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臨済宗大本山 円覚寺

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2022.03.23
今日の言葉

驚いていい、落ち込んでいい

月刊『PHP』の四月号に禅語の解説をかかせてもらっています。

「心に禅語をしのばせて 生きるための禅の言葉16」であります。

『PHP』には、「不安な時代を生きる道しるべとして、いま、この禅の言葉を覚えておきましょう」と書いてくれています。

四月号には、「平常心是れ道」を書きました

ルビをつけてもらっていて、「びょうじょうしんこれどう」と読むのであります。

一般には、「へいじょうしん」と読みますが、禅語の場合は、「びょうじょうしん」と読み慣わしています。

『広辞苑』にも「びょうじょうしん」という項目があります。

そこには「禅で用いる語」と書いていますが、「へいじょうしん」に同じと解説されています。

では「へいじょうしん」はというと、『広辞苑』には、「普段どおりに平静である心」と書かれていて、「平常心を保つ」という用例がございます。

有り難いことに『広辞苑』には、ちゃんと「平常心是道」という項目もあります。それもきちんと「びょうじょうしんこれどう」と読んでくれています。

この解説には、「禅語。日常にはたらく心のあり方がそのまま悟りだということ。馬祖道一の言葉。」とあります。

適切な解説であります。

「日常にはたらく心のあり方がそのまま悟り」というのですから、これは決して平静な場合だけをいうのではありません。

『広辞苑』にも馬祖道一の言葉として書いてくれていますので、折角ですから馬祖禅師の言葉の原典を参照してみましょう。

禅文化研究所発行の『馬祖の語録』から、入矢義高先生の訳を引用します。

「示衆に言われた。
「道は修習する必要はない。

ただ、汚れに染まってはならないだけだ。

何を汚れに染まるというのか。

もし生死の思いがあって、ことさらな行ないをしたり、目的意識をもったりすれば、それを汚れに染まるというのだ。

もし、ずばりとその道に出合いたいと思うなら、あたり前の心が道なのだ。

何をあたり前の心というのか。

ことさらな行ない無く、価値判断せず、より好みせず、断見常見をもたず、凡見聖見をもたないことだ。

経に言っている、『凡夫の行でもなく、聖人賢者の行でもない、それが菩薩行である』と。

今こうして歩いたり止まったり座ったり寝たりして、情況に応じての対しかた、それら全てが道なのだ。」

というのであります。

よく「平常心を保つようにしました」などと言われますが、そのようなことさらな行いをすることではないのです。

そこでわかりやすいのは盤珪禅師の言葉であります。

岩波書店の『盤珪禅師語録』に、

「俗士問。

「不圖、物をと或は迅雷を聞て、驚く事あるは、平生のをさまらざる故か。いか様の事に驚かざる樣には、いかが用心いたすべきや。」師曰、「驚きなば只其のままにてよし、用心すれば二つになる。」

という言葉があります。

意訳すると、ある在家の方が盤珪禅師に質問しました。

「私は、ふと思わず、物音がしたり、カミナリが鳴るのを聞くと、驚くのですが、これは平生の心がおさまっていないからでしょうか。どのように用心すれば、驚かないようになるのでしょうか」

盤珪禅師は言われました。

「驚いたら、驚いたでいいのです。驚かないようにと用心したりすると、心がふたつに分かれてしまいます。」

というところです。

驚かないようにするというのが、馬祖禅師の言われる造作になってしまいます。作り事なのです。

そこで『PHP』にも、

「江戸期の高僧盤珪(ばんけい)禅師に、ある人が雷が鳴るとどうしても驚いてしまうのでどうしたらよいかと尋ねました。盤珪禅師は、驚いたらいいと答えました。

 平常心というと「普段通り平静であること」と辞書には書かれています。禅では、「びょうじょうしん」と読んで、「ありのままの心」を言います。造作をしない心なのです。」

と書きました。

そこから、更に

「大事な発表の前に、緊張しないように平常心を保とうとすることがあると思いますが、緊張するのがありのままなのです。緊張しないようにどうしたらいいかと思うから、却ってどうにもならなくなってしまいます。
こういう時は緊張するものだと思えば、却って気が楽になります。」
と解説を書きました。

『PHP』四月号を読んでいると、「生きる166話」という記事がありました。

「父の言葉に救われて」という題で、主婦の方が書かれていました。

この方は教師を目指して、大学の教育学部を受験したのだそうです。

ところが、不合格でした。

そのときに、その方のお父さんが、

「せっかく落ちたんだから、しっかりと今の感情を味わいなさい」と言ったのでした。

その方は、なぐさめや励ましの言葉を期待していたのに、この言葉を聞いて愕然としたと書かれています。

それからしばらくお父さんと微妙な距離を感じていたのだというのです。

進学校の教師になって5年目になり、初めて高校三年生の担任をするようになった時のこと、お父さんがこう言ったそうです。

「受験生の担任か、大変だな。責任重大だぞ。

でもお前なら大丈夫だよ、

受験に落ちてどん底を味わった経験があるからな。

その気持ちがわかるお前なら、しっかり生徒に寄り添えるよ」

というのでした。

そこで、十年前に、「せっかく落ちたんだから、しっかりと今の感情を味わいなさい」と言われた言葉の意味がわかったと書かれていました。

受験に落ちても平静でいるのが、平常心ではありません。

落ち込むのも平常心なのです。

どの落ち込んだ気持ちがあるから、人の気持ちもわかるようになるのです。

そこで『PHP』には

「人は誰しも悲しい時には涙を流すし、うれししい時にはよかったよかったと、両手挙げて喜ぶものです。

それがそのまま平常心です。

何ものにも動じないとうそぶくよりも、己の弱くてもろい心をよく知って、お互いに弱い者同士が手を取り合う事が大切です。

ありのままの心で生きるのが「平常心是れ道」です。」

と書いたのでした。

驚いていい、落ち込んでいいと思うと気が楽になるものです。

そして、その気持ちがあるから、人に寄り添えることができるのであります。

 
横田南嶺

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