一寸先は闇ではなく光
一日と十五日の朝には、円覚寺の山内の和尚さんが皆仏殿に集まって、今上天皇の聖寿万歳と、世界の平和をお祈りするのであります。
そしてその日の夕方から、東京の湯島の麟祥院で、村上信夫先生と対談をさせていただきました。
麟祥院にも久しぶりに訪れることができました。
この麟祥院というのは、春日局のお寺として有名であります。
また私どもの臨済宗では、明治の頃に臨済宗の東京十山総黌という学校があったところでもあります。
この学校の黌長を勤めていたのが今北洪川老師でありました。
そこから円覚寺の管長に招かれたのでした。
そんな円覚寺ともゆかりが深く、そしてかつて僧侶達が学んでいたところで、勉強会をしようと企画して、平成二十七年からこの麟祥院で、『臨済録』の勉強会を続けていたのでした。
駒澤大学の小川隆先生に講師をお願いして、毎月一回、臨済宗の有志の僧侶が集まって小川先生の講義を拝聴して勉強していたのでした。
それが令和二年、コロナ禍となって以来、この勉強会はオンラインでの開催となって、お寺に行くのはすっかり御無沙汰していました。
麟祥院は、かつて錚々たる禅僧が住された名刹であります。
かの隱山禅師が、峨山禅師に参禅されたのもこの湯島の麟祥院でありました。
そのお寺に入るだけで気が引き締まります。
現在住職されているのは、矢野宗欽老師であります。
私も懇意にさせてもらっている老師であります。
修行もしっかりされて、よく勉強もされている老師であります。
ことにお寺を地元の人達にも開放しなければという思いも強くお持ちで、春日忌という春日の局の法要を始め、それに併せて様々な催しものなども開催して、積極的に活動されているのです。
この麟祥院で、村上信夫先生の「大人の寺子屋~次世代継承塾」が始まったのでした。
どんな思いで村上先生が始められたのかというと、村上先生のブログによれば、
「文京区にある麟祥院というお寺で、「ことば」にまつわることをやってほしいという依頼があった。
「大人の寺子屋~次世代継承塾」を思いついた。
古希になっても「新しいこと」が出来るというのは有難いことだ。
ことばが揺らいでいる。ふるまいが揺らいでいる。考え方が揺らいでいる。いまこそ、ぶれない軸を持った生き方が求められる。
人の心にやさしく浸透していくことばで、次世代に伝えることを語り合う。様々な事柄に精通した人々と、村上信夫との対談企画。
今年の4月から来年3月まで、毎月第一金曜日18時半から開催する。」
というものです。
なんとその四月の第一日目の対談相手に私が選ばれたというのであります。
不思議なことであります。
四月一日ですから、冗談かと思いましたが、実際に行われました。
どれくらいの人が集まるのかと思って参りますと、なんと七十名もの方が集まってくれていました。
始まりには、文京区の区長さんと湯島天神の宮司さまにもご挨拶をいただくというたいへんに厳かに始まりました。
さすがに村上先生も緊張されている様子で、開始早々、「今日は私も緊張しています」と仰ったので、私が即座に「村上さん、緊張は夏にするものです」といって笑わせてしまいました。
村上先生は、私よりも十一歳も年上なのですから、私が「村上先生」と呼ぼうとすると、「先生」はやめてくださいと仰るので、「村上さん」と呼ばせていただきました。
また村上さんも、「管長」だの「老師」だのと呼ばずに「南嶺さん」と呼んでくださいました。
お互いにさん付けで呼ぶようにするだけでも、和やかになれるものであります。
本堂の正面に村上さんと私のふたりが並んで坐りました。
私が、「まるで結婚会見のようですね」と申し上げました。
撮影は、オンラインでも配信をするとのことで、ライトなどはかなり強いものでありました。
ですからとてもまぶしいものです。
話のはじめに、村上先生から、今日のテーマの「一寸先は光」ということについて話をしてくださいと言われて、「一寸先は光ですね、この会場に来たら、このライトで照らされてまぶしくて、光そのものです。ここが光です」と申し上げたのでした。
そんな笑い話をしておいて、坂村真民先生の詩、「鳥は飛ばねばならぬ」を朗読したのでありました。
この詩の中に、「一寸先は闇ではなく光であることを知らねばならぬ」という言葉があるのです。
そのような具合で、村上先生の暖かいお人柄に触れて、すっかり打ち解けた感じで、あっという間に九十分の対談が終わったのでした。
最後には、村上先生のリクエストで、坂村真民先生の「二度とない人生だから」を朗読して終わったのでした。
終わった後には、暖かい拍手をいただきました。
私が本堂から退出するまで、ずっと拍手をいただいたので、恐縮しました。
そんなことがありましたので、今朝も真民先生の「二度とない人生だから」を朗読させてもらいます。
二度とない人生だから
二度とない人生だから
一輪の花にも
無限の愛を
そそいでゆこう
一羽の鳥の声にも
無心の耳を
かたむけてゆこう
二度とない人生だから
一匹のこおろぎでも
ふみころさないように
こころしてゆこう
どんなにか
よろこぶことだろう
二度とない人生だから
一ぺんでも多く
便りをしよう
返事は必ず
書くことにしよう
二度とない人生だから
まず一番身近な者たちに
できるだけのことをしよう
貧しいけれど
こころ豊かに接してゆこう
二度とない人生だから
つゆくさのつゆにも
めぐりあいのふしぎを思い
足をとどめてみつめてゆこう
二度とない人生だから
のぼる日 しずむ日
まるい月 かけてゆく月
四季それぞれの
星々の光にふれて
わがこころを
あらいきよめてゆこう
二度とない人生だから
戦争のない世の
実現に努力し
そういう詩を
一遍でも多く
作ってゆこう
わたしが死んだら
あとをついでくれる
若い人たちのために
この大願を
書きつづけてゆこう
こういう気持ちで生きてゆくことによってこそ、今のこの世の中一寸先を闇でなく光にしていくことになると話をしたのでした。
横田南嶺