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臨済宗大本山 円覚寺

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2021.09.27
今日の言葉

固定観念を破る

固定観念とは、『広辞苑』で調べると、「絶えず意識を支配し、それによって主として行動が決定されるような観念。強迫観念とは違って病的な感じはない。過価観念。固着観念。」という解説がなされています。

たとえば、天動説なども、多くの人が思い込んでいたものであります。

私たちが今いるこの地球は動かなくて、天体が地球を中心にまわっていると思っていたのでした。

普通、私たちが空を眺めていると、天体がまわっているように見えるものです。

この大地が動いているとは、思いもしません。

大地は動かない、空がまわっているという固定観念をもっています。

それが、有名なコペルニクスが。地球その他の惑星は太陽の周囲をめぐるという地動説を発表したのでした。

当時定説であった地球中心宇宙説に反対したのです。

ガリレオは、コペルニクスの地動説を是認したために、宗教裁判にかけられたのでした。

今や地動説は、誰しも当たり前のように思っています

かつて薬師寺の橋本凝胤長老が、徳川夢声氏と対談した折りに、天動説を唱えて話題になったことがありました。

その頃には、なんと時代遅れな考えを持っていると思われたのでした。

そのように、私たちが思い込んでいるものはたくさんあります。

禅語に、

「八角磨盤、空裏に走る」というのがございます。

難しい禅語であります。

「石の挽き臼が空を飛ぶ。非思量底。思慮分別を超えた境地の譬え」などと解説されます。

『碧巌録』のなかにも出てくるので、山田無文老師は、『碧巌録全提唱』のなかで
「磨盤は石臼だ。八角の石臼が空中を走ってゆく、と。この頃言われる人工衛星ソリュートだ。妙な格好のものが月の回りを回っておるが、ちょうどそんなものだ。法身とは宇宙の本体とは八角の石臼が空中を飛んでおるようなものだ。何とも批評できん、つかむことも、手のつけようもないやつである。」

と解説してくださっています。

『虚堂録』にもこの言葉は使われていて、そこでは、天地自然の運行を表す言葉だと解説されています。

私たちの思いやはからいを超えた、大きな宇宙の活動、大自然の運行を表現しているというのであります。

近年の研究ではどうなっているかというと、入矢義高先生の『禅語辞典』(思文閣刊)によると、

「古代インドの神話にみえる武器のひとつで、八角の尖りをもつグラインダー研磨盤が空中を旋転して、一切のものを破砕するすさまじい破壊力の譬え」

とあります。

そこで、先の『碧巌録』の用例にしても、末木文美士先生編の『現代語訳 碧巌録』においては、

「八角磨盤空裏走」への註釈は

「一切のものを破砕する八つの尖りをもつ磨盤(武器の一種)が空中を旋転する、すさまじい破壊力の譬え」とあります。

いずれにしても、これはすさまじい破壊力を表していることだと分かります。

ではいったい何を破壊するのでしょうか。

一言でいえば「固定観念」を破壊するのであります。

仏教では、まず仏陀とは、遠くて高いところにいて、私たちは、その仏陀を崇め奉るのであって、私たちが仏陀になることなどは不可能だという考えであります。

仏陀を尊崇するあまりに、このような考えが定着してきました。

絶対になれないとは言わないまでも、三大阿僧祇劫という、とてつもなく長い時間がかかるのだと言われたのでした。

禅というのは、そういう固定観念を破って、銘々が仏である、直に心の本性を見ればそのまま仏であると説いたのでした。

成仏は一念にあるという教えであります。

まさにそれまでの固定観念を破ったのでした。

『金剛般若経』という大乗の経典があります。

金剛というのは、ダイヤモンドで、この上なく固いものです。

このこの上なく固いもので、一切を粉砕するはたらきがあるというのです。

そこで、玄奘三蔵は、『能断金剛般若波羅蜜多経』と訳しています。

よく一切を断ち切るはたらきが金剛なのです。

我と仏と相対して、そこに大きな隔たりがあるという固定観念を打ち砕くのです。

そんなはたらきを、「八角磨盤、空裏に走る」と表現したのであります。

私たちは、いろんな固定観念に縛られていると言えます。

これは嫌いだ、これは苦手だ、自分なんてこんなものだ、などなど様々な考えに縛られています。

それらを打破するのが禅の教えであり、般若の智慧であります。

一番の固定観念といえば、この世は変わらずにあるという思い、自分というものが独立して存在しているという思いであります。

この固定観念を破って、一切は無常であり、無我であると仏陀と説いたのでした。

当時のバラモン教で説かれていた、アートマンなどというのを真っ向から否定されたのでした。

人は生まれながらに、カーストが決まっていて、差別されるという観念も否定されたのでした。

そして「自我に固執する見解をうち破って、世界を空なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り超えることができるであろう。」と説かれたのでした。

これは、『ブッダのことば』、「スッタニパータ」にある言葉です。

仏陀のお説法もまた、当時の固定観念を破った「八角の磨盤、空裏に走る」ものでありました。

まず、お互い、固定観念に縛られていないか、考えてみたいものです。

固定観念を破るには大きな力がいります。

腰を立てて、腹に力を蓄えて、しっかり坐って、固定観念を打ち破るのであります。

 
横田南嶺

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