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臨済宗大本山 円覚寺

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2022.03.19
今日の言葉

楽をする・楽になる・楽しむ

先日、いつも『虹天』という冊子を送ってくださっている滋賀県の高校教師北村先生にお越しいただきました。

この夏に北村先生の会で、講演をさせてもらう予定であります。

その折のこと、北村先生から楽をすることと、楽しむことが、異なる意味であるのに、同じ「楽」という字を使うのはどうしてだろうかという話をいただきました。

確かに、「楽をする」ということは良い意味では使われません。

しかし、楽しむことはいいことであります。

これもその数日前に、マーケティングの方と対談していて、その方は芸能の世界などでいろんなヒットを生み出してきて方でした。

「ヒット学」と称していました。

ヒットするのは二つだということを聞きました。

ヒットの二大要素として、ひとつは便利さ、もうひとつは楽しさだということでした。

なるほど便利なものは、ヒットするでしょう。

それから楽しいものもヒットすることでしょう。

しかし、その方の仰るには、今やもう便利なものの追求には限界が来ているというのです。

便利になりすぎた感があります。

そこで、もう便利さの追求はやめて、逆に不便なものを求めるようになってきているというのです。

「不便益」という不便な事の良さを見直そうという動きもあるのです。

便利さの追求が終わると、もう残るのは楽しさの追求だというのでした。

なるほど楽しむことは大切だと思ったのでした。

その点、禅の修行をすると、坐って呼吸をすることが楽しくなります。

ただ息をすることを楽しめるのです。

いっぱいのお茶をいただくことも楽しめますし、ただ立っていることも、歩いていることも楽しむことができるようになるのです。

楽しみを外に求めようとすると限界があるでしょうが、日常の中で、普段行っていることを楽しめるようになると素晴らしいものです。

そんな話をしていました。

北村先生ご一行をお見送りした後に、佐々木奘堂さんの坐禅講義を受けていました。

これでもう円覚寺では二十一回目になります。

今回はデカルト的省察とブッダ的省察という少々難しい内容でありました。

最初に『孟子』の言葉を引用して話をしてくださいました。

「私たち人間は普通にしていると「般楽怠敖、是自求禍也(楽にして怠けているのは、自分で禍を求めているようなもの)」で、自ら禍を作るクセがある。

ありのままにしていると「自求禍」だし、どんな考えでも方法でもこれを抜け出られないから、
すべてを放って、ただ立ち起きるのみ。」

というのであります。

この言葉に奘堂さんの仰りたいことが尽きているように感じます。

「般楽」という言葉は、見慣れない字ですが、『漢和辞典』で調べると、

「般逸ハンイツ・般遊ハンユウとも。

遊びまわって楽しむ」ことだそうです。

「是の時に及びて、般楽怠敖(なまけ遊ぶ)するは、是れ自から禍を求むるなり」という『孟子』の言葉が用例としてありました。

「怠敖」は、「たるんで遊びまわる。また、なまけておごる」ことであります。

「般楽怠敖」は文字通り、楽にして遊び廻ることであり、これでは自ら禍を招くだけなのです。

楽にしようとしていると、結局苦しむだけだということになります。

そもそも「楽」というのはどういう意味でしょうか。

漢字の意味としては、

まずが「音楽。にぎやかな音を配合したしらべ。また、それをかなでる楽器」であります。

それから「かなでる。楽器をならす」ことです。

そして動詞として「たのしむ。心がうきうきする」があります。

「憂」の対語です。『論語』にある「楽しみて以もつて憂ひを忘る」という用例が示されています。

同じく「たのしむ。心から好む。喜んでとけこむ」とあり、こちらは「天を楽しみ命を知る」という『易経』の用例があります。

それから日本の言葉として「らく。たやすい。安楽なこと」があり、「仕事が楽だ」という用例があります。

らくにする「らく」というのは、日本の言葉のようです。

そこで『広辞苑』を調べると、
一番に「心身が安らかでたのしいこと」とあって「気が楽になる」「楽をする」という用例が最初にあります。

それから二番に「好むこと。愛すること」です。

三番目に「たやすいこと。やさしいこと。」「楽にやれる」という場合です。

四番目に楽焼の略。「楽の茶碗」です。五番目には「千秋楽の略」です。

関連して「楽あれば苦あり」という言葉があって、「楽の後には苦しいことが来る。世の中は楽なことばかりではない」という意味です。

また「楽は苦の種、苦は楽の種」といって「苦楽が相伴って起こるのにいう」ことであります。

仏教で楽というと、「法楽」という言葉があります。

岩波書店の『仏教辞典』によれば、「法楽」は、

「原義は、仏法の信受によって感知する楽しみの意」です。

仏法を信じて学ぶ楽しみなのです。

そこから「転じて、神仏に読経や音楽・舞踊などを手向けてその心を楽しませること、また和歌・連歌を奉納することをもいう」ようになっています。

また「自受法楽」という言葉もあります。

こちらも『仏教辞典』には、

「自ら法楽を受けるの意で、仏がその広大な悟りの境界(きょうがい)にあらわれる楽しみを自ら享受すること」であります。

「仏が自分の悟った教えを自分自身で楽しむことをいい、特に成道(じょうどう)直後の釈尊や、大日如来についていわれる」という解説があります。

「楽道」という言葉もあります。

「楽道歌」という禅僧の言葉もあるのですが、楽道は「人間として行うべき道を、楽しみつつ行う」という意味で、もとは『孟子』にあるようなのです。

花園大学で、新しい校舎を作って名前をつけるように頼まれて、「楽道館」と名付けたのでした。

楽しみながら学んで欲しい、学ぶ事を楽しんで欲しいという思いであります。

という次第で、楽をしようとすると苦しみを生み出すことになりますが、なんにしても一所懸命にやっていると、今まで苦痛だったことが楽になることがあります。

そうなってくると、道を楽しむことができるようになると思った次第であります。

 
横田南嶺

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