無駄はない
独り言
わたしが わたしに なるために
じんせいの しっぱいも ひつようでした
むだな くろうも ほねおりも
みんな とおとい けいけんでした
わたしが わたしになれた いま
すべて あなたの おかげです
おんじんたちに 掌(て)をあわせ
ありがとう ございましたと ひとりごと
こんな詩を思い出したのは、一月九日の毎日新聞日曜くらぶに連載されている、海原純子先生のコラム記事を読んだからでした。
「人生はジグソーパズル」という題の文章です。
一部を引用させていただきます。
なんでも海原先生は、幼い頃からジグソーパズルがお好きだったとうことです。
お一人で遊ぶ時が多かったらしく、
「不定形の厚紙をはめ込みながら最後に一つの絵になり、それで物語が完成すると何とも言えない達成感で幸せな気分になった。」
と書かれていました。
そして海原先生は、
「このパズルの面白いところは、こんなところにこれがあっていいのかなあ、と思うような違和感のある形が他の部分が整っていくうちにだんだん違和感が薄れ、その場にあるのが当然になっていくことだった。」
と書いておられます。
私も子供の頃に、楽しんだことを思い出しました。
たしかに、ひとつひとつの形は、不思議なものです。
なぜこんなところに、こんな形が合うのかなと思うことも多いものです。
そこから、海原先生は、ジグソーパズルを人生になぞらえています。
「人生には「何で自分はこんなことをしているのだろう」と思うような時がある。お金にもならず、たいして楽しいわけでもなく、人に喜んでもらえるようなことでもなく、それで何か得するようなこともないように見えることを何となくしていたりする。」
というのであります。
そうだな、その通りだなと思って読み進めました。
「ただ時が進み人生が次第に厚紙の断片で埋まっていくように変化するにつれて、不適切に見えた出来事の数々はその時にそれが起こったことで人生が進んでいったことがわかるようになるのだ。
いいことも嫌なことも困ったことも、失敗したことすらみな意味を持ちそれが生かされて自分の人生が出来上がっていることに気がついたりする。」
と書かれていたのでした。
はじめ幼い頃に一人でジグソーパズルで遊ぶのが好きだったという話から、人生に例えて、最後には素晴らしい話に仕上がっていて、まるでこの短いコラム記事がジグソーパズルのように思えるようでした。
感慨深く読み終えて、ふと松原泰道先生がよく引用されていた詩を思い出したのでした。
まだ、松原先生とご縁ができて、仏教を学び始めた頃には、この詩がよくわかりませんでした。
詩でいわんとしていることを理解できますものの、なぜそんな無駄なこと、回り道のようなことをわざわざしなければならないのか、どうせなら、まっすぐな道を歩いた方がいいと思っていたのでした。
この詩をしみじみと、なるほどその通りだなと思えるようになったのは、私もそれなりの人生経験を積んできたからだろうかと、思ったりするのであります。
修行道場に入って、修行を始めた頃には、なぜこんな無駄なことばかりをするのだろうかと毎日思っていたものでした。
大摂心という修行の時期には、坐禅をもっぱら行いますものの、日常の暮らしでは、坐禅よりも薪割り、畑仕事、草取り、食事の支度などに追われるのであります。
特に私は食事の支度の係をよくやらされたものでした。
とりわけ、みんなが坐禅に集中するという修行の時に、食事の係を務めると、なぜ自分だけ坐禅できずに、こんな仕事をしないといけないのかと思ったものでした。
老師のおそばにお仕えするようになったとしても、特別禅の教えを受けるというわけでもなく、料理や食事の支度、来客の応接などなど、毎日毎日やることが雑用のように思えたのでした。
しかしながら、今振り返ってみると、やはりをさ・はるみさんの詩にある通り、そんな無駄骨のおかげだとしみじみ思うのであります。
そのおかげで今の私があるのであります。
私は、まだ修行を始めて、私と同じような思いを抱く者には、砂金の喩えをします。
砂金を採るというようなことを実際にしたわけではありませんが、砂金を採るのに、多くは砂や泥ばかりをすくうのであります。
幾日も幾日も砂や泥ばかりを掻き出して、あるときにひとかけらの金を見つけるのであります。
幾日も幾日も無駄骨を重ねたようでありますが、そのひとかけらの金を見つけたら、今までの苦労は決して無駄骨でないのです。
その金を得るために体験だったということができます。
修行などというのはそのようなものだと話をするのであります。
大判小判がザックザックととれるようなものではないのです。
毎日毎日独参という禅問答を繰り返します。
これとて同じこと、毎日毎日否定されるばかり、なぜこんなことを繰り返すのかと嫌になる日々であります。
毎日毎日みんなの食事を用意していて、これでは食堂で働いた方がいいではないかと思うこともありました。
無駄の繰り返しのなかに、時にハッと感動に震える体験をするのであります。
毎日の食事の支度など、円覚寺の修行道場は薪とかまどで用意しますので、かなりの重労働であります。
慣れないうちには、一回の食事の支度でへとへとに疲れます。
終わった後に坐禅をしても疲れて身が入らなかったものでした。
それでも長年やっているうちに、その作業にも慣れてきます。
手際よく行うと余裕もできてきます。
呼吸を乱すこともなく、だんだんと坐禅の時と同じような心の状態で動けるようになってきます。
もっともそのようになるには、十年はかかったように思います。
そうしたある時に、かまどに薪をくべていて、薪が燃えてパチパチッとはじける音を聞いて、深い感動に包まれたことがありました。
先日の日曜説教で引用した、
家屋の作者よ! 汝の正体は見られてしまった。汝はもはや家屋を作ることはないであろう。汝の梁はすべて折れ、家の屋根は壊れてしまった。心は形成作用を離れて、妄執を滅ぼし尽くした。(一五四番)」
という法句経の言葉通りに感じたのでした。
梁は折れ、屋根は壊れた、もうこれでいいと確信できたのでした。
ああ、このひとつの体験のために、今までの十数年の無駄骨があったのだと、ひとりご飯を炊きながら喜んでいたことを思い出します。
後になって中国の唐代の禅僧洞山良价の語録を読んでいて、「糞掃堆頭、一顆の明珠を拾い得たり」の言葉を見つけました。
ゴミだめの中から、一粒の真珠を拾ったという意味です。
その光るものを見いだすことができたのでした。
しかしながら、それではまだ、ゴミと真珠の珠とは別物となってしまいます。
海原先生がジグソーパズルに喩えられたように、すべてはそこになくてはならいものだったのであります。
無駄な骨折りも、嫌な人とのおつきあいも、無ければいいと思ったことも、みんな人生のジグソーパズルのようだとみた方がよろしいと思ったのでした。
無駄はないとしみじみとこの頃思います。
横田南嶺