よく気をつけること、気づくこと
「百姓は日に用いて知らず」という言葉があります。
『易経』にある言葉です。
百姓は、「ひゃくしょう」と読まずに「ひゃくせい」と読みます。
日本語で、百姓というと農民のことを言いますが、これは日本語の用例です。
もともとは、百姓であって、多くの民、人民のことを言います。
『易経』には、
「仁者はこれを見てこれを仁と謂い、知者はこれを見てこれを知と謂い、百姓は日に用いて知らず。故に君子の道は鮮(すくな)し。(繋辞上伝)」
と書かれています。
致知出版社の『易経一日一言』の解説によると、
「これ」というは、陰陽の理を言います。
「仁者はそれを仁愛(じんあい)の道といい、知者は智慧の道という。」のです。
「また一般大衆は日常、無意識に陰陽の理(ことわり)を用いて生きているが、それが何かを知らない。それ故(ゆえ)、道全体を明確に把握して用いる者は少ないのである。」
ということなのであります。
こういう『易経』の言葉も禅語として用います。
禅語として用いる時には、これというのは、仏心、仏性を指します。
人は皆仏心を持っているのに、そのことに気がつかない、人はみな仏法を行じているのに、そのことに気がついていないことを言います。
似たような言葉に、
「海神、貴きことを知って価を知らず」というのもあります。
こちらは、もと漢詩であったものを、禅語として用います。
鯨が海の水を飲み尽くして、珊瑚の枝が露わになったのですが、海の神さまは珊瑚の貴重なことは知っているものの、その真の価は知らないということです。
『碧巌録』にある、「日々是好日」にこの言葉が着けられています。
毎日毎日が、本当はかけがえのない良い日なのに、その尊さに気がついていないということであります。
盤珪禅師は、くり返しくり返し、人は誰しも生まれながらに仏心を具えていると説き続けられました。
「人々皆親のうみ附てたもったは、仏心ひとつで、よのものはひとつもうみ附はしませぬわひの。」
ということです。
その証拠には、幼い子でも、何が有難いかということも分からない頃から、仏像を見せられると手を合わすし、数珠を持たせれば、手にかけて拝むと説かれています。
これが生まれた時から仏心が具わっている証拠だというのです。
しかしながら、これは、生まれついてから両親が仏様に手を合わせて拝み、数珠を手にかけて拝んでいる姿を見て育ったからのように思います。
ともあれ、そのように仏心が具わっていながらも、大きくなって世間で働くようになってくると、悪い習慣が身についてしまって、仏心を見失ってしまうのです。
仏教では貪瞋癡の三毒がある故だと説いてきましたが、盤珪禅師は、「身のひいき」があるからだと説かれています。
我が身を依怙贔屓するのであります。
贔屓とは、「気に入った者に特別に目をかけ、力を添えて助けること。」であります。
ことさらに自分を大切にして、自分の気に入るようにすることなのです。
その結果、好きなものを一層欲しがり、嫌なものを避けようとします。
避けるどころか、攻撃してしまうようにもなってゆきます。
そんな身のひいきから、「我慢」も出てきます。
我慢は、「我慢する」といって「耐え忍ぶこと。忍耐」のことに使われていますが、元来は「自分をえらく思い、他を軽んずること」であり、「高慢」であります。
または「我意を張り他に従わないこと」であり、「強情」であります。
盤珪禅師は、他人が自分に辛く当たるようなことも、自分に慢心、我慢があるからだと説いています。
そのように自分の心をよく気を付けてみれば、世の中には悪い人はいないのだと説いているのです。
そこで盤珪禅師は、お侍も、不生の仏心ではたらくと良いのだと説かれます。
不生の仏心は、身のひいきをしませんから、主君に忠義を尽くして、職務を真面目に行うことができるのです。
その結果主にも大事にされて、多くの人からも愛されるようになるというのです。
武士は武士の勤めをすることが仏心につながるのです。
ただ毎日勤めていても、そこに仏心がはたらいていることに気がついていないのであります。
気がつかずに無心にはたらくのも貴いことでありますが、自覚をすることが大切なのであります。
そうしないと、ふとした時に、仏心を見失って、欲に走ったりするからです。
怒りの心が起こると、せっかくの仏心を怒りの世界である修羅道に変えてしまいます。
貪りにふければ餓鬼道に変えてしまいます。
そんな怒りも貪りもみな我が身の贔屓から起こるものです。
贔屓が原因で、苦しみの連鎖を産んでしまいます。
仏心の貴いことを知っていれば、迷うことは無くなるのです。
貴いことを知る、気がつくことが重要なのです。
仏教はこの自覚の尊さを説く教えであります。
ブッダもまた「世の中におけるあらゆる煩悩の流れをせき止めるものは、気をつけることである。(気をつけることが)煩悩の流れを防ぎまもるものである」と説かれているのです。
横田南嶺