大きいことはいいことか?
磯田学長は、昨年の四月から学長に就任してくださっています。
教育行政の分野ではたいへんな業績のある先生で、私も大学にゆくたび毎に総長室で話をさせていただいて、その深い見識には、いつも感服させられています。
心に残る言葉がたくさんちりばめられた卒業式の式辞でした。
しかも学長は、その言葉を紙に印刷して皆に配ってくださっているのです。
こういうご親切にも頭が下がります。
お祝いの言葉のあとに学長は、このたび卒業する学生が、2020年から新型コロナウイルス感染症の蔓延によって、授業がオンラインになったり、実習が中断されたり、卒論が思うように進まなかったり、なによりも友に会うことすら不自由になったことを述べていました。
そして学長は、
「そうした厳しい状況の中でも勉学や研究に励み、この卒業の日を迎えられたことは、皆さんの向上心の賜物であり、その努力に敬意を表わします」
と述べられました。
心に響く言葉であります。
学長にこのように言われると恐らく学生さんたちも、たいへんな思いをしたことも報われると感じました。
そして更に学長は、
「このコロナ禍の中で確認できたことは、対面のコミュニケーションの重要性です。
ヒトのからだと脳は、基本的には共同生活を基本として設計されています。
人とのかかわりを大切にして生きていってください。
人は一人では生きていけません。人とのかかわりの中で愛や友情が生まれ、それが生きる糧となっていくのです。」と述べてくれていました。
そのような心温まることを述べた後に、学長はウクライナの問題に触れました。
以下学長の言葉を引用します。
「残念ながら、現在、ウクライナではロシア軍の侵攻で子供を含む多くの民間人が犠牲となっています。
母国を後にした難民は 280 万人を超えています。
第二次世界大戦の惨事から人類は何も学習しなかったのだろうかと思わざるを得ません。
歴史の進歩の先には民主主義と自由主義が必ず実現するというような理想論は捨てるべきなのでしょうか。
しかしながら、私は人を信じます。若者の力を信じています。
マックス・ウェーバーの『職業としての政治』の末尾の次の言葉を皆さんに送りたい。
「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中がー自分の立場からみてーどんなに愚かであり卑俗であっても、断じて挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。」
皆さん、苦難を恐れず、際限のない社会の「大海」へ漕ぎ出していってください。」
という言葉であります。
胸が熱くなる言葉でした。
京都から鎌倉の寺に帰って新聞を読んでいますと、毎日新聞の三月一六日の夕刊のコラム記事、田中優子先生の「江戸から見ると」の文章にも心打たれました。
一部を引用します。
はじめに田中先生は、
「大英帝国は、今やたくさんの植民地を失って小さなイギリスである。フランスも同様だ。スペインもポルトガルもオランダも、かつては世界の海を制覇したが、今は自らの国の中を発展させている。」と述べています。
そして更に
「日本も敗戦後は旧満州(現中国東北部)、朝鮮半島、台湾、東南アジア各国を失って日本列島の中で生きている。そしてその各国・地域では民主主義を実現しようと努力している。それでいいではないか、と私は思う。」
と述べて、近代の世界の様子を概観されています。
ヨーロッパの国々が、ひとつひとつの国を小さくして欧州連合(EU)という連合体にしたことに触れて、うまくいっているかいないかということよりも、田中先生は「称賛に値する」と述べています。
そこから更に江戸時代に目を向けて、
「江戸時代の日本を私が肯定するのも同じ理由である。
中国に対抗して拡大主義をとっていた戦国時代の日本が、朝鮮侵略戦争の敗戦を経験して方向転換を成し遂げた。
それが江戸時代の日本であった。
外国と戦争しない、内戦を回避する、輸入に頼らない。
その結果、優れた職人が膨大に出現して、中国やインドの上質な製品に劣らないものを創造するに至り、アジアの織物や陶磁器を超えた。和時計を作り、高度な浮世絵印刷技術を確立した。
統一国家を作ったのではなく、多くの藩がその特質のもとに連合していた。」
という江戸の素晴らしさを称えています。
もちろんこと、江戸時代にもよいこともあれば、悪い一面もあったのでしょうが、古い封建体制としてすべてを否定することは考えものであります。
「散切り頭を叩いてみれば、文明開化の音がする。ちょんまげ頭を叩いてみれば因循姑息の音がする」と詠って、江戸の文化をすべて否定することは考え直した方がいいと思います。
そこで田中先生はただいまのロシアの振る舞いを、「時代遅れの大国主義なのである」と述べているのであります。
コラム記事の題は、「小さくなること」なのでした。
毎日新聞の2011年の9月1日の余録の記事を思い起こしました。
2011年というと、あの東日本大震災のあった年です。
9月1日というと、関東大震災のあった日であります。
引用します。
「この動く大地の上では、日本人はただ一つの安全策しか見いださなかった。それは自分をできるだけ小さく、できるだけ軽くすることである。薄く、重さがなくほとんど場所もとらぬようにすることである」。
ポール・クローデルはこう記した。
関東大震災の時の駐日大使だった仏詩人のクローデルだ。
彼は津波、地震、台風、噴火、大洪水などあらゆる自然災害にさらされた日本人が、それでもくつろぎを得られるライフスタイルを作り上げ、この国土を熱烈に愛していることに温かなまなざしを注いでいる。
「小さく、軽く」とは紙と木の家に家財もわずかな簡素な生活と、驚くべき自制心に満ちた人々を指している。
88年後、日本人の暮らしは様変わりした。
ただ今度の震災でも人々の自制心と思いやりは世界の注目を集めた。」
と書かれていたのでした。
さらに2014年の10月4日の余録には、
「大津波、台風、火山の噴火、地震、大洪水などたえず何か大災害にさらされた日本は、地球上の他のどの地域よりも危険な国であり、つねに警戒を怠ることのできない国である」。
大正時代に駐日大使をつとめた仏詩人クローデルは記した。
「大地は堅固さというものを全く持ち合わせていない」。
詩人が小石、砂、溶岩、火山灰が堆積した国土の不安定を強調したのも、これが関東大震災直後の文章だからだ。」
と書かれています。
折からちょうど卒業式のために京都に泊まっていると、福島を中心に大きな地震が起きました。
鎌倉もかなり揺れたそうです。
改めて何が起こるか分からないと思いました。
より大きくという発想から、小さく、軽く、分かち合うという考えを大事にしたいと思ったのでありました。
横田南嶺