夕照 – 心を空っぽに –
泉声、中夜の後
山色、夕陽の時
というのがあります。
泉の水が流れる音は、夜中に聞くのがいい、山の景色は、夕焼けの頃がいいという意味であります。
中夜というのは、夜を初夜、中夜、後夜の三つに分けたもので、夜中をいいます。
漢和辞典には午後九時頃から午前三時頃までと書かれています。
円覚寺においても、夕日に染まる山の景色は、なんともいえないあじわいがあるものです。
円覚寺で十月に舎利殿にお祀りしている仏舎利を開帳するときに唱える『舎利講式』のなかには、
「鹿山の高峯 夕べに窈窕たる皓月を見るは 即ち如來の白毫光を拝するなり。湘海の遠浦 朝に蒼茫たる暁雲を引くは 世尊の紫金容を現ずるなり。」
という言葉があります。
窈窕は奥ゆかしく、上品なさまをいいます。
円覚寺は瑞鹿山といいますので、鹿山というのは円覚寺のことを表わします。
円覚寺の山で夕べに奥ゆかしいお月様を見るのは、如来の眉間から放たれる光を拝むのと同じであり、湘南の遠い海で、青々と広がる暁の雲が浮かんでいるのは、仏様のお姿を現しているのだという意味です。
あるいは、『羅漢講式』に、
「夕照、紅霧に映ずるも、在在 賓頭盧尊者を現ず。寒烟、素練を施くも、頭頭諾巨羅聖人を顕す。」
とありますが、夕日が紅の霧に映えるというのが、羅漢尊者の姿を現しているのだという意味です。
それから、寒烟というのは、寒空にたなびく煙、もやのこと、素練は白い練り絹であります。
寒空にたなびくもやが、細い絹の糸を引いているように見えるのも、羅漢尊者の姿だというのであります。
夕照という言葉がいいと思います。
夕映えのことであります。
夕日に染まる山を眺めているのは、なんともいえないものがあるのです。
円覚寺では、時に空気が澄んでいると、富士山まで見渡せるのであります。
坂村真民記念館を訪れた折のこと、第一展示室に、「夕空」の詩の全文が掲げられていました。
これも良い詩なので引用させていただきます。
タ空
わたしはいつもひとりだから
あたたかいひとのこころにふれると
ほろりとする
生きていることがうれしくなる
暮らしていくことに力がでる
今日あなたに会って帰るさの
夕の空のきれいだったこと
近々虹までたつではないか
ああ
わたしはもう
野心もなく欲もない
ただしずかに生きてゆきたい
美しいひとの美しい心にふれて
こころみださず生きてゆきたい
という詩であります。
この詩は、西澤孝一坂村真民記念館館長の『かなしみをあたためあってあるいてゆこう』の中にも掲載されています。
西澤館長が註釈をしてくださっていて、「帰るさの」というのは古語で、「帰るときに」という意味なのだそうです。
西澤館長によると、「この詩は坂村真民が四十一歳から四十二歳の頃に書いたもので、第二詩集の『三味』の中に収められています」ということです。
そして西澤館長は
「真民の詩の中でも、特別純粋で、研ぎ澄まされた気持ちになれる詩ではないかと思います。
きれいな夕空の中に虹が立つ情景は、そうでなくても感傷的になりがちですが、温かい人の心に触れて、心が温かくなって、その人と別れて帰ってくる時にそういう情景に出合い、涙が流れるくらい、「ああ、生きていてよかった」と思ったのでしょう。
そういう気持ちを大切にして、野心も、欲も捨てて、静かに生きてゆきたいと思う、真民の本当に純粋で穢れのない気持ちが、素直な言葉で表現されています。」
と解説してくださっています。
そしてこの詩は、昭和二十五年頃、重信町(現在の東温市)にあった結核患者のための愛媛療養所に長く入院されていた方のお見舞いに行って帰ってきた日の情景を詩にされたのだということです。
その方は、敬虔なクリスチャンだそうで、昭和二十六年のクリスマスに、坂村家の三人の子供たちにクリスマス・ツリーをプレゼントしてくれたこともあるそうです。
その方は奇跡的に回復して普通の暮らしにもどることができたのだということであります。
西澤館長の『かなしみをあたためあってあるいてゆこう』には、私は「刊行に寄せて」という推薦文を書かせてもらっていますが、あらかじめこの本を拝読して、一番印象に残っていたのが、この「夕空」の詩でありました。
真民先生の感性の光る詩であります。
『かなしみをあたためあってあるいてゆこう』には、この詩のあとに、「一番いい人」の詩が載せられています。
真民先生の言われる「美しいひと」とはどういう人なのか、この詩を読むとよくわかりますので、こちらも引用させてもらいます。
一番いい人
何も知らない人が
一番いい
知っても忘れてしまった人が
一番いい
禅の話もいらぬ
念仏の話もいらぬ
ただお茶を飲みながら
鳥の声を聞いたり
行く雲を仰いだり
花の話などして帰ってゆく人が
一番いい
別れたあとがさわやかで
過ぎた時間が
少しも惜しくない人が
一番いい
西澤館長は、
「これは坂村真民が七十四歳の時に書いた詩です。
「何も知らない人」、「知っても忘れてしまった人」、「鳥の声を聞いたり/行く雲を仰いだり/花の話などして帰ってゆく人」、「別れたあとがさわやかで/過ぎた時間が/少しも惜しくない人」が「一番いい人」であるというのは、真民が理想とする人間の生き方を詠っているのだと思います。」と解説してくださっています。
更に西澤館長は、
「禅の世界では、心を空っぽにすること、「無の境地」に至ることが重要視されていますが、こういう人に自分がなりたい、という真民の想いが強く表れている詩ですね。」と書かれています。
禅の世界では、心を空っぽにすることを大切にするのですが、どうも、難しい禅語や、禅語録を蓄えてしまいがちであります。
それが、また執着になったりしてしまうこともあります。
夕照を無心にながめて、心を空っぽにしたいものです。
横田南嶺