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臨済宗大本山 円覚寺

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2021.12.26
今日の言葉

人の幸せを願う心

「菩提心」という言葉があります。

岩波書店の『仏教辞典』で調べますと、

「<道心><道意><道念><覚意>ともいう。

<無上道心><無上道意>の訳語もある。悟り(菩提)を求める心、悟りを得たいと願う心などの意味。」

という解説があります。

文字通り「菩提」を求める心なのであります。

更に、『仏教辞典』には、次のようは解説がございます。

「そして時代が下るにつれ、菩提心は、悟りを求める心から、衆生の悟りを可能にする根元的な心識へと展開していった。」

というのであります。

自らの悟りを求めるというよりも、人を救おうという心を意味するようになっていったのでした。

『法華経』には、

「諸仏世尊は、衆生をして仏知見を開かしめ清浄なることを得せしめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして仏知見を示さんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして仏知見を悟らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして仏知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。舎利弗、是れを諸仏は唯一大事因縁を以ての故に世に出現したもうとなづく。」

という言葉があって、一大事というのは、人々に仏の智慧を開いてもらうことだと説かれているのであります。

『無量寿経』には、阿弥陀如来の誓願が説かれていますが、特に大切にされるのが第十八願であります。

そこには、阿弥陀如来の願いとして、

「たとひ我れ仏を得たらんに、十方の衆生、至心に信楽(しんぎょう)して我が国に生ぜんと欲し、乃至十念せんに、もし生ぜずんば正覚を取らじ。」

という願いが説かれています。

これは、「誰もが浄土に生まれたいと願って、念仏を唱えて、もしも浄土に生まれなければ、私は悟りを得ることはしない」

という誓いなのであります。

また『普賢行願讃』には、

「乃至、虚空世界が尽き、衆生と及び、業と煩悩も尽き、是の如くに一切の尽きること無き時、我が願いは究竟じて恒に尽きること無し」という一文が説かれています。

この世界が尽きて、人々の苦しみが尽きることが無い限り、自分の願いもまた尽きることがないという意味です。

そのように、大乗仏教では、自らの悟りを目指すことよりも人を救うという面が強調されるようになってきました。

そこで、道元禅師は、『正法眼蔵発菩提心』の中で、

「菩提心を発すというは、己れ未だ度らざる前に一切衆生を度さんと発願し営むなり」と述べておられます。

どういうことかというと、菩提心をおこすということは、自分が悟るよりも、あらゆる人々に幸せになって欲しいと救いの手を差し伸べようと決意し、行動することだというのです。

そして、道元禅師は、

「そのかたちいやしといふとも、この心をおこせば、すでに一切衆生の導師なり」とまで述べていらっしゃるのであります。

これはどういう意味かというと、その姿がみすぼらしくても、人を導こうという心を起こせば、まさしく一切衆生の導師なのです。

白隠禅師もまた菩提心とは、「四弘の願輪に鞭打あてゝ、人を助くる業をのみ」と『お婆々どの粉引き歌』で述べています。

というように、人のことを思うようになっているのであります。

ちょうど毎日新聞十二月十九日の日曜くらぶに連載されている海原純子先生の「新・心のサプリ」には、「人の幸せを願う」という題で書かれていました。

まず海原先生は

「先日、貧しい家庭の子どもたちを支援する活動をなさっている組織の代表を務める女性からお話をお聴きする機会があった。母親ひとりで子育てをしている家庭が多いそうだがノートなどの文房具を買うお金が足りず、食べるものも不足しているのだという。」

という現代社会の貧困の問題を取りあげています。

そして更に、

「その数日後テレビで緊急事態宣言解除後のリベンジ消費というテーマが放送されて、60代の女性が、40万円のハンドバッグを買った、年代は忘れたが、女性が数万円のコートを買ったという発言を聞いて複雑な気持ちになった。」

というのです。

海原先生は、「一億総中流と言われていた時代から一気に格差のある社会になった」のが今の日本だと指摘されています。

そんな世の中にあって、海原先生は

「他人の幸せを願うことは自分の心を穏やかにする」ことについて説かれています。

そういう研究報告もあるのだそうです。

そして「直接の手助けはできなくても、心の中でみんなの幸せを願う人が増えると、社会はもう少し穏やかになるのではないだろうか」と書いていました。

菩提心というのは、このみんなの幸せを願う心だということもできます。

山田無文老師は、若き日に、

「この地球を全部牛の皮で覆うならば、自由にどこへでも跣足(はだし)で歩ける。が、それは不可能である。

しかし自分の足に七寸の靴をはけば、世界中を皮で覆うたと同じことである。

この世界を理想の天国にすることは、おそらく不可能である。

しかし自分の心に菩提心をおこすならば、すなわち人類のために自己のすべてを捧げることを誓うならば、世界は直ちに天国になったにひとしい」

というチベットの経典にある言葉に触れて、この道に志したのでありました。

私の中学生の頃に、ラジオで無文老師のこのお話を聞いて感動したのでした。

みんなが菩提心を持てば、世の中は平和になるのであります。

 
横田南嶺

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