報われない努力
人気にあやかろうということで、猫のクリアファイルを作りました。
これが好評のようです。
いつも何かとお世話になっている、心療内科医の海原純子先生にも、新しい猫のクリアファイルをお送りしたところ、ご丁寧なお礼状を頂戴しました。
「ほんとにかわいくて、ふわふわで、だっこしたくなりますね。
貴重なファイル、使うのがもったいないので、しばらく飾っておくことに致します」
と書かれていました。
私も仏像のクリアファイルなどですと、もったいないと思って、使わないのですが、猫の写真だと気楽に使えていいと思っていたのですが、人の受け取り方は様々だと思いました。
海原先生の「新・心のサプリ」をいつも愛読していますが、二月二十七日には「羽生選手のメッセージ」と題して書かれていました。
私は、フィギュアスケートについては全く分からないのですが、記事には「五輪三連覇の金メダルを逃したフィギュアスケートの羽生結弦選手の記者会見」について書かれていました。
「試合数日後に多くの記者を前にして行われた会見で羽生選手は「満足した4回転半だった。そのジャンプの最高点にたどり着いた」と述べている。」と書かれています。
そして、
「高い目標を持ち完全を求めて努力することは素晴らしいことだ。しかし、そうして努力しても結果に結びつかない場合が必ず起こる。また完璧を求めても失敗することがある。そうした時、一つでも失敗したら終わりと考えると気持ちは落ち込む。
こうした傾向は不適応的完全主義と呼ばれている。
しかし、高い目標を目指して努力するのは悪いことではない。
努力を続けても結果が伴わなかったり、失敗したとしても、それで終わりと思わずに自分の努力と進歩を認識しながら前を向いて進む場合は、適応的完全主義と呼ばれている。」と海原先生は書かれていました。
完全主義というのは、あまりよい意味では使われないと思いますが、不適応的完全主義では、気持ちは落ち込んでしまいますが、適応的完全主義だと、結果はよくないとしても自分の努力を認めることができるので、前を向いて進むこともできるのでしょう。
羽生選手が「報われない努力だったかもしれない」と競技の直後に言われたと新聞で読んだ記憶があります。
海原先生は、そのことを踏まえて、
「しかし、それから数日後の記者会見で、羽生選手は、高い目標に向かい失敗を恐れずに挑戦した自分に納得し結果としてメダルは逃したが、もっと別のメッセージを、見る人に送ったように感じた。
それは高い目標に向かって努力し挑戦する勇気と、たとえ結果が出なくても自分の進歩を認識することの素晴らしさを多くの人に、伝えたのだと思う。」
と締めくくっておられました。
いつもながら、心がすっきりとして、生きる力がわいてくる言葉であります。
数年前に作家の五木寛之先生と対談した折のことを思い起こしました。
ちょうど羽生選手の言葉について話題になったのでした。
この対談は、『命ある限り歩き続ける』(致知出版社)という本になっていますので、その中から引用します。
五木先生が、
「その羽生選手が「努力はウソをつく。でも無駄にはならない」と非常に印象深いことを言っていました。
必ずしも報われるとは限らないけれども、努力はすべきであるという含みを持った発言ですよね。
常人には及ばないようなフィジカルなアドバンテージを持ったあの羽生選手でも、時にはやったことが全部無駄だったという挫折もあるのかと思って、この言葉はとても印象に残っています。」
と仰いました。
私が、
「あの若さでよくそういう言葉が出てくるものですね。やっぱり一つの道を突き詰めていく人は、そういう厳しい発言も出てくるんですね。」
というと、
五木先生が
「いや厳しいですよ、この発言は(笑)。
だからすごいと思ったんですよ。
私自身を顧みてみますと、幸運などというものはないといつも思っているんです。
ネガティブ・シンキングと思われるかもしれませんが(笑)。
何かをやる時には最初から絶対これはうまく行かないと(笑)。
人はどのみち百年もすれば土に還る。
人生なんて知れたものと、あまり過剰な期待をせずに物事に取り組むところがあります。
上手くいかなくてもともとだと。壊れるとわかった城でも築いていくようなね。
人生は修羅の巷で、四苦八苦が満ち満ちているんだから、それが七苦、六苦に減っただけでもありがたいという気持ちがあるんです。」
そこで私が「それは羽生選手の言葉にも通じるものがございますね」というと、
五木先生が
「そうなんです、努力は必ずしも報われない。
でもやらなければ、と。」
と仰って話が発展してゆくのであります。
禅の修行というのは、努力は報われないと徹底して知らしめるものであります。
毎日の禅問答にしても、こちらがどんなに頑張って坐禅して得た答えにしても悉く完膚なきまでに否定されて終わりであります。
老師のおそばにも長年お仕えしてきましたが、いくら努力して工夫してご馳走を用意したとしても、いらんことをしてと言って文句を言われておしまいです。
しかし、その報われない努力をし続けることのみを学んだのです。
なにせ禅語に「雪を担って古井を埋む」というのがあるほどです。雪で井戸を埋めようというのですから、全く報われない努力を続けるのです。
五木先生のお考えのように、はじめからうまくゆかないと思っていると、たまに猫のクリアファイルが売れたりすると、それだけでもうれしいのであります。
横田南嶺