禅とマインドフルネス
熊野先生と六人の方の対談集なのであります。
四四〇ページあまりの大部の書籍であります。
その対談の一番目が、なんと私なのであります。
二番目の方が、日本テーラワーダ仏教協会の指導者であるスマナサーラ長老であります。
ヴィパッサナー瞑想の大家でいらっしゃいます。
もともと、サンガという会社は、このテーラワーダのスマナサーラ長老の書籍をたくさん出していたところです。
日本にテーラワーダ仏教を知らしめた大きな功績があります。
私もサンガの本でずいぶんと勉強させてもらいました。
それが、なんと昨年倒産してしまったのでした。
残念なことだと思っていたら、クラウドファンディングで資金を集めて、サンガ新社として再出発したのです。
三番目が宗教学者の鎌田東二先生です。
四番目が『世阿弥の稽古哲学』という著書のある西平直先生であります。
熊野先生は、本書のなかで「能はまさに無心の働きが作り出す芸術と言えますが、この無心とは、集中瞑想にしろ観察瞑想にしろその極みで自己が完全に否定された先に現れる完全受動態としての心の働きではないか、もしそうなら、瞑想が行きつく先の生き方と通じているのではないかという問題意識の下、議論を交わしていくことになります。」と興味深いことを書かれています。
そして五番目が、「知的障害者の方々の外からはわからない言葉を、指筆談を通して通訳する実践を続けておられる」発達心理学の柴田保之先生です。
六番目がロボット工学者であり、数学者である光吉俊二先生であります。
どれもが実に深い内容なのであります。
私が対談させていただいたのは、二〇一八年の十一月のことでありました。
もう今から思うとずいぶん過去のことのように思われます。
私は、この対談の依頼を受けて、熊野先生の著書を丹念に読み、マインドフルネスについても勉強しました。
仏教の修行で心を調えてゆくのに、集中と観察との二つがあると言えます。
熊野先生は、集中瞑想と洞察瞑想(観察瞑想)と表現されています。
「日本には、集中瞑想に力点を置いた実践が続けられてきた禅の流れが脈々と受け継がれています」と書かれています。
その通りで、集中することに重きをおいて修行しています。
外の環境に心を奪われずに一点に心を集中させてなりきるという修行であります。
対談の折には、まず私が長い間行って来た集中瞑想の坐禅を実習させてもらいました。
足を組んで手を組んで、丹田に気を集中して呼吸を数えるという伝統的な方法であります。
そのあと、熊野先生が、マインフルネス瞑想を手ほどきしてくださいました。
本書から一部を引用しながら紹介させてもらいます。
「最初は呼吸に対して注意を向けていきます。坐禅と違うのは、呼吸をコントロールしないところです。」
と仰いました。
まずこの点が大きな違いなのであります。
我々禅の修行では、息を意識的に長くするようにします。
とりわけ長く吐きながら、その吐く息に集中してゆくのです。
どうして違うのか、熊野先生は、
「この違いは目的の違いからだと思います。
坐禅の場合は、細く長い呼吸に集中していき、一点集中をしていくのが目的です。
一方のマインドフルネスの場合は、そこから観察のフェーズに移っていくのが目的です。」と教えてくださいました。
そこで「呼吸の仕方も、普通に呼吸させておきます。それに気づいていく。それを観察していく回数を増やしていくのです。
呼吸を細く長くするのは、リラクセーションのほうに繋がっていきますが、自分の自然な呼吸を観察するのは、そのほうが現実の観察になるから」
ということなのです。
そこから「注意を集中する」ことを教えてくださいました。
「呼吸に注意を向けます。
息が入ってくると、体や胸が膨らんでいきます。出ていくときは縮んでいきます。それを自分の気づきが追いかけていくような感じです。膨らんでいく感覚に
「膨らみ、膨らみ、膨らみ」、縮んでいく感覚に「縮み、縮み、縮み」と、言葉を添えたほうがやりやすい場合もあります。
どこか呼吸を感じやすいところを探して、そこに気持ちを集めるようにしていきます。「膨らみ、縮み、膨らみ、膨らみ、膨らみ、縮み、縮み」というような不規則な呼吸であっても構いません。自分の自然なペースでなるべく集中して無念無想になってみてください。」
というものです。
それから更に今度は「注意のフォーカスを広げて」ゆくのです。
「注意を開くというのは、いろいろなものを感じ取っていくということです。
「パノラマ的な注意」といわれたりするのですが、私は注意の分割と呼んでいます。
自分が感じ取れるものすべてに、同時に気持ちを向けていくような感じです。聞こえる、見える、体で感じる、そういったものすべてに同時に気を配っていきます。
まずは体全体で呼吸しているような、そういう感覚を感じるようにしてみます。
息が入ってくるとお腹や胸だけではなく、体全体が微妙に変化します。先ほどよりも少し弱い感じで、「膨らみ、膨らみ、縮み、縮み」と心の中で唱えながら、様々な変化を同時に感じ取るようにしていきます。
足先、指先にまで息が流れ込んできて、感じ方が少し変わったりします。
あるいは姿勢の全体が、何かグラグラ揺らいでいるように感じられたりします。体全体に息が流れ込んできて、それがまた体から出ていきます。体全体に息が流れ込んで、「膨らみ、膨らみ、膨らみ」。流れ出して、「縮み、縮み、縮み」。体全体を感じながら、呼吸を何回かしてみます。
「膨らみ、膨らみ、膨らみ、縮み、縮み、縮み」。
今度はさらに外の空間にまで自分の注意を広げていきます。世界はいろいろな音に満ちています。
誰かが歩いている音、人々がざわめいている音。一つ一つを特定する必要はありませんが、注意の範囲を広げて、すべての音を耳に入ってくるがままにします。」
という具合なのであります。
その当日は短い時間だったのですが、この対談のあと、熊野先生に教わった「注意の分割」をやってみて私は、新たな体験をすることができました。
そのことについては、このサンガの対談の翌年に、花園大学で熊野先生と対談して話をしました。
今回の対談本には、その話にも触れてくださっています。
対談では、私から認知症の問題について質問させてもらいました。
睡眠不足が長く続くと認知症になりやすくなると教えてもらったのでした。
そして、熊野先生は、
「脳の神経細胞が減ってくると当然認知症に繋がっていくのですが、ヴィパッサナー、あるいはマインドフルネスを続けている方では、脳の神経細胞が増えているというようなデータが出てきています。
特に、成人で増えるのは海馬という場所だけなのですが、八週間のマインドフルネスのグループ療法を受けていて、海馬の容積が増えたというデータが実際にあります。
ですから、そもそも脳を元気にしていく作用がありそうだと思います。
それから細胞の老化を抑えるという作用もどうもありそうだというデータも出てきているのです。」
と仰っていました。
いろんなことを教わったのでした。
その他の先生方の対談も実に目からうろこの話が満載であります。
禅とマインドフルネス、それぞれの特性があるのであって、けっして対立するものではないことがわかりました。
横田南嶺