小さきままに
この主山と按山というのが、難しいものです。
意味から考えれば、高い山が主山で、低い山が按山なのです。
高い山は高く、低い山は低いということです。
碧巌録にもこの言葉があって、岩波書店『現代語訳 碧巌録』の註釈では、
『碧巌集方語解』には、中国で宮城・邸宅を造営する時、北方に高い山、南方に低い山があり、北の高い山に続いてそれを輔ける山が有るところをよしとし、それぞれ主山・案山・輔山というとするが、その説のように、陽宅風水、特に寺院造営上の風水を踏まえていったものともとれる。
と説かれています。
『荘子』の中に鶴の足と鴨の足の譬えがあります。
講談社現代学術文庫の『荘子 全訳註』の訳文を引用します。
「あの真に正しい道というのは、自己の性命の自然な姿を失わないことである。」
「鳧の脛が短いからといって、無理に継ぎ足して長くしようとすれば、鳧は苦しむし、 鶴の脛が長いからといって、無理に切り取って短くしようとすれば、鶴は悲しむ。
だから、生まれつき長いものは、無理に切り取って短くすべきではなく、生まれつき短いものは、無理に継ぎ足して長くすべきではない。
取り除くべき苦しみなど、始めからないからである。
考えてみると、仁義の教えなどというものは、人間の自然な姿と言えないのではなかろうか。
仁の道に努める人たちの、何と苦しみの多いことか。」
「異なってはいるけれども、無理に細工を加えようとすれば、一様に苦しむのである。」
と説かれています。
『金剛経』という経典には、
「この法は平等にして高下有ること無し。
これを阿耨多羅三藐三菩提と名づく」
という言葉がありますが、これは何も高いも低いもなくして同じ高さにして平等だというのではありません。
主山は高く、按山は低しというように、高いものは高いなりに、低いものは低いなりに平等だということです。
「凡そ差別なきの平等は仏法に順ぜず、悪平等の故なり。
また平等なきの差別も仏法に順ぜず、悪差別の故なり」
という言葉もあります。
なんでもみな一緒にしてしまうのは悪平等になってしまいます。
かといって、そこに平等なるものを見いだしていないと、悪差別になってしまいます。
かの明恵上人が、小さなすみれの花が咲いているのに合掌されたという話がありますが、小さな花にも、大輪の花にも等しく仏のいのちが宿っていることに手を合わされたのでしょう。
鈴木大拙先生は、
「野の花は自己を意識せずして咲き、人間がこれを鑑賞しようとしまいと一向に頓着しない。
空の鳥は、まったく心のままに軽やかに天空を飛びまわっており、鳥の愛好者や科学者が、自分達を観察したり研究したり鑑賞しているのを少しも意識しないでおりながら、なお神の恩恵を受けている。
生きているということの彼等の幸福とよろこびは、どう見ても人間の存在などでは露ほどもそこなわれていないし、また、自分達の内側の世界で起ることにまったく無意識でいても、その幸福とよろこびには、少しも変りはない。
彼等は無知・無関心でおり、一切の思考を欠いているにもかかわらず、ソロモンの栄華にも勝る栄光に輝いている。」(『鈴木大拙全集』第二十一巻(P416-417))
と説かれています。
聖書の中にも、
「野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。
働きもせず紡ぎもしない、
しかし、言っておく、栄華を極めたソロモンでさえ、この花ひとつほどにも着飾ってはいなかった。
今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。
まして、あなたがたにはなおさらのことではないか」
というすばらしい言葉があります。
小さきは
小さきままに
花咲きぬ
野辺の小草(おぐさ)の
安けさを見よ
という歌を思います。
『江戸の秘密』という本を読んでいると、興味深いことが書かれていました。
「今から三〇年以上前、韓国の文芸評論家である、李御寧氏が書いた、『「縮み」志向の日本人』(講談社学術文庫)という本がベストセラーになりました。
当時、40歳手前の働き盛りだった私は、ダム建設現場にいました。
そして余暇を見つけては、夢中になってこの本を読んだ記憶があります。
日本人は、常に「小さいもの」を求め、「小さいもの」へと向かう傾向がある。何かを小さく凝縮し、緻密・細密にしたがる。つまり、日本文化とは「縮み」志向なのである。そういった内容の本でした。」
と書いています。
「大津波、台風、火山の噴火、地震、大洪水などたえず何か大災害にさらされた日本は、地球上の他のどの地域よりも危険な国であり、つねに警戒を怠ることのできない国である」。と言ったのは、大正時代に駐日大使をつとめた仏詩人クローデルでした。
クローデルは、
「この動く大地の上では、日本人はただ一つの安全策しか見いださなかった。それは自分をできるだけ小さく、できるだけ軽くすることである。」と言っています。
そして「小さく、軽く」とは紙と木の家に家財もわずかな簡素な生活と、驚くべき自制心に満ちた人々を指しているのです。
『江戸の秘密』では更に「「大きいことこそ美しく正しい」「大きいことこそ理想」というのは、アメリカや中国、ロシアなどの広大な大陸の中で育まれた価値観かもしれません。
しかし、国土が狭く山が険しい日本では、大きいことはむしろ、無駄で邪魔なのです。
狭い土地の中で暮らす日本人にとっては何事も、小さい、スモール、のほうがより適しています。
そのほうが、はるかに便利で暮らしやすいのです。そういう意味で私は、「縮み志向はいい。日本は縮んでいこうじゃないか」と主張したくなります。」
と書かれています。
少しでも大きく強く、早くという考えから、小さきもの、弱きもの、遅いものへと目を向けてゆきたいものです。
横田南嶺