一羽の鳥を救い得ば
残念なことに、西澤孝一館長は、折から坂村真民記念館開館十年の記念行事の打ち合わせのためにご不在でしたが、西澤真美子さんがいらっしゃって、親しくお話することができました。
今行われている企画展は、「かなしみをあたためあってあるいてゆこうー悲しみ、苦しむ人々と共に歩む坂村真民の生き方ー」であります。
西澤孝一館長には、「かなしみをあたためあってあるいてゆこう」という題の著書もあるほどですので、今回の企画展に如何に力を注いでいるかが、よくうかがわれました。
まず入り口のはじめには、真民先生の自筆の大作「六魚庵箴言」がございました。
見る者を圧倒する気迫であります。
この詩は、真民先生の生涯を貫く思いであります。
六魚庵箴言
その一
狭くともいい
一すじであれ
どこまでも掘りさげてゆけ
いつも澄んで
天の一角を見つめろ
その二
貧しくとも
心はつねに
高貴であれ
一輪の花にも
季節の心を知り
一片の雲にも
無辺の詩を抱き
一碗の米にも
労苦の恩を思い
一塊の土にも
大地の愛を感じよう
その三
いじけるな
あるがままに
おのれの道を
素直に
一筋に
歩け
気迫のみなぎる六魚庵箴言のつぎには、「うた」というすべて仮名で書かれた詩がございました。
この詩の書がまた実に伸びやかで、軽やかで、六魚庵箴言の書とは全く対照的なのであります。
西澤真美子さんが、「父は詩の内容によって、その書体もずいぶん違っているのです、この「うた」は実にのびのび書かれています」と解説してくださいました。
うた
うれしいときには
うれしい
うたが
うまれ
かなしいときには
かなしい
うたが
うまれる
できるだけ
うれしいうたをつくろう
という詩であります。
肩の力を抜いて、こんな気持ちで生きてゆきたいと思ったのでした。
「かなしみはいつも」の詩の全文も真民先生の書でございました。
九十一歳の時の大作であります。
九十歳代の書がよく目にとまりました。
九十歳を超えて大きな書を書くのはたいへんな気力と体力が必要であります。
かなしみはいつも
かなしみは
みんな書いてはならない
かなしみは
みんな話してはならない
かなしみは
わたしたちを強くする根
かなしみは
わたしたちを支える幹
かなしみは
わたしたちを美しくする花
かなしみは
いつも枯らしてはならない
かなしみは
いつも湛えていなくてはならない
かなしみは
いつも噛みしめていなくてはならない
今回の企画展で私がはじめて知ることができたのは、北濱普門という方の事であります。
真民先生と交流のあったという北濱普門さんの「仏画」が縁のある方から記念館に寄贈されたということで、「かなしみの中に心安らげる仏画」がたくさん展示されていました。
北濱普門さんという方のことは寡聞にして存じ上げませんでした。
また調べてみようと思います。
展示の中に昭和三十三年の「真民ノート」という手帳の言葉がありました。
そのなかに北濱普門さんのことをその目が美しい人だと書かれていました。
目が美しいということは、心が澄んでいるということにほかなりません。
普門さんの仏画や、書を拝見しても実に清澄な感じがしました。
そして、真民先生はノートに、普門さんの目が美しいということを書いた後に、次の言葉を書き残されていました。
私は、この言葉に心打たれてメモをとりました。
禅をやっている居士の目もうつくしくない
師家であるという人の目もにごっている
そして却ってなにも知らない人の
目がきれいに澄んでいる
美しい眼の人に会うと
自分が洗われるような気がする
何が自分を美しくしてくれる
芸術か
宗教か
とらわれないことだ
とらわれたら眼が濁ってくる
という言葉であります。
「とらわれたら眼が濁っている」とは実に至言であります。
禅をやっても「自分は禅をやったのだ」というとらわれがあると、目が濁るのでしょう。
師家という指導者になったとしても、「自分は禅の修行を終えた師家なのだ」という思いや、公案禅問答などにとらわれがあると、目が濁るのでしょう。
心しなければなりません。
真民先生は、このように人の目を見ておられたのだと分かりました。
「とらわれないことだ」の一言を胸に刻みました。
展示の最後に、エミリー・ディキンスンという方の言葉がございました。
エミリー・ディキンスンという方のことも存じ上げませんでした。
その言葉というのが、
若し我れ心痛みたる一人だにも救ひ得ば
我が生活は無駄ならず
一人の憂慮(うれ)ひを去り得ば
一人の苦痛(なや)みを醫し得ば
弱りし鳥の一羽をば
助けて其の巣に帰し得ば
我が生活は無駄ならず
というのです。
真民先生が写しておられたものであります。
こういうエミリー・ディキンスンの言葉がもとになって、真民先生の「ねがい」という詩になっているのだと分かりました。
エミリー・ディキンスンの言葉のそばに、真民先生の「ねがい」がありました。
ねがい
一羽の鳥を
救い得ば
一匹の羊を
救い得ば
一人の人を
救い得ば
記念館を訪ねたあとに、西林寺にお参りしました。
真民先生の「三月八日」という詩に出てくるお寺であります。
この詩は、私が編集した「坂村真民詩集百選」にも載せた詩です。
この西林寺にも一度行ってみたいと思っていたのでした。
三月八日
三人の娘を嫁がせ終わって
わたしたち二人の思い出は
今も賽の川原で遊んでいる
茜のことにおよぶ
きょうは天気がいいので
歩いて四十八番札所の
西林寺にお参りする
茜よ
お前の命日の三月八日は
観音日であるし
十一面観世音菩薩と刻んである
梵鐘を二人で撞いて
お前の冥福を祈る
乳も飲まずに
あの世に行ってしまった
茜よ
お母さんの撞く
この鐘の音を聞いてくれ
そしてわたしたちがくるまで
お地蔵さまと一緒に
遊んでいてくれ
ちょうどお参りの方が、鐘を撞いてくれました。
いい鐘の音でした。
この鐘を撞いて、亡くなった娘である茜さんを供養されていたのだと思いました。
今回、西澤館長に会えなかったのは残念でしたが、久しぶりに坂村真民記念館を訪ねて、真美子さんにもお目にかかれ、真民先生のたくさんの書に接し、そして西林寺の鐘の音も聞いて、心が清められる思いがしたのでした。
横田南嶺