志があれば、天が守ってくれる
大きく揺れる時には、心配になるものです。
そんな時に、必ず思い起こす話があります。
白隠禅師が二十三歳の時の話です。
宝永四年、西暦一七〇七年、白隠禅師は、伊予の松山にいました。
松山の正宗寺にいて、それから福山の正寿寺に行き、更に備前岡山におもむきました。
そんな頃に、ある山寺に泊まって、そこに谷川が流れているのを見て感じるところがありました。
その時に作った詩が、
山下に流水有り、滾滾として止む時なし。禅心若し是の如くならば、見性豈に其れ遅からんや
というものです。
兵庫に行く途中で、仲間が病になってしまい、その荷物も白隠禅師は持ってあげました。
ほかの仲間の荷物も持ちながら、このわずかな善根によって、早く見性という悟りが成就しますようにと念じたのでした。
兵庫の津につくと、ちょうど出る船があったので、仲間と共に船に乗りました。
明け方になって目が覚めるとみんな真っ青な顔をしています。
どうしたのかと聞くと、昨晩は大波でたいへんだったとか。
一緒に出航した船、十艘のうち、助かったのはこの船だけだったのでした。
お坊さんたちは皆お経を読み、船頭さんも自らの髻を斬って竜王に祈ったというのです。
白隠禅師だけは、みなの荷物を担いだ疲れでぐっすり眠っていたというのでした。
白隠禅師は陰徳を積めば必ず陽報があると得心したのでした。
それから美濃の瑞雲寺におもむいて馬翁和尚の看病をしました。
和尚の病気が治ったので、白隠禅師は故郷に帰りました。
その時の冬のことです。
禅文化研究所発行の『白隠禅師年譜』を参照しますと、編者の芳澤勝弘先生が次のように訳してくれています。引用させていただきます。
「この冬、富士山の内輪から火が噴き出して山の中心部が数日にわたって焼けた。山河は音をたてて揺れ動き、(噴煙で)日も月も隠れた。
そのうちに、火の勢いは東の中腹に移って、そこから(溶岩が)流れ出した。
さながら無底の黒火坑が現われたようである。そして噴煙があがって万畳の雲となり、焔がほとばしり百千の雷が閃いた。砂石が大雨のように降り、大地は震動して壊れんばかりであった。
火口の方面にあった村落では、降る石のために活き埋めとなった者が幾千人も出た。」
というような大災害だったのでした。
そんな時に白隠禅師はどうしていたのでしょうか。
「この時、松蔭寺のあたりも大地が大揺れし、建物は音をたてて震動した。兄弟子と手伝い方の童僕たちは、みな走って、一緒に郊外に逃げてうずくまっていた。
しかし、慧鶴だけは、ひとり本堂で兀然と坐禅をした。
そして心に誓った、「もし自分に見性することのできる運勢があるならば、諸聖が必ずやこの災害から守ってくれるであろう。もしさもなくば、壊れる家の下敷きになって死のうとままよ」と。
そこに生家の俗兄(古関)がやって来て、「危険が目の前にあるというのに、おまえは何で悠々とこんなことをしておるのか」と言う。
慧鶴は「わが命は天に預けたから畏れることはない」と答えた。
俗兄は再三にわたって説得したが、慧鶴は堅く誓って起たず、なおも誓願をたてて、この嶮難のさなかで工夫を試みた。やがて鳴動がおさまった。
慧鶴は端然として、一つも損傷するところはなかった。」というのです。
この話を読むと私は、『論語』にある
文王既に没したれども、文茲に在らずや
という言葉を思い起こします。
明治書院発行の『新釈漢文大家1 論語』にある吉田賢抗先生の訳を参照します。
「孔子が匡で大難にあって、殺されそうになった時、孔子は落ちつきはらって次の如く言った。
聖人の道は周の文王によって盛大を致したが、その文王はもう既に亡くなってしまっている。文王の亡き後の文明の道の伝統は、このわたしの身に伝わっていないであろうか。
もしも、天の神がこの文明の伝統を滅亡させてしまうつもりなら、文王の後に生まれたこのわたしは、文王の作った文明の道を学び得ることはできなかったであろう。
しかし幸いにも、わたしは文王の教えを学び、その道を体得している。
もし天の神が、まだこの文明の伝統をほろぼさないつもりならば、文明の修得者であるこのわたしは、きっと天の神がお守り下さるだろう。
天の加護のあるこの私を、匡人如き者が一体どうしようとするのか。断じて指一本わが身にふれることはできまい。」
というのです。
白隠禅師が、大地震の最中にも、自分がもしも悟りを開いて人々の為に役に立つようになるのなら、天が私を見捨てたりはしないと思ったのでした。
孔子もまた、文王の優れた教えを伝えているこの私を天が滅ぼすことなどあろうか、ありはしないと思ったのでした。
もっともアフガニスタンで支援活動をなさっていた中村哲先生のようにすばらしい志をもって活動されていても、災難に遭ってしまうことがありますので、やはり用心するに越したことはありません。
志が正しければ天が守ってくれるという思いは大切であります。
横田南嶺