一寸先は光
村上信夫さんというのは、元NHKのアナウンサーであります。
円覚寺の夏期講座でもお話いただいたことがあります。
私も何度もお目にかかっています。
私よりも十一歳の年上なのですが、いつお目にかかっても、若々しくお元気でいらっしゃいます。
東日本大震災から五年経った頃に、お話を拝聴したことがあります。
そのときに、アナウンサーの仕事は聞くことだと仰いました。
そのことは今も印象に残っています。
またこの話はいろんなところでさせてもらっています。
私はそれまで、アナウンサーの仕事というのは、ニュースを伝えることだと思っていました。
それが、「聞くこと」というのはどういう訳なのかと不思議に思ったのでした。
ニュースで報道するにしても、「東日本大震災から五年が経ちます」と原稿を読むだけでは伝わらないのだというのです。
まず五年経って、現地に行って、現地の人の話を聞くことだというのであります。
村上さんは、石巻で三歳のお嬢さんを亡くした母親に話を聞いたのだそうです。
その母親は言ったそうなのです。
震災から五年経ったなんてとんでもない、私には、五秒しか経っていないというのです。
もし五年経っているのであれば、三歳のお嬢さんはもうランドセルを背負って小学校に通っているのです。
しかし、母親の記憶は止まったままなのでしょう。
五秒しかというのは、母親の実感なのです。
五年経ったなんてとんでもないという思いなのです。
現地にいって、そんな話を聞いて、五年経ったなんてとんでもない五秒も経っていないという母親の話を聞いて、その思いを受け止めて「あの震災から五年が経ちました」というのでは、全然伝わるものが違うのだというのでした。
そのときの話のテーマが、「伝えると伝わる」ということでありました。
このことにも考えさせられました。
私たちは伝えることには熱心に取り組んでいるつもりであります。
しかし、それが先方に伝わっているだろうかと思うと、心もとないものです。
伝えたつもりが、伝わっていなかったということが多いと反省させられました。
たとえていえば、自分自身が贅沢な暮らしをしていて、いくら質素に暮らしましょうと伝えていても、相手には何も伝わらないのです。
逆に言葉でなにも伝えていなくても、あるいは伝えようとしなくても、じわっと伝わってゆくこともあるのです。
よく紹介させていただく安積得也さんの
語る人尊し
語るとも知らで
からだで語る人
さらに尊し
導く人尊し
導くとも知らで
後ろ姿で導く人
さらに尊し
(安積得也『詩集 一人のために』善本社 より)
という詩で詠われているのは、語らなくても伝わるということであります。
さてその村上さんがこの四月から新しい企画をなさるというのであります。
どういうことかというと、村上さんのブログ(村上信夫のオフィシャルブログ)によると、
「文京区にある麟祥院というお寺で、「ことば」にまつわることをやってほしいという依頼があった。
「大人の寺子屋~次世代継承塾」を思いついた。
古希になっても「新しいこと」が出来るというのは有難いことだ。
ことばが揺らいでいる。ふるまいが揺らいでいる。考え方が揺らいでいる。いまこそ、ぶれない軸を持った生き方が求められる。
人の心にやさしく浸透していくことばで、次世代に伝えることを語り合う。様々な事柄に精通した人々と、村上信夫との対談企画。
今年の4月から来年3月まで、毎月第一金曜日18時半から開催する。」
というものです。
なんとその四月の第一日目の対談相手に私が選ばれたというのであります。
ほかに選ばれている講師の方の名を拝見しますと、私以外はみな有名な方ばかりであります。
どうして私なのか、不思議でなりません。
村上さんは、京都の建仁寺とのご縁も深いのであります。
先日お目にかかった折にも、村上さんのお母様のご実家であるお宅に、私は建仁寺で修行時代に何度も読経に通っていたことを話しました。
村上さんも懐かしがってくれました。
村上さんの信夫というお名前も建仁寺の時の管長竹田益州老師が命名されたのであります。
建仁寺の頃の話もさせてもらいましたものの、その程度のことではないと思いますが、なんとも光栄というか、身に余ることであります。
話をしていて、村上さんから『背筋が伸びる日本語』という本を教えていただきました。
さっそく手に入れて読んでいます。
村上さんもブログで、
「後生畏るべし
自分より年少から学ぶ。違和感を否定せず、違いの中に価値観を見出す。」
「人間(じんかん)到るところに青山あり
人間とは、人の住む世界のこと。青山はお墓のこと。お墓を意味するとは、この本を読むまで知らなかった。
故郷に骨を埋めなくても、いろんな場所で活躍すればいい。」
「「三日会わざれば、刮目(かつもく)して見よ」という。人は3日も会わないと、成長しているから、先入観は持たない方がいい。」
と紹介されています。
村上さんから、私が次世代に伝えたいことを一言にすると何になるか、それを対談のテーマにしたいと言われました。
とっさに思いついた言葉が、
「一寸先は光」
でありました。
坂村真民先生の「鳥は飛ばねばならぬ」という詩の中にある言葉です。
コロナ禍にあっても元気はつらつとした村上さんにお目にかかって、私も「一寸先は光」だと思ったのであります。
横田南嶺