仏の子
円覚寺の中にある塔頭伝宗庵の境内にある幼稚園であります。
昭和二十三年に開かれたものですから、ずいぶんと長い歴史のあるものです。
円覚寺が運営する幼稚園でありますので、私はいわば理事長のような立場にあります。
園長は、円覚寺山内の和尚さまが務めてくれています。
毎年の幼稚園の入園式は、けっこう賑やかなものであります。
昨年も幼稚園に着くと、大きな声で泣いているお子さんがいたのでした。
そこで、昨年は
「こうして、幼稚園に参りますと、私も五十数年前のことを思い起こします。
今もふるさとに帰りますと、親に言われることであります。
私の幼稚園の入園式に親が出てくれた時のことです。
親のいうには、大きな声で泣いている子がいて、いったいどこの子があんなに泣いているのかと思ってみたら、自分の子だったので、恥ずかしかったと。
私もよく泣いていたそうなのであります。
あれから、五十数年経ちますと、このようになります。
ですから、今泣いていても心配ありません。
長い目で温かく見守ってあげたいと思います」
という挨拶をしたのでした。
今年は、実に静かでありました。
あまりに静かだったので、一瞬自分は日にちを間違えたのではないと思ったほどであります。
今年は「仏の子」ということについてお話をしました。
「幼稚園でいつも歌う歌に「仏のこども」というのがございます。
「我らは仏の子どもなり」という歌詞で始まります。
今日ここに来てくれたお子さまはみんな仏の子どもであります。
私たちは、仏のこどもをお預かりする心で、お世話をさせていただきます。
到らぬ点も多々あろうかと思いますが、仏の子どもを預かる心で勤めます。
保護者の皆様も大切なお子さまをこの円覚寺の幼稚園にお預けくださり感謝します。
精一杯勤めますので、どうぞよろしくお願いいたします。」
という短い挨拶をいたしました。
「仏の子ども」というのは、こんな歌詞であります。
「一、われらは 仏のこどもなり 嬉しきときも 悲しきときも みおやの袖に すがりなん
二、われらは 仏のこどもなり 幼きときも 老いたるときも みおやにかわらず つかえなん」
いつも幼稚園の先生方には、この歌の通り、一人一人仏さまの子供をお預かりしていると思って接してくださいとお願いしています。
白隠禅師の坐禅和讃には、「衆生本来仏なり」という言葉がございます。
衆生というのは生きとし生けるもの、あらゆるいのちあるものを指します。
人間ばかりでなくいのちあるものはみんな本来仏であると説かれているのです。
これこそが『法華経』の精神です。
さらに白隠禅師は「たとえば長者の家の子となりて、貧里に迷うに異ならず」と詠われました。
これも『法華経』の長者窮子のたとえです。
『法華経』という経典はたとえ話が多くて、七喩とも言われるものがあります。
長者窮子は、七つのたとえの中の一つです。
あらましを申し上げますと、インドの国に国一番の大長者がいました。
長者には一人の子供がいたのですが、どういうわけか、子供の頃に行方不明となっていました。
インド一の財産を持って何不自由ない暮らしをしながら、長者の心には我が子のことが気にかかって仕方ありません。
そんなある日のこと、大勢の付き人を従えて、邸宅の庭先で涼んでいたところ、遠くから通りを眺めていますと、ふとわが子の姿を目にいたします。
なんと我が子は放浪の暮らしをしていました。
子供と別れて既に何十年も経っていますが、親子ですから、たとえどんな姿をしていようが一見して我が子とわかります。
逆に子供の方はというとまだ幼い頃に別れたので、父親のことははっきりしません。
遠くから邸宅の中をのぞくと、大勢の付き人を従えて悠々と涼んでいる姿を見て、何という人だろうか、果たしてこの人は王様だろうかと思って通り過ぎようとします。
ところが父親は我が子だとすぐにわかりましたので、家の者に「すぐあの者をとらえて連れてくるように」と命じます。
その子は早く通り過ぎようとしたところ、いきなり追っ手が迫りますので、何事かと思って逃げようとします。
その子は、これは殺されると思って逃げますものの捕まってしまいます。
殺されると思うものですから、気を失ってしまいます。
そのことを長者に報告すると、長者は、しかたないと思い、そこで無理につかまえることはやめて、我が子をいったん町に放します。
そこで、自分の家臣の中でも見たところいかにも貧相な者を選んで、みすぼらしい格好をさせて、我が子に安心させて近づかせます。
そしてその子にとりあえず、よそには行かないようにさせて、良い仕事があるぞと話して持ちかけて、長者の家の手洗いの掃除をさせます。
何年か手洗いの掃除をさせて、こんどは庭の掃除をさせます。
毎日毎日庭の掃除をさせてわずかの賃金を与えます。
馴れてくるとこんどは座敷の掃除を命じます。
室内の掃除をさせて、少しばかりの賃金を与えます。
こんどは長者の秘書のような役をさせます。
長者の身の回りの世話をさせます。
更に長者の財産の管理、蔵の管理もさせます。
そうして何年もかかって、長者のあらゆる資産を全部把握させます。
長者とも随分親しい間柄になりましたものの、その子はいまだに自分は、長者とは縁もゆかりもない者、この膨大な財産も全く自分には関係のないものと思いこんでいます。
やがて長者も体が衰えて、病気になり寝込みます。
いよいよ病重くなって危篤に陥ります。
いよいよとなって長者は国中の者を集めて遺言をします。
そこで初めて、ここにいるこの者こそ我が子である、何十年も昔に別れたきりの間違いのない我が子である、我が家の財産は悉くこの子のものであると言って息を引き取ります。
この長者が仏さまを表し、長者の子供がわれわれであると『法華経』は説いています。
まさしくわれわれはみな仏さまの子であるとの譬えです。
「今此の三界は、皆是れ我が有なり、其の中の衆生は、悉く是れ我が子なり」というお釈迦さまの言葉が『法華経』にございます。
この苦しみの世界は、私の所有する家であり、そのなかにいる生きとし生けるものはみんな私の子であるというのです。
幼稚園の子だけではありません。
私たちも皆仏の子なのであります。
素直に仏のみ胸に抱かれる心で生きてゆきたいものであります。
横田南嶺