空とは?
「あわただしさに追われていたり、不安や緊張にとらわれたりしていませんか?
毎日がんばるあなたのために、心をなごませるヒントをご紹介します」
と書かれています。
まずはじめに心理テストがあります。
三つの質問に答えることによって、「あなたにぴったりのホッとする方法」が診断されるのです。
私も試しにやってみましたが、私にぴったりのホッとする方法というのは、
「おいしいものを食べる」でありました。
診断には、「気持ちがおだやかで、おっとりした性格のあなたですが、味覚や嗅覚が鋭いようで、おとしいものを探求することには強いこだわりを持っています。
そんなあなただけに、苦しいときでもおいしいものを食べさえすれば心がなごみ、一時的とはいえ、苦しみがウソのように消えてゆくことも」
と書かれています。
診断は四種類に分かれています。
ほかにも「旅行や運動後のひととき」、「親しい人とのおしゃべり」「ひとり静かな環境で過ごす」という方法があります。
人それぞれによって、ホッとする方法があるのだと思います。
こういうホッとしたひとときをもつことによって、また現実に戻って頑張りましょうということでしょう。
そしてまた現実に疲弊してしまうと、ホッとする時と場所を持ちましょうということになるのだと思います。
そんなホッとする方法のひとつに坐禅や瞑想もあげられるのかもしれません。
お寺に来て広い本堂でしばし坐禅をすると、ホッとするものでしょう。
しかしながら、仏教で目指すのは、ホッとするひとときではなく、この苦しみの連鎖から解放であります。
般若心経の冒頭には、
「観自在菩薩、深般若波羅蜜多を行じし時、五蘊は皆空なりと照見して、一切の苦厄を度したまえり」
と書かれています。
一切の苦しみからの解放を説いているのであります。
岩波書店の『般若心経 金剛般若経』にはサンスクリット原文からの現代語訳が載っています。
そこには、
「求道者にして聖なる観音は、深遠な智慧の完成を実践していたときに、存在するものには五つの構成要素があると見きわめた。
しかも、かれは、これらの構成要素が、その本性からいうと、実体のないものであると見抜いたのであった。」
と書かれています。
どういうわけか、一切の苦厄を度すという言葉は、サンスクリット原文には見当たらないのであります。
般若心経の後半で、能く一切の苦を除くと書かれていますので、そのことを強調するために漢訳のときに入れられたものと考えられます。
ダライ・ラマ猊下の『般若心経を語る』という本には、
「われわれ、自分自身の存在も、世界も宇宙も一切がこの五蘊の各要素からできている。大切な事は、五蘊のほかには全宇宙に何もないということである。」
と書かれています。
存在するものは、五蘊という五つの構成要素のみなのであります。
「嫌な人はいない、嫌だと思っている自分がいるだけ。」という言葉を何かで見た記憶があります。
我々は嫌な人がいると思いこんで、その嫌な人と遭うことを苦しみに感じてしまいます。
しかし、嫌な人という実体はないのです。
五蘊によって仮に存在しているように見えているだけなのです。
五蘊は色受想行識の五つです。
この感覚器官の備わった肉体が色です。
ある人を見て、不快な感じがするのが感受の受であります。
嫌な人だなと思うのが、想です。
どこかへ行って欲しい、いなくなって欲しいと思うのが行です。
その結果、あの人は嫌な人だという認識を作り上げます。
その嫌な人というのは、五蘊が作り上げたものにすぎないのです。
ひょっとしたら、その人は家庭では良いお父様かもしれません。
同様に好きな人というのもいないのです。
私が、その人を見て、きれいだなとか、美しいなと感じて、好きだなという想いを生じて、更に一緒にお茶を飲もう、食事をしようと意志がはたらいて、その結果好きな人だという認識を生じるのであります。
嫌いな人だと思っていても、その人は家庭では良いお父さんだったりします。
職場で嫌な上司だと思っていても、その方はその上の方からもっと利益を追求した依頼を受けていたのかもしれません。
『スッタニパータ』の中でお釈迦さまは、
「どんな苦しみが生ずるのでも、すべて無明に縁って起こるのである。」(728)
「およそ苦しみが生ずるのは、すべて妄執 (愛執)に縁って起こるのである。」
(739)
と明言されています。
無明は何も知らない状態のことです。
なにも真理が見えないから、「嫌な人がいる」と思いこんで、苦しみを作り出してしまいます。
逆に、愛着愛執によっても苦しみを作り出すのであります。
智慧をもって、それらはすべて五蘊が作り出した幻影に過ぎないとみることによって苦しみから救われると説くのが、般若心経であります。
五蘊には実体がないというのが、空ということにほかなりません。
こんな教えは、若い人には理解しがたいかなと思っていましたが、若者でも、こういう考えに救われる思いがするというのであります。
若者も若者なりに、この現実の世界に生きづらさを感じているのだと思いました。
一切は五蘊が描き出したまぼろしであり、その五蘊もまた空だとみることができれば、ほんの一時ホッとするだけでなく、完全なる安らぎになるのです。
本日、涅槃会、お釈迦さまがお亡くなりになった日であります。
涅槃とは煩悩の火が吹き消された状態の安らぎであります。
お釈迦様は三十五歳で悟りを開かれてすでに煩悩の火が吹き消された状態になったのですが、まだ肉体が残っているので種々の制約が残っていました。
この肉体が無くなって完全な涅槃に入ったと説かれているのであります。
横田南嶺