いのちに触れる
よく忘れるのが名刺入れであります。
はじめてお目にかかる方には、必要であります。
私の場合などは、円覚寺の寺の住所も電話番号もホームページなどで公開されていますし、私の名前も載っていますので、わざわざ名刺を渡すこともないように思いますものの、先方からお名刺を頂戴すると、「有難うございます、円覚寺の横田です」といって名刺をお渡しします。
花園大学総長という名刺もありまして、滅多に使いませんが、たまに使うこともございます。
先日はじめ塾に行くときにも、いつもの習慣で老眼鏡と共に名刺入れも用意しましたが、使うことはありませんでした。
和田重正先生のご子息である和田重宏先生にはじめてお目にかかって、ご挨拶した折にも、和田先生は、「父は名刺を持ちませんでした」と仰いました。
思えば、円覚寺の先代の管長もつねづね名刺不要という方でありました。
あんな紙切れ一枚で何が分かるのかと仰っていました。
先方から名刺を出されても、こんな会社の住所しか書いていない名刺をもらっても何もならないというのでした。
そして和田先生は、「父は教育者と呼ばれていますが、そのように呼ばれることも嫌っていました」と仰せになりました。
そういうお気持ちも分かる気がします。
『葦かびの萌えいずるごとく』の「新版へのあとがき」に和田重宏先生が書かれていることを引用します。
和田重正先生は、「市井の教育者」と呼ばれると、
「教育だけをしているのではないんだがなあ」とひとりつぶやいていたというのです。
どういうことかというと、和田重宏先生は、
「それは、専門がもてはやされ、その分野だけの研究に没頭し、その結果専門細分化が進み、横のつながりを失い、どの方向に向かっているのかを見失ってしまった社会に対する揶揄としてのひとり言でした。
専門を否定しているのではありません。
専門分野にだけとらわれるのではなく、常に全体を見て、人類が進むべき方向を確認しながらでなくてはならないと言いたかったのでしょう。
専門を持たないというのは、裏を返せば全体をとらえる専門家とも言えるわけです。
その全体の関係性をあきらかにするのに必要だったのが“いのち”という言葉だったようです。
“いのち“の観点に立って世の中の動きを見ていたから、進むべき方向を見失った社会がどうなるかは容易に予見でき、現象に目を奪われることなく、そのものの核心をついた洞察ができたのです。
時代が変わろうと「いのち」は変わりません。その答えは一つもぶれることなく、この行き詰まりを呈している時代には、より一層の輝きを増していると感じられたのです。」
と書かれています。
では、この「いのち」とはどういうものか、これは『葦かびの萌えいずるごとく』から和田重正先生のお言葉を引用してみます。
「このいのちは、生物学でいういのちとは違います。
生物学では新陳代謝を行ない、生殖作用のあるものを生物、つまりいのちのあるものと言いますが、そういう意味では山や雲や石ころなどにはいのちがないということになりますし、私のいのちと大根の芽生えやコリウスの苗のいのちは別々のものだということになります。
ところが、私の苦しみ悲しみ、あるいは曲がった根性、ケチな根性など、あらゆるイヤなものを拭い去ってくれるいのちと称するものは、山にも川にも雲にも石にも、むろん動物にも植物にも人間にも、ともかくありとあらゆるものの中にある(本当は中ではないが)ので、おまけにそれが別々にあるのではなくて互いに交流し合っているのです。
このいのちに触れ、これを知って深い悦びを感じない人はいないでしょう」
というのであります。
私たちは、この小さな個体だけをいのちとして見てしまっています。
大地や空や空気や風や、あらゆるものと関わりあった躍動するいのちを見ていません。
金光寿郎さんは、和田重正先生を取材されていて、和田先生のことを高く評価されていました。
かつて『中外日報』という宗教専門誌に書かれていた記事にあったことですが、
金光さんが「何気なく、「理想像へ向かって精進して行けば、いつかはその境地に到達できるものでしょうねえ」と言うと即座に、「それでは、とんでもないところへ行くでしょうねえ」と返ってきました。
私の頭の中では、当然、「そうですよ、あなたも頑張ってください」といった返事が返ってくるだろうと無意識のうちに考えていたのが、全く違った言葉だったので、先生は私の言うことがよく聞こえなかったのではないかと思い、前より大きな声で同じ質問を繰り返したところ和田先生も前より大きな声で「それでは、とんでもないところへ行くでしょう」と断定されました。」
ということであります。
宗教的な理想像、あの人のような生き方をしたいという理想に向かって、一生懸命努力することは素晴らしいことのように思います、
そうして努力し続けていけば、いつかは目的に到達できるのかもしれません。
しかし、和田先生は、「とんでもないところへ行く」というのです。
和田先生ご自身がそのような理想像を追い求め続けて、どうにもならないところに追い詰められた体験があったようであります。
自分の頭の中で作り上げた理想を心の中に抱いて、求め苦しまれたのでしょう。
自分の思いやはからいを超えた大自然の営み、いのちそのものに触れるという体験をそこからなされたのであります。
「いのちに触れる」という感覚を失いたくないものです。
先日はじめ塾を訪れて、涙ぐましいまでに清められるものを感じたのは、まさに子どもたちの生き生き輝くまなざし、田んぼを耕し、野菜を作り、お茶やお味噌も作って暮らしている子どもたちに接して、いのちに触れた思いがしたからなのであります。
私たちも宗祖や祖師という理想像ばかりを追いかけ、その言葉を学ぶことばかりにとらわれて、枠にはまり型におさまってしまい、いのちに触れることを忘れてはいないか反省します。
横田南嶺