お墓のなかには
愛媛県宇和島のお寺から法要に招かれましたので、先日二年ぶりに四国に参りました。
思えば二年前の二〇二〇年の二月二十二日に坂村真民記念館で講演して以来であります。
あの講演のあとに、すべての講演が延期、または中止になったのでした。
今年は、坂村真民記念館ができてちょうど十年になります。
私もはじめて記念館を訪れて十年になるのです。
十年の間に何度も記念館を訪れて、真民先生のお墓にもお参りしてきました。
お墓にお参りするときには、いつも思い出す真民先生の詩があります。
わたしは墓のなかにはいない
わたしは墓のなかにはいない
わたしはいつもわたしの詩集のなかにいる
だからわたしに会いたいなら
わたしの詩集をひらいておくれ
わたしは墓を建てるつもりで
詩集を残しておくから
どうか幾冊かの本を
わたしと思うてくれ
妻よ
三人の子よ
法要もいらぬ
墓まいりもいらぬ
わたしは墓の下にはいないんだ
虫が鳴いていたら
それがわたしかも知れぬ
鳥が呼んでいたら
それがわたしかも知れぬ
魚が泳いでいたら
それがわたしかも知れぬ
花が咲いていたら
それがわたしかも知れぬ
蝶が舞うていたら
それがわたしかも知れぬ
わたしはいたるところに
いろいろな姿をして
とびまわっているのだ
墓のなかなどに
じっとしてはいないことを
どうか知っておくれ
この詩を知ってはいるのですが、それでも必ず宝厳寺の裏の小高い丘の上にあるお墓にお参りするようにしています。
真民先生は熊本のお生まれでしたから、お墓は故郷熊本に向けて建てられているのです。
墓石には坂村家とも何も書いていません、ただ「念ずれば花ひらく」の字が彫られているのみです。
十年前にはじめてこのお墓に参りしたときのことを思い起こしました。
三月の丁度いいお天気の日で、四国の明るい日差しが燦々と降り注ぎ、さわやかな風がすーっと吹き渡っていました。
何とも言えない清々しさでした。
真民先生の詩に「風と光」というのがあって、「風も光も仏のいのち」というのであります。
お墓にお参りしたとき、明るい日の光とさわやかな風とを感じながら、この風も光も坂村真民先生だと思ったのでした。
高校生の頃から真民先生とご縁をいただいて、毎月詩誌「詩国」をお送りいただきながら、生前の先生にお目にかかれず、残念な気がしていたのですが、十年前にこのお墓に参りして、風と光に真民先生を感じることができて、「ああ先生に会えた」という、何とも言えない喜びに満たされたのでした。
十年前にお参りしたときには、宝厳寺の一遍上人像にもお参りさせてもらったのでした。
真民先生は五十歳の年に、この一遍上人像に出逢いました。
一遍上人というお方は、南無阿弥陀仏という念仏札をみんなに配って日本全国を行脚された方です。
「旅衣木の根茅の根いづくにか身の捨てられぬ処あるべき」と詠われたように、全てをすてて念仏札を配る為に行脚しました。
この一遍上人を写したお像が宝厳寺にあったのです。
素足のままで質素なお衣を身に纏った、いかにも素朴なお像でした。
この一遍上人のお木像のおみ足に触れて真民先生はご自身の道がはっきりしたと言われます。
南無阿弥陀仏の札では受け取ってもらいにくいので、自分は詩を作ってそれを多くの人々に配ろうと決意されました。
一遍上人の志を受け継ぐことを決意されたのです。
そして毎月「詩国」と題して、詩を作って千数百人の方々に配っていらっしゃいました。
私も高校生の頃から大学を卒業するまでの間、その「詩国」を送っていただく一員に加えていただいていました。
そんな大事なお木像が、二〇一三年の八月に燃えてしまったのです。
お寺のご本堂も書院も庫裏もすべて燃えて無くなったのでした。
あの木像も燃えて無くなりました。
その後私も宝厳寺を訪ねて、その焼け跡に立って茫然としたことを思い起こします。
はじめてうかがった時にお目にかかった宝厳寺の和尚様はお人柄のよい方でありました。
私が突然訪ねたにもかかわらず、気持ちよくお迎えくださり、一遍上人像を拝ませてくださったのでした。
本堂も庫裏も、国の重要文化財に指定されていた一遍上人像もすべて燃えてしまい、その和尚様の心労は察するにあまりあるもので、体調を崩されてお亡くなりになってしまいました。
その後も、私は何度も宝厳寺を訪ねてきました。
奥様がお寺を守ってこられました。
そして和尚様のご息女が出家して、本山遊行寺に修行に行かれました。
無事修行も終えて、数年前には住職にも就任されました。
それから燃えた宝厳寺も、檀家さん信者さんや地元の方々のご支援のもとにすべて見事に復興されたのでした。
一遍上人像も、残された写真をもとに見事にできあがったのでした。
まるで昔のお像が戻ったかのようなのです。
二年ぶりに宝厳寺を訪ねて、お寺の皆様にも親しくお目にかかることができました。
再建された本堂もだいぶ馴染んできたように感じました。
お墓のなかにいないと詠われた真民先生でありますが、それでも真民先生が心から敬慕された一遍上人の生誕地宝厳寺を訪ね、裏山の丘に登って、「念ずれば花ひらく」の墓碑に手を合わせると、四国の明るい日差しとすがすがしい風に、真民先生の詩を感じることができるのであります。
横田南嶺