるようです。」
というのです。
「つまりお目出たさがなくなって、甘さが消えたという点では同じですが、しかし苦労したために、人の苦しみに対してもよく察しができて、同情心を持つようになる場合と、反対に苦労したために、かえって人間がえぐくなる場合とがあるようです。
つまり苦労したために、表面的なお目出たさや甘さがなくなると共に、そこに、何とも言えない柔かな思いやりのある人柄になる人と、反対に苦労したことによって人間がえぐくなって、他人に対する思いやりが、さっぱりなくなる人とがあるようです。
つまり私が見るに、同じく苦労しながらも、このように人間が、二種のタイプに分かれると思うのです。」
というのであります。
これを森先生は具体的に、
「たとえて申せば、諸君らとしては、かつて一、二年生の頃に、三、四年生の人たちから、色々と小言を言われたり、悲しい思いをさせられたりして、それが非常に辛かったことでしょう。
ところが今や自分たちがその位置に就いてみると、かつての日、自分たちがされたようなことは、今の一、二年生に対してはしないようにしてやろう。
つまり自分たちと同じようなつらい思いを、再びさせるには忍びない。もしまたそれが、この学校における伝統的な弊風であるなら、自分らのクラスの力によって、こうした悪伝統の鎖を断ち切ってやろうということになれば、それは苦労というものが、よく生かされた場合でしょう。
しかるにこれに反して、「なんだ。これくらいのことは、自分らだってやられて来たことなんだ。だから今の一、二年生が、それをやらされるのは当然さ」と言い、さらにひどいのになると「僕等だってかつてやらされてきたんだから、今やる位置になった以上、やらなきゃ損だ」と、かように考えるに至っては、まったく言語道断だというもので、ここに、同じく苦しみをなめながらも、それによって得るところは、まったく天地の差を生ずるわけです。」
と説かれています。
これは我々の修行道場でも同じことであります。
かなりいろんな理不尽な弊風があったものです。
さいわいにも長年努力してきたおかげか、弊風もかなり改まってきたと思います。
では、どうしてこのように二種の違いがでてくるのか、森先生は、
「これを一口に申せば、結局はその人が自己を反省するか否かによることでしょう」というのであります。
生まれつき素直に反省して、苦労しても人格が向上する場合もあるのですが、人は道を学ぶことが大切だと説かれています。
何年も前にこの「二種の苦労人」ということについて、修行僧達と学んだときには、多くの修行僧が、この「弊風を改める」ということに感銘を受けて、修行道場でも弊風を無くしてゆこうと語り合ったのでありました。
しかし、今回は、誰一人として弊風を改めるというところに着目した者はいませんでした。
これはほとんど弊風と思われるものがなくなったからだと思います。
なかには、苦労して人間がえぐくなるというのも必要ではないかという考えもありました。
お釈迦さまは、水を飲んで牛はこれを乳にし、ヘビはこれを毒にすると仰せになっています。
同じ目にあっても、同じことを言われたとしても受け止めようによって大いに違ってくるのす。
そうかといって、ヘビを排除しようという考えではありません。
牛もヘビもそれぞれ存在する価値があるものです。
盤珪禅師のことを思い起こしました。
盤珪禅師はご自身死をも顧みないような難行苦行をなさった末に、人は誰しも親から産み付けてもらったのは仏心ひとつだと説かれました。
そして、あとの者たちには、そんな苦労をしなくても自分の話を聞けばわかると説いたのでした。
それをたとえて、こんな話をされています。
山道を歩いていて、水が無くなって渇きに困った時、一人の者が谷底へ降りていって水を汲んできました。
その水を皆に飲ませてあげました。
骨折って水を汲んだきた者も、何の苦労も無しに飲ませてもらった者も、同じように渇きはやむというのです。
盤珪禅師は、自分自身は眼の開いた指導者に出会えなかったので、骨折って修行して、ようやく「不生の仏心」に気が付いたのだけれども、皆には難行することなしに、この仏心を申し聞かせて心の安楽を得させることが、尊い正法ではないかと説かれたのです。
人は、往々にして自分が苦労すると、他人にも同じ苦労をさせようとしたりします。
しかし、慈悲深い盤珪禅師は、そのようなことはさせませんでした。
苦労は自分だけで十分だ、皆には話して聞かせてあげれば良いとされたのでした。
しかしながら、この慈悲深さが果たして本当に伝わったのかというと問題なのです。
盤珪禅師の教えを継承する弟子達が、早くに無くなってしまったということは考えさせられる事実です。
やはり時には、あえて千尋の谷底へ突き落とすような意地の悪さも、弟子の指導には必要だったのではないかと思いもします。
なかなか難しいところであります。
しかし、自分自身の問題としては、水を飲んで牛がこれを乳にするように、どんな苦労に出会ったとしても、意地悪になるのではなく、これを人格向上の糧となるようにしたいものです。
横田南嶺