たくあんの話
円覚寺の修行道場では毎年二月に初め頃の恒例行事であります。
もっと早い時期にたくあんをつけるところが多いと思いますが、円覚寺では毎年この時期にたくあん漬けを行っています。
私も毎年必ずたくあんを皆と一緒に漬けるようにしています。
たくあんを漬けることや、梅を漬けるなどいうのは、やはり禅僧の基本であると思っているからであります。
もっとも僧堂の老師が、自身で漬けなければならないということはないのであります。
円覚寺の先代の管長さまは、たくあん漬けにはあまりご関心がなかったようでありました。人それぞれであると思います。
私が出家した時の師匠である小池心叟老師は、たくあん漬けがお好きでありました。
ご自身でもよく漬けておられました。
それから、思い出しますのが松原泰道先生の奥様のことであります。
泰道先生の奥様は、毎年膨大な量のたくあんを漬けておられて、お寺で食べるのはもちろんのこと、ご縁のある方に差し上げておられました。
私も学生時代によく頂戴したものです。
修行道場では、毎年一月の半ばに、三浦地方に大根の托鉢に参ります。
大根の托鉢ですから、大根鉢と申します。
神奈川県の三浦地方は、大根の有名な産地であります。
大根の季節にゆくと、辺り一面見渡す限りの大根畑なのであります。
円覚寺派のお寺が三浦に二ヶ寺ありますので、そのお寺のご協力をいただいて、お寺の周辺の農家を一軒一軒托鉢してお経をあげ、お札をくばり、そして数本ずつの大根をいただくのであります。
大根を作っている農家ですから、ほんの数本分けていただくことは、負担にもならないのであります。
数本ずついただいてきても合わせると何百本にもなるものです。
それらを、その円覚寺派のお寺の境内を借りて干させてもらいます。
干しあがった頃に取りにゆくのであります。
先代の管長の頃は、大八車で三浦まで大根を取りにいって帰ったのだと仰っていました。
今は大八車というわけにはまいりませんので、軽トラックを借りて取りにゆくのであります。
そして、漬けるのであります。
昨日、毎回の食事にどれだけの手間がかかっているかを考えるということを話しました。
たくあん漬けなどは食事の時に、ほんの片隅にあるようなものですが、それでも、修行僧たちが一日かけて托鉢していただいた大根を干して、漬けてたいへんな手間がかかっているものです。
まして況んや、取りにゆくまでに農家の方が大根の種をまいて大きく育ててくださったご苦労を思うとたいへんなものです。
農家さんの力だけではありませんので、太陽の光、水、空気、自然の気温などあらゆるものが関わりあって一本の大根をいただくのであります。
ですから地球の恵みをいただいているようなものなのであります。
それを頂戴するのですから、まさに命のお祭りなのであります。
さて、たくあんを『広辞苑』で調べてみますと、
①江戸初期の臨済宗の僧。諱は宗彭。但馬の人。諸大名の招請を断り、大徳寺や堺の南宗寺等に歴住。
紫衣事件で幕府と抗争して1629年(寛永6)出羽に配流され、32年赦されてのち帰洛。
徳川家光の帰依を受けて品川に東海寺を開く。書画・俳諧・茶に通じ、その書は茶道で珍重。著「不動智神妙録」など。(1573~1645)
②沢庵漬の略。
と書かれています。
たくあんといえば第一には漬物ではなく、臨済宗の僧侶の名前が出ているのです。
ついでにたくあん漬けを調べてみると、
「漬物の一種。干した大根を糠と塩とで漬けて重石でおしたもの。沢庵和尚が初めて作ったとも、また「貯え漬」の転ともいう。たくあん。たくわん。」
と書かれています。
たくあん和尚が作っていた大根の漬物を家光公が召し上がってお気に入り、何という名前かと聞くと、名前はないというので、たくあん和尚の名前をとってたくあん漬けというようになったという説を聞いたことがありますが、定かではありません。
ともあれ、臨済宗の僧侶としては一休さんと共にその名は誰でも知っているものであります。
ついでに、
沢庵の重しに茶袋
という言葉も解説されていまして、「少しも効果のないことのたとえ」であります。
沢庵和尚は、寛永十年西暦一六三三年に、円覚寺を訪れています。
ちょうど六十歳の頃であります。
そのときの紀行文『鎌倉順礼記』が残されています。
円覚寺を訪れた沢庵和尚は、
「開山仏光国師を拝するに、所から常ならず、仙境やかくあらんと覚ゆ、塔のさま殊勝なり、慈顔うるはしくいける人にむかふことく也。
いかなる屈強の人も泪をもよふす計也。
野鳥来たりて肩になれ、白龍けさに現ずと伝へしか、在世の有様をうつし、椅子に白き鳩をきさみそへたり」
と書かれています。
円覚寺の開山様をお祀りしているところは今の修行道場の奥にあります。
円覚寺の中でも一番の聖域であります。
沢庵和尚が、この聖地にいたく感激された様子がうかがわれます。
開山仏光国師のお像に対して、いけるごとくと感激されているのです。
開山仏光国師の肩のあたりには二羽の鳩が刻まれています。
野鳥もなじむお優しい人柄が偲ばれるのであります。
沢庵和尚には、『不動智神妙録』という著書があります。
私は中学生の頃、お寺の坐禅会で、この本を学びました。思いで深い書物であります。
そのなかにも仏光國師のことが出ています。
「鎌倉の無学禅師、大唐の乱に捕へられて切らるる時に、
「電光影裏斬春風」といふ偈を作りたれば、太刀をば捨てて走りたると也。」
と書かれています。
仏光国師が南宋におられた頃、元の兵士が襲ってきたのですが、泰然と坐って、漢詩を詠んだのでした。
その中の一句であります。
沢庵和尚は、
「無学の心は、太刀をひらりと振上げたるは、稲妻の如く電光のぴかりとする間、何の心も何の念もないぞ、打つ刀も心にはなし、切る人も心はなし、切らるる我も心はなし、切る人も空、太刀も空、打たるる我も稲妻のぴかり とする内に、春の空を吹く風を切る如くなり、一切止らぬ心なり。
風を切ったのは、太刀に覚えもあるまいぞ」
というのであります。
切る人も空、切られる者もまた空、切る太刀も空、稲妻がピカッと光るうちに、春の空を吹く風を切るようなものだというのであります。
「本心妄心」ということも説かれています。
本心というのは一カ所に留まらずに全身に伸び広がった心であり、妄心というのは、何かを思い詰めて固まった心だというのであります。
本心は水のように一カ所に留まらないけれども、妄心は氷のように固まってしまって、氷では手も洗えず頭も洗えないと説かれています。
氷を溶かして、手足でも洗えるようにするのと同じく固まった心も全身に行き渡るようにすることだと説かれています。
たくあんを漬けながら、中学生の頃に学んだ沢庵和尚の言葉を思い起こしていました。
横田南嶺