禅宗と観音経
朝だけではなく、日中にも読んでいます。
夕暮れにも読んでいます。
就寝の前にも読んでいます。
それほどまでに、毎日観音経を読むのであります。
私がまだ中学生の頃、坐禅をしながら、なぜ観音経を読むのかよく分かりませんでした。
観音経に何が書いてあるのか、解説書などを読んでみると、人々が苦しみに遭っているときに、観音様の名前を称えると、観音様が救ってくださると書いているのであります。
中学生の頃には、なぜこんな現世利益の経典を読むのか不思議に思ったものでした。
坐禅をしながらも、観音経には違和感を覚えますし、そうかといって金剛経を読んでもさっぱり分からず、五里霧中であったことを思い起こします。
夢窓国師の『夢中問答』には興味深いことが書かれています。
講談社学術文庫の川瀬一馬先生の現代語訳を引用させていただきます。
「唐土の禅院では、毎朝、粥をいただいて後、大悲の呪(千手陀羅尼)一遍などを誦するだけである。これはすなわち、坐禅を根本とするからである。
夏安居の坐禅修行中に楞厳会といって楞厳呪をよむことも、近い世に始まったことだ。それも夏安居の間だけである。
毎日の晩ごとに放参と名づけて楞厳咒をよむことは、日本から始まったことだ。
唐土で放参というのは別のやり方をいう。
建長寺の初めの頃には、日中のお勤めはなかった。
それが、蒙古が襲来した時、天下の大事の御祈橋のために、日中に「観音経」をよんだ。
それが、そのまま慣習になって、今では三時(朝昼晩)のお勤めとなっている。
かようなお勤めも、禅宗の本意ではないけれども、年来慣習になったことだから、後の世の長老たちも中止されないでいる。」
というものです。
夢窓国師の仰せによれば、やはり禅宗は坐禅を専ら行っていて、あまり経典の読誦などはしなかったということであります。
観音経の読誦は、蒙古襲来からだというのは、興味深いものであります。
まさに国難でありますから、禅宗の僧侶たちも一心に観音経を読んで祈ったのでありましょう。
その習慣がずっと残っているということなのです。
禅宗の世界では、伝統を大切にしますので、ひとたび習慣になってしまうと、ずっと続けてゆきます。
毎日読んでいる観音経ですが、その読誦の習慣が蒙古襲来、元寇にあったことは驚きであります。
ということは、元寇がなければ観音経は読んでいなかったかもしれないのであります。
以前「他人の幸せを願うことは自分の心を穏やかにする」という心療内科医の海原純子先生の言葉を紹介したことがありますが、世の中の安穏を祈るということもまた、お互いの心を穏やかにしてくれるものであります。
しかし、禅宗で観音経を読むのは、単に祈るということだけはないのであります。
沢木興道老師の『観音経講話』には、
「『観音経』に習うことは、観音さんになることを習うのである」と書かれています。
また更に、
「観世音菩薩の名を持つとは、観世音菩薩と自分とが一体になって、天地一杯になることである。観世音菩薩だけになる、通常の言葉で言えば、無我になることである。ただ単に無我というだけでは分からぬ、己を空しうして道と一体になることである。」
と説かれているのであります。
単に観音様に救いを求めるというのではなく、観音様になるというのであります。
釈宗演老師は、『観音経講話』の中で、
「私自身が観世音菩薩の現われである。」
と明言されています。
それはどういうことかというと、
「多くの人のうちには、それは坊さんの側からそういうのであろう、仏教の見るところはそうでもあろうけれども、我々は人間であって、観音の現われではない、とこう思う人もあるかもしれない。
しかし、私に云わせると、どうしても我々は観世音菩薩の現われであると、明らかに云い得ると思う。
それは何故かというに、段々、経文の中に這入って行くと詳しく分かるのであるが、だいたい観音というのは、観音すなわち慈悲と智慧と、そして勇猛心のこの三つの現われである。
それは、独り向こうに崇め尊んでいる一つの観世音菩薩のみならずして、我れ自身の内容を叩いてみると、やはり我々は、もとより生まれながらにして大慈悲心をもっているのである。この大慈悲心をもって我々が生まれているということは、私は決して無理な言い分ではなかろうと信ずる。」
ということなのです。
観音様の心をお互いは本来みんな持っていると説くのであります。
そのことに目ざめるのが坐禅にほかなりません。
観音様を念じるということも、観音様の心があらわになるということなのであります。
宗演老師は、
「我々が心に逆らった境遇に身を投じる時には得て、怒りを発するものである。こういうことはお互いに経験していることと思う。誰にでもあることと思うが、自分の思っていることに、あべこべのことを持って来ると、猛火炎々として、嗔りの心が頭をもたげてくる。人と人とが何か話をして、ひょっと感情の衝突を起こすと、心の中の猛火が炎々と燃え立って来ることがある。
そういう時には平生、観音様を信じておる人、少なくとも平生、多少精神的の修養がある人ならば嗔の心がむっと頭を上げて来たのを、まぁ待てと頭を押さえることができる。」
と説いています。
それはどういうことかというと、
「ゆえに平生、心を練っている人は、何かそういう心持になった時は、観音様のお顔をちょっと拝む、どうして拝むかというと外でもない、我々は観音様の現われであるはずである。言い換えれば、我々は大慈悲の現われである。我々は大智慧をもとよりもっているはずである。我々は大勇猛心をもっているはずである。とこういう工合に拝むのである。すなわち自省自憤で人に瞋らず、我を責めるのであります。」
ということなのです。
本来の慈悲の心に目ざめるのですから、怒りの心もおさまるというのです。
そうして見ると坐禅することも観音経を読むということも、本来持って生まれた慈悲の心に目ざめることにほかならないのですから、ひとつになるのであります。
横田南嶺