とらわれない心
新宮市の市民会館にお越しになって講演されたのでした。
小学生ながらに是非とも拝聴しようと思って出掛けたのでした。
そして、大感動だったのでした。
高田和上は当時、薬師寺の金堂の再建を終えて、次は西塔を再建しようと発願された頃でありました。
私もそれから、小学生ながらにお小遣いをためては般若心経を書いて薬師寺に送ったものでした。
西塔の再建には、私のわずかな布施も含まれているのであります。
そう思うとなんとも有り難いことであります。
須磨寺の小池陽人さんから、新しく出版された『般若心経なぞり書き練習帖』を送っていただきました。
順天堂大学医学部教授の小林弘幸先生と小池さんのお二人が監修された本であります。
頭痛、倦怠感、不安感、不眠、動悸など、自律神経の乱れが引き起こすことがあるそうです。
自律神経は、ストレスや加齢、不規則な生活習慣が原因になったりするそうです。
自律神経を調えるには、なぞり書きが良いのだと書かれています。
自律神経を調えるのに、「ゆっくりした動作」「深い呼吸」「頭を空にする」ことなどが良いというのです。
なぞり書きは、ゆっくりとした動作で、自然と呼吸を深く調えて、何も考えずに手の動きだけに集中するので頭を空にすることができるというのです。
なぞり書きだけも効果があるというのに、その書くのが般若心経だと、更に一層効果があり、功徳もあるというものでしょう。
そして本書の般若心経の解説を担当されたのが小池陽人さんであります。
「僧侶 小池陽人のことば」として掲載されています。
「空」とはなんでしょうと題して、小池さんは、やさしく、
「人と比べて、どうして私はこんなこともできないのだろうと、自分を無価値に感じてしまうことはありませんか」と語りかけてくれています。
そして、
「奈良の薬師寺の高僧・高田好胤先生は「空(くう)」を「偏らない心、こだわらない心、とらわれない心」と説きました。 人と比較して落ち込んでしまうときこそ、その三つの心を持つべき瞬間ではないかと思います。」と説いてくださっています。
高田和上の言葉を紹介してくださっています。
この「かたよらない心、こだわらない心、とらわれない心」という言葉は、高田和上がお話をなさる時に、必ず唱えていた言葉であります。
般若心経を短く短く説明していくと、この言葉になったとうかがったことがあります。
小池さんは、
「「空」とは自分の物差しを疑い、自分にとって本当に大事なものを見つける旅でもあるのです。」と説かれています。
自分の物差しとは、自分はこんなものだという固定した観念も含まれると思います。
そんなこだわりを捨てて、広く大きな心に目覚めることであります。
短い文章ながらも小池さんの親切な解説が光っています。
『ティック・ナット・ハンの般若心経』という本がございます。
その最初に、
「もしあなたが詩人ならば、この一枚の紙に雲が浮かんでいるのをはっきりと見ることでしょう。
雲がなければ、雨はない。雨がなければ、木は育たない。
木がなければ、紙は作れない。雲は、紙が存在するために欠かせないのです。
もしここに雲がなければ、一枚の紙もここにはない。
ゆえに、雲と紙はかかわり合って存在していると言うことができます。
この一枚の紙をもっと深く観ていくと、そこには太陽の輝きがあります。 太陽の光がないと森は育ちません。
太陽なしには、何ひとつ、私たちさえも育つことはできません。
ですから、この一枚の紙の中には太陽の光も入っていることがわかります。
紙と太陽はお互いにかかわり合って存在しています。
さらに観ていくと、木を切って工場に持っていった木こりが紙に変わっていくのが見えます。そして小麦も見えます。
木こりは日々の糧となるパンがないと存在できませんが、その元となる小麦もまた、この一枚の紙の中にあります。
木こりの父親と母親もこの中にいます。このような紙以外のすべてのものがなければ、この一枚の紙は存在できないでしょう。」
という文章があります。
はじめてこのティック・ナット・ハン師の言葉を読んだ時には、大きな感動を覚えたものでした。
「このように見るなら、この一枚の紙はぜんぶ、「紙以外の要素」から作られていることがわかります。
「紙以外の要素」のうちのひとつでも元の源に戻したなら、紙は一枚もなくなってしまうでしょう。
こんなに薄い紙一枚なのに、この中には宇宙のすべてが含まれているのです。 一即一切、ひとつのものの中にすべてが入っています。」と説かれています。
他から独立して存在するものはないというのが、実体がないということであり、空であることなのです。
仏教では自己とは五蘊であると説きます。
五蘊というのは、『ティック・ナット・ハンの般若心経』では、「五つの川」と説いています。
体の川、感覚の川、認知の川、心の形成の川、意識の川です。
般若心経で観自在菩薩は、この五蘊を深く観じて、独立した実体はないと見抜いたのでした。
ティック・ナット・ハン師は、
「私たちには、五蘊の中に何か一定の変わらないものがあると信じる傾向があります。
しかし、五蘊は絶え間なく流れていて、生じては大きくなり、やがて消えてなくなっていきます。感情は、あらわれるとしばしそこにとどまり、また変化したり、なくなっていったりします。
怒りもまた、込みあげてきても、少したつと薄らいで消えていきます。
体も、年を重ねて老いていきます。それでもまだ私たちは、万物は一定で不変だという間違った認識にしがみついています。
かたくなに、五蘊には不変で独立した実体がある、自分は一人の人間という他から分離した存在だ、と信じ続けています。
ブッダは、そのような実体(我)は存在しない、と説かれました。」
と解説されています。
そして
「五蘊には、魂も、「私」も、人もないのです。 中心核となる物質も、実体もありはしないということがわかれば、すべての苦しみ、悩み、怖れは、たちまち消えてなくなることでしょう。」というのであります。
自己というのもいろんな条件が合わさって今仮にこうしてあるもの、条件によってまたいかようにも変わると思うと、こだわりなく、とらわれることなく生きることができるのであります。
『般若心経なぞり書き練習帖』は、自律神経も調い、小池さんの解説によって般若心経についても理解が深まる良書であります。
横田南嶺