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臨済宗大本山 円覚寺

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2021.10.06
今日の言葉

どうして迷うのか – 迷いの構造 –

お釈迦様の教えは、四諦八正道、十二因縁というのが主要なものだとよく説かれています。

四諦、八正道は分かりやすいものです。

四諦というのは、四つの真理であります。

苦集滅道の四つであります。

第一は、苦諦といって、この世に生きることは苦しみであるという真理であります。

苦諦の諦は真理という意味であります。

生老病死の四苦があります。

生まれる苦しみ、老いる苦しみ、病の苦しみ、死の苦しみです。

そのほかに、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦というのがあって、この四つを足すと八苦になります。

愛別離苦は、愛する者と別れる苦、

怨憎会苦は、憎い者と会わなければならない苦、

求不得苦は、不老や不死を求めても得られない苦、あるいは物質的な欲望が満たされない苦、

五蘊盛苦は、現実を構成する五つの要素、すなわち迷いの世界として存在する一切は苦であるということを表します。

その苦しみの原因を説いたのが、集諦です。

苦しみの原因は渇愛だと説きました。

滅諦は、苦しみの滅であります。渇愛を無くすことこそが苦しみを滅することだという真理であります。

道諦は、苦しみを滅する為の道であります。

その道が具体的に八正道として説かれています。

正見(正しい見解)
正思惟(正しい考え)
正語(正しい言葉)
正業(正しい行為)
正命(正しい生業)
正精進(正しい努力)
正念(正しい念慮、気づき)
正定(正しい集中)

であります。

これらは、比較的理解しやすいのですが、十二因縁は難しいと言われることがございます。

岩波の『仏教辞典』で「十二因縁」を調べてみると、

1)無明 (無知)、
2)行 (潜在的形成力)、
3)識 (識別作用)、
4)名色 (名称と形態)、
5)六処(六つの領域、眼耳鼻舌身意の六感官)、
6)触 (接触)、
7)受 (感受作用)、
8)愛 (渇愛、妄執)、
9)取 (執着)、
10)有 (生存)、
11)生 (生まれること)、
12)老死 (老い死にゆくこと)、

の12をいう。

と解説されています。

無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死の十二なのです。

意味を考えてみると、

無知 – 潜在的形成力 – 識別作用 – 名称と形態 – 眼耳鼻舌身意の六つの感覚器官 – 接触 – 感受作用 – 渇愛 – 妄執 – 執着 – 生存 – 生まれること – 老いて死にゆくことの十二なのです。

この十二を椎尾弁匡僧正は達意的に訳されています。

「分からずに(無明)流れ(行)を認め(識)るとき、そこには主観客観に対立(名色)が現れる。そこに外界(六処)ありとし、それを経験(触)する。そこに苦楽(受)ありて愛憎(愛)する。そこで取捨(取)し行為力(有)により今の存在(生)となって次に移る(老死)」。

というのであります。

まずはじめに何も分からない無明という闇があります。

そこから何かが形成されようとします。
このはたらきが「行」であります。

羽矢達夫先生の新著『ゴータマ・ブッダ その先へ 思想の全容解明』という本によれば、「自他分離的自己を形成する力」なのであります。

それによって、意識が生まれます。

意識が生まれて、そこに名前と身体が具わります。

身体には、六つの感覚器官が具わります。

その感覚器官が外の世界に触れます。

触れると、心地よいと感じることがあります。

心地よいと感じたものには、もっと欲しいと思います。

さらに自分のものにしたいと思います。

自分のものにしてしまい、自分の生を営んで、やがて老いを迎えて死ぬのであります。

このような迷いの過程を明らかにしたのが、十二因縁なのです。

十二因縁を観じるということは、私たちはどのようにして迷いを作り上げるのかを明らかにすることなのであります。

羽矢先生の『ゴータマ・ブッダ その先へ 思想の全容解明』には、分かりやすく説いてくださっていますので、参照します。

「その理由も仕組みもわからない(無明)ものの、ばらばらに分離され孤立した自己を形成するもろもろの力(行)がはたらいて、固定的で実体的な「わたし」が変わることなく永遠に他と関係なくそれだけで存在するかのように思いこむ自他分離的自己が形成される。

それとともに、わたしたちが日常的かつ常識的に疑いもなく身につけている、自己を中心として自己と世界が対立しているかのような認識の形態(意識(識)|外的対象世界(名色)―六つの感覚器官(六処)|感覚感官と外的対象世界と意識との接触(触))が成立する。

そして、自己と自己以外のものを分け隔てたがいに何のつながりもなく孤立して存在しているかのように思いこむ自他分離的自己が、みずからの基準によって自己と世界を価値づけて受けとる(受)。

それは自己中心的な欲望(愛)として無意識の習性となり、正体を現わさないまま、わたしたちを闇の底からつき動かす、得体のしれない衝動となっている。」(同書21ページ)

というのであります。

そこから自己中心的な欲望が起きて、生存が営まれ、生まれて老いと死をたどるといのであります。

これが苦しみの構造です。

苦しみを何とかしようと、いくら力んでも苦しみに呑まれるだけであります。

まずどのようにして苦しむのか、苦しみの構造を冷静に智慧をもって見ることが、苦しみから逃れる第一歩なのです。

 
横田南嶺

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