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臨済宗大本山 円覚寺

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2022.05.11
今日の言葉

愛情とは時間をかけること

少し前のことになりますが、五月一日の毎日新聞の一面には、葬儀のことが書かれていました。

これで五月になり、月のはじめ、しかも日曜日の朝、一面に葬儀のことが大きく載っていたのには、僧侶である私も少々驚いたものでした。

大きな見出しで、

「最後の別れ 守りたい」と書かれています。

そのほかに、「変わる葬儀の中で「「対面」にこだわる」という見出しの文字が目に入ります。

コロナ禍での葬儀のありようが大きく変わったのであります。

そのことに関する記事だとわかります。

記事には、

「東京都内ではコロナで亡くなった人の遺族の多くは「最後の別れ」ができないでいる。」

と書かれているように、コロナ感染でお亡くなりになると、遺族は故人と会うこともなく火葬にされてしまうのであります。

そんな中を、

「コロナであってもなくても『弔う』ときは対面が基本だと思います。ひつぎのそばに集まり、遺族は故人と、会話にならない会話をする。そんな時間を大切にしたいのです」と、

遺体安置施設「想送庵カノン」の運営会社「あなたを忘れない」の三村麻子社長(58)が訴えているのであります。

この「カノン」では、「感染リスクを下げるために死後五日経過するのを待ち、さらに体液で接触感染しないよう対策を万全にした上で、ひつぎの蓋(ふた)も開け」て、対面を望む遺族に場所を提供し始めたというのであります。

もっとも葬儀については、コロナ禍の前から、規模が縮小さくなり、期間も短縮される傾向にありました。

葬儀をせずにそのまま火葬するという「直葬」も珍しくなくなってきていたのでした。

そこにこのコロナ禍でありますから、更に簡略になってしまったのであります。

しかしながら、この三村さんは、そのような時流とは反対の考えで、紙面には、

「例えば昭和という大変な時代を生き抜いてこられた方々を見送るのに『時短』でいいはずがない。それは『弔い』じゃなくて『始末』だと思います」

と訴えているのであります。

そして、更に記事では、

「三村さんのこの強い思いは、六年前に十五歳の愛娘、香夏子(かなこ)さんをがんで亡くしたことにつながっている。

最後まで必死に生きようとした娘は、亡くなる三カ月前、こう言った。

「ママ、最高の愛情って、時間をかけることだよね!」」

という一文で終わっているのであります。

愛情とは、時間をかけることだという言葉に心打たれました。

時間をかけないように、時間を短くすることばかりに気を取られていたのではないかと、大いに反省するのであります。

そんな記事を読んで考えさせられていたところ、黒住教の方から、お便りをいただきました。

毎月送っていただいているものです。

なんでも黒住教の本部に多年奉仕されていた先生が九十歳を超えてお亡くなりになったとか。

直接の死因は、新型コロナ感染症ではなかったのですが、コロナウイルスが検出されたとのことで、葬儀ができなかったというのです。

昇天されたその日に火葬されてお骨になって帰宅したのでした。

九十数年も生きてこられて最期の瞬間に大切な家族と対面することもできない無念さは察するにあまりあると書かれています。

そして何より、葬儀の儀式も行えずに焼かれてしまったのは、耐えがたいことだと書かれていました。

こういう苦しみ、悲しみがあるのだと改めて思ったのでした。

そこで、この頃は、入院したらもうあえなくなるからと、最期まで自宅で看取ってあげようとなさる方もいらっしゃるのであります。

いろいろのことを考えさせられるコロナ禍であります。

沈んだ気持ちになっていたところに、月刊PHP六月号が届きました。

今月の特集は

「つまずいても、落ち込んでも 大丈夫、なんとかなる!」

というものです。

そのなかに、専門家のアドバイスという章があって、今月は仏教学者であり、僧侶でもある鍋島直樹先生が、「悲しみはいつしか優しさに変わる」という題で書かれていました。

「つらいとき、あなたを慈しむ月の愛のような優しさがきっとあります」というのであります。

冒頭には、

「悩みをかかえているとき、人は何を求めるのでしょうか。苦しんでいる人が求めているのは、心の中を詮索されることではなくて、ただ寄り添ってくれることでしょう」

と書かれています。

そして、その中に、月愛三昧ということが説かれていました。

月愛三昧というのはどういうことかというと、PHPの鍋島先生の文章を引用させてもらいます。

「アジャセ王が人にそそのかされ、父を憎み、牢獄に幽閉して死なせてしまいました。

しかし父を亡くしてはじめて、アジャセは自らの犯した罪を後悔しました。

アジャセは自分を責め、全身に腫れものができました。

医師ギバは「慚愧することは人の道です」とアジャセをなぐさめました。

ギバにすすめられて、アジャセは釈尊(釈迦) に相談に行きました。

すると釈尊は何も言わず、アジャセのそばにいました。

「なぜ罪深い私のそばに釈尊はいてくださるのですか」とアジャセはギバに尋ねました。

ギバは、「釈尊が静かにそばにいるのは、月の愛のようにあなたを照らしまもる慈しみです。あたかも月光が夜道を行く人を照らすように。

月光が闇のなかで青い蓮を咲かせるように」と答えました。

やがて仏の願いが至りとどき、汚れたアジャセの心に清らかな信が生まれました。」

という話であります。

月愛三昧というのは、私も言葉は存じ上げていましたが、あまり禅では使わないので、はっきりと意味を理解していませんでした。

この鍋島先生の文章を拝読して、月愛三昧を深く学ぶことができました。

これは、慈悲の究極だと思ったのでした。

愛情とは、時間をかけてあげることであり、そして静かにそばにいてあげることは、月愛三昧に通じるのだと学んだのでした。

 
横田南嶺

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