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臨済宗大本山 円覚寺

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2021.11.15
今日の言葉

障子をあけてみよ

車の製造で有名なトヨタ自動車という大会社があります。

そのトヨタ自動車という大会社は、もともとは、豊田佐吉が、豊田自動織機という織物の会社の中に作った自動車部だったのだそうであります。

私もこの度初めて知ったのでした。

といいますのは、今年になってこの、豊田自動織機という会社から取材を受けたのでありました。

トヨタ自動車の一番の起源である豊田自動織機は今も続いています。

トヨタグループ㈱豊田自動織機 トヨタL&Fカンパニーで出されている物流改善情報誌『T-VOICE』の取材を受けたのでした。

豊田自動織機の社長さんもわざわざお越しくださり、懇談もさせていただいたのでした。

この情報誌ができあがって、何部かいただきました。

一般には販売されているものではないのです。

「仏教や禅の教えを通した仕事へのヒント」というテーマで取材を受けたのでした。

今までにもいろんな著名人が載っているのでありますが、この度は私如き者を取材していただいたのでした。

その情報誌を、静岡県湖西市にある東福寺の和尚に差し上げたところ、和尚さんから、『障子をあけてみよ 外はひろいぞ 豊田佐吉ものがたり』という冊子を頂戴しました。

豊田佐吉のことを私はあまりよく存じ上げていなかったので勉強になりました。

豊田佐吉は、今の静岡県湖西市山口に慶応三年(一八六七)に生まれたのでした。

明治になる少し前のことです。

父親は大工さんだったのでした。

『障子をあけてみよ 外はひろいぞ』は、佐吉少年が、湖西市山口から岡崎にある天神様まで歩いてお参りにゆくという話から始まっています。

一人の男の子が、ホコリだらけでいなか道を歩いていました。

途中で馬車に乗ったお百姓さんが、馬車に乗るように声をかけても乗りません。

岡崎までは四十キロほどもあるのです。

子どもが歩いてゆくにはたいへんな距離です。

佐吉少年はある晩両親が話をしているのを聞いてしまいました。

小学校を卒業したら大工にしようという父親に、あんなに体の弱い子に、家を建てたり重い荷物を運んだりする大工仕事は無理ですと母親は言っていました。

佐吉少年は、その話を聞いて岡崎の岩津天神にお参りして体が強くなるように祈願すると言いました。

岩津天神様は、体の弱い子がおまいりするとじょうぶになるという神様なのです。

しかし、四十キロもある道を子どもが歩いてゆくのは大変であります。

そうして、一人で天神様まで歩いて行ったのでした。

苦労しながらも無事に歩いてお参りしてきた佐吉少年にお父さまは、喜んで褒めてあげました。

そして、「大事なのは何でも最後までやり抜くことだ」と諭しました。

この言葉が佐吉少年の生涯を支えたのでした。

佐吉少年の母はいつも機織りをしていたのでした。

一日坐って機織りしてもほんの少ししか布は織れません。

そんな母の苦労を見て育った佐吉少年は、大きくなって、人の役に立つ機械を発明したいと思うようになりました。

そして、お母さんがもっと楽に布を織ることができる機織り機を発明しようと思ったのでした。

佐吉はそうして機織り機のことばかりを考えるようになりました。

とうとう大工をやめて機織り機の研究に専念しました。

周囲の反対があったのは言うまでもありません。

明治二十三年に東京の上野で内国勧業博覧会というのが開催されました。

外国のすぐれた機械を集めたものでした。

佐吉は、その博覧会の機械を熱心に見てまわりました。

そこで、外国の機械よりももっとすぐれたものを作りたいと思ったのでした。

そしてようやく人力織機を作ったのでした。

はじめは二本の手を使わないと織れなかったものを片手だけで織ることができるようにしたのでした。

更に明治二十九年に日本ではじめて動力織機を発明したのでした。

後にアメリカやヨーロッパにも行って見聞を広めて新しい織機を発明したのでした。

そんな体験から、まわりの者には口癖のように

「障子をあけてみよ、外はひろいぞ」と言っていたというのです。

せまいところに閉じこもっていてはだめだ、もっと外の世界に向かって飛び出そうというのでした。

アメリカやヨーロッパに行って、町を走り回る自動車に佐吉は驚いたのでした。

更に大正十二年関東大震災があったときには、外国の自動車が大いに活躍していたのでした。

そこで、佐吉は息子の喜一郎に、これからは外国に負けない自動車を作らないといけないと言って、自動車づくりの会社を作るように言ったのでした。

やろうと思ったら最後までやりぬこと、お母さんの為に機織り機を作ってあげたいという心、外国に負けないという気概、いただいた小さな冊子からたくさんの事を学びました。

禅語に、雲門禅師の言葉として、

庵内の人、なんとしてか庵外の事を知らざる

というのがあります。

庵の中にいる人はどうして庵の外のことを知らないのかということです。

十牛図にも

庵中には見ず、庵前の物。

水は自から茫茫、花は自から紅なり。

という言葉もあります。

部屋の中にいると、外の世界が何も目に入って来ないが、川は広々と流れ、花は花で紅く咲いている。

という意味です。

自我という凝り固まった殻の中にとどまっているだけでは、いけないということです。

もっと広い世界に気がつけという教えであります。

海あれば山もありつる世の中にせまき心を持つな人々

という黒住宗忠の和歌も思い起こしました。

豊田自動織機さまとのご縁で、改めていろいろと学ぶことができました。

 
横田南嶺

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