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臨済宗大本山 円覚寺

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2022.03.20
今日の言葉

生きることが意味

二月にはじめ塾を訪ねて、子どもたちにお話させてもらいました。

その子どもたちから感想文を送っていただきました。

こういう子どもたちの純粋な思いの感想文を拝読すると、こちらの心が清められます。

まず何と言っても子供は正直であります。

高校生の方の感想に、

「横田老師は話すことがとてもうまいなと思いました。

しっかりと心に残るような話をしつつも、面白いことも話してくださったので、最初は寝ないようにしようと思って来たけれども、本当に面白く、もっと聞きたいと思いました。本当に楽しかったです。」

「老師が詩を朗読してくださいました。

この声が腹の下から出る声だなと実感できました。

朗読している姿はピシッとしているけれども固まっている感じでなくて、すごくよかったです。

詩では「鳥は飛ばねばならぬ」という詩が好きです。

家に書いて貼っておこうと思いました。」

という感想がありました。

有り難いことですが、子供は子供なりに、「腹から声が出ている」ということを感じているのだと知って驚きました。

やはり油断のならないものです。

それから楽しく話を聞いているうちに、すっと心に大切な教えが入り込むようにしたいと思っていますので、そのことも受け止めてくれていてうれしくなりました。

次は中学生の方です。

この方は「お坊さんは滝に打たれるのですか」という質問をされた方で、私は「それは宗派によるもので、私たちの禅宗では滝に打たれる修行はありません。私は寒いのが苦手なので、寒いなか滝に打たれなくてよかったと思っています」と答えたのでした。

「お坊さんは滝にうたれるとかそういう修行をするのかと予想していたので、宗派によって修行の方法も違うというところに驚きました。

お坊さんは私にとって遠い存在だったのですが、今日、生でお話を聞かせていただいて、横田老師さんも一人の人間なのだと感じることができ、グッと「お坊さん」という存在を身近に感じることができ、気持ちがとっても温かくなりました。

また、老師さんとお弟子さんの方々がみなとても優しそうな目元であるという事が印象的でした。

内面は顔に出るそうなので、みなさんとてもお優しい心の持ち主なのだと思いました。

坐禅を組んでいると、内面や容姿も変わってくるのでしょうか。

また、私は読んでいただいた三つの詩の中で一番最後の「二度とない人生だから」という詩が好きです。

朗読には一番引きつけられ、一番考えさせられました。

私という存在について時々考えることもありますが、とにかく一生懸命今を生きようと思います。

また、私もみなさんのように大人になった時、目元が優しい人を目指したいです。」

という感想であります。

話の内容もさることながら、私たちの表情をよく見ているのだと分かりました。

「内面は顔に出る」とは、鋭い省察であります。

こちらがなにも取り繕わずに話をしたのがよかったのかもしれません。

次も高校生の方の感想です。

「僕は、横田老師の生きる事の意味のお話を伺い、生きる事の意味を考えるのではなく、生きている事に意味があるという言葉に感動しました。

自分は、たまに泣きたくなるような時に、なんで生きているのだろうか、どうせ最後はみんな何をしていても死んでしまうのだからどう生きても変わらないのではないかと、悲観的に考えてしまう事があるのですが、生きる事に意味があるというお話しは、今までの考え方を全て変えられたような気がしました。」

この「生きていることに意味がある」という言葉には多くの方が感じられたようで感想に書いてくださっていました。

ほかにも

「私は、「生きることが意味なのだ」という言葉は生命に当てはまることだと思います。桜はなぜ咲くのかではなく、咲いているだけで素晴らしい。

雲はなぜ浮かぶのか、浮かんでいるだけで清々しいというのが生命の在り方だとおもいます。

しかし、私の大脳は人間らしく?あろうとしているようでどうしても人生の意味を問いたいようです。」

という感想もありました。

ほかにも

「僕は、横田老師が読まれた詩に感動しました。

色々ある詩の中で、特に感動したのは「鳥は飛ばねばならぬ」という詩です。

人は「生きている」事が、鳥は「飛ぶ」事が意味であるという言葉を聞いて、「自殺したい」など「生きる事」に悩んでいる人たちに「生きている事自体が意味」という事を伝えたい、と強く感じました。」

とありました。

これは坂村真民先生の「鳥は飛ばねばならぬ」の詩を朗読したのでした。

今一度朗読してみましょう。

 鳥は飛ばねばならぬ
鳥は飛ばねばならぬ
人は生きねばならぬ
怒涛の海を
飛びゆく鳥のように
混沌の世を
生きねばならぬ
鳥は本能的に
暗黒を突破すれば
光明の島に着くことを知っている
そのように人も
一寸先は闇ではなく
光であることを知らねばならぬ
新しい年を迎えた日の朝
わたしに与えられた命題
鳥は飛ばねばならぬ
人は生きねばならぬ

この詩を読んで、鳥は飛ぶことに意味がある、人は生きることに意味があるのだと話をしました。

「生きることの意味」を問うのではなく、「生きることが意味」なのだと。

この話は、今のお若い方たちにも通じるようであります。

それから苦手な人や嫌な人、困った人にはどう接したらいいのかという質問に対して答えたことにも関心をもってくれたようです。

「「相手を変える事は難しいのだから、自分がまず変わって相手と接していく」この横田老師の考え方は、自分の事を棚に上げて人に注意をしてしまう事がある僕の心に矢を射られたようでした。

お弟子さんと接する時も「相手に期待しない、し過ぎない」と仰っていましたが、まず、自分が自分の期待通りになってすらいない人にその期待をする事など無理だなと感じました。」

という感想がありました。

これは人を育てる上で一番心がけていることは何ですかと問われて、とっさに、「あまり期待しないことだね」と答えたのでした。

長年人を育てるという場に身を置いて、期待しすぎるのはよくないと感じたからです。育てるよりもこちらが育てられるくらいに思った方がいいのです。

そんな期待しすぎないという言葉も感じてくれたようで、

「今回の話で一番印象に残っていることは、“期待”を持ち過ぎないという事です。

横田老師さんが言っていたように期待を持っていなければ自分ががっかりする事がないし、将来仕事に就き部下などができた時にストレスが溜まったりせず、気持ち的にも楽になるのかなと思いました。」

という感想がありました。

お若い人は、お若い人なりに真剣に生きようとしているのだと感じることができました。

多くの感想の中に、円覚寺で坐禅をしてみたいとありましたので、いつかそうして坐禅出来る日を楽しみにしています。

 
横田南嶺

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