作らない心
徳永康起先生のことを書いた本であります。
平成十年に寺田一清先生が復刊されたものです。
徳永先生の教師としての熱意あふれる姿がよく分かる本で、読んでいると心があたたかくなってきます。
生徒の日記に書かれた言葉が目にとまりました。
「あと四カ月もすると、私たちは、ばらばらになるので、先生はそれをさびしがって、少し気が変になられたのではなかろうかとさえ思う。
だから私は、じゅ業中は、先生の顔をじいっとにらんでいる。でないと、きみがわるくておちおち勉強ができない。」
と書かれています。
生徒にこれほどまでの思いをさせているということは、如何に徳永先生が、生徒から慕われていたか察するに余りあります。
生徒に出された年賀状の写真が載っていました。
「賀春」と書かれた下に、
「伸びるものの顔は
親切とがんばりの
ふかさが
いつも光っている
今年は楽しいぞ」
という謹厳な書体で書いてあるのです。
昭和二十九年のものでした。
一枚一枚手書きなされたものでありましょう。
これは生徒とのやりとりの記録でありますが、
「日記に先生が、「自転車で学校にくるときのこと、ふと、よし子さんには『ふんわりした心』を育てよう、といっておこうと思いました。どんな心かよく考えてください。わからなければ、お話しします」と書いておられた。
私は考えた。『ふんわりした心』というのは、こうだろうと思った。
「雲は大空高くふんわりとうかんでいる。だから大空に高く登るような、元気な明るい、そして、やさしい心ではないか」と。
もし私が考えている通りだったら運動会が終わったら、きっとそんな心の持ちぬしになろう。また、私が思った通りでなかったとしても、きっとりっぱな心の持ちぬしになろう。」
ということが書かれていました。
「ふんわりした心を育てよう」などという言葉はなかなか出てくるものではありません。
これは徳永先生の生徒たちへの言葉ですが、
「弱い者はいたわろうや。自分が強ければ強いほど弱い者の心を知ろう。自分が幸福であればある程、不幸な人のことを考えよう。
日本が住みよくなるためには、そんな人に生きる勇気を与えることが必要だから。
人の心につめたい五寸釘を打ちこむことは止めよう。
世界平和を口にする以上、現実の世界にふんわりした心と心の結びあいが必要である。
平気で罪のあるあだなをよんだり、人をねたんだり、人をけおとしてみたり、命令してみたり、とげのあることばをはいたり……そんなものはみんなちりすて場にすてて焼いておこう。
春風、春風、たんぼから流れてくる春風を笑いこけて嗅いだことを 思い出そう。」
読むだけで、春風吹く野原に咲く花が思い浮かびます。
「死は、おごそかなものです。
一度は、だれしも死の門をくぐらねばならぬので、
生きているうちに、
「光るような人になろう」と、はげみも出るのかもしれない。
死は、人の心に深い悲しみをあたえる。
でも、さけることのできない決まりである以上、
生きて、
光る人になろう。」
という言葉なども深いものです。
感銘を受けたのは、「作らない心」という文章であります。
「「作らない心」を「童心」ともいう。小さな子供だけがもっている心、ちっともけがれのない心を、「作らない心」という。
「作った心」の持ち主は、自分よりえらい人が来ると、こそこそと働きだす。しかし、その人が行ってしまうとなまけている。
また、えらい人の前ではペコペコして、おせじを使って、自分の悪いところをかくして、良いように見せつけている。
先生は、どうしてもそのようなまねはできない。
ほんとうをいえば、先生も、『作った心』を持っている。
そして、『童心』も持っている。
私は、松出君たちと遊んで、『作った心』を少しでもなくそうと、努力している。」
というのであります。
作った心で修行をしてないかを反省させられます。
作った心で修行していると、人がみていればちゃんとするし、見ていないと怠けてしまいます。
徳永先生ご自身も作った心を持っていることを認めながら、生徒たちと一緒に作った心を少しでもなくそうと努力するというところが尊いと思います。
法然上人と耳四郎(みみしろう)との話を思い起こしました。
耳四郎というのは、曽て、強盗追いはぎ火付け、悪の限りを尽した、どうしようもない男でした。
あるとき、どこかに押し入ろうと思って京都の町を物色しておりました。
ちょうど、法然上人が白河の信空の房へ招かれていったときです。
耳四郎はその宿所に忍びこみ、縁の下に隠れました。
法然上人はそんな賊が隠れているとはつゆ知らずいつもの如くお念仏の尊いこと信心の話を続けて夜中に及びました。
床下で聞いていた耳四郎もいつしか法然上人の話に引き込まれて、とうとう夜の明けるのを待って床下から這い出して法然上人の前に出て涙ながらに訴えました。
自分のような極悪人でも救われる道がありますかと聞くと、上人は本願はもと極悪人の為にあるのであるから、お前が救われぬということはない、安心せよと諭されます。
機縁が熟したと言いますか、これですっかり廻心しまして教阿弥陀仏と名乗って熱心なお弟子になったのです。
この耳四郎があるとき上人のもとを暇乞いすることになって最後に上人に「どうか今生のお別れにこれだけあれば必ず往生出来るという御一言を頂きたい」とお願いします。
その時、法然上人が耳四郎に示された法語です。
あるとき、この耳四郎と法然上人が二人きりで夜をお過ごしになられて、耳四郎がふと夜中に目を覚ますと、となりの部屋で法然上人が一人静かにお念仏を唱えておられた。
耳四郎はこのとき不思議に思ったのでありますが、そのまま何も問わずにおりました。
法然上人はそのときのことを耳四郎に覚えているかと問われました。
そういえば曽て上人のおそばに仕えるものが誰もいない時に、上人と二人きりで夜を過ごしたときがありました。
耳四郎が夜中に目を覚ますと襖一つ隔てて隣の部屋で上人が独りお念仏を唱えてらっしゃった。
不思議に思ったのですが深く問うこともせずにいたのでありました。
法然上人がおっしゃいました。
人はだれでも他人に対する時にはおのずと飾る心が起きる。
親は子どもの前で、僧は信者の前で、たとえ長年連れ添った夫婦であっても、必ず飾る心が起きるというものである。
この飾る心が往生の妨げとなる。飾る心を捨て、飾ることのないまことに心で念仏せよ。
曽て耳四郎と共に泊まった時に、私が夜中に一人お念仏を唱えているのに気付いたであろうが、このだれも聴いていない誰も見ていないところで一人唱える念仏こそ、仏様の本願にかなうのである。
阿彌陀様のほかはだれも知らぬという、飾らぬ心で人知れず念仏をせよ、これこそが往生の極意であると示されたのであります。
この飾らぬ心というのは、作らない心に通じると思いました。
馬祖道一禅師は、平常心を説かれて、それは造作の無い心だと説かれています。
造作の無いことですから、作らない心であります。
作らない心、飾らない心、そんな心で修行をしなければならないと思ったのでした。
横田南嶺