怖い慢心
初めの日に
その一
なにも知らなかった日の
あの素直さにかえりたい
一ぱいのお茶にも
手を合わせていただいた日の
あの初めの日にかえりたい
その二
慣れることは恐ろしいことだ
ああ
この禅寺の
一木一草に
こころときめいた日の
あの初めの日にかえりたい
というのがございます。
何事も慣れるということは大切でありますが、この慣れるということほど怖ろしいものもありません。
それは慢心というものを生み出します。
慢心は、『広辞苑』には、「おごりたかぶること。また、その心。」と説明されています。
仏教では煩悩を細かくわけて考えます。
百八の煩悩については以前書いたことがあります。
基本となる煩悩は貪瞋癡の三毒でありますが、六つの根本煩悩というのもございます。
それは、貪、瞋(瞋恚)・慢・無明・見・疑の六種の煩悩を言います。
無明というのは、愚癡と同じであります。
ですから、貪瞋癡の三毒に、慢と疑と見が加わったものです。
貪瞋癡については、何度も紹介しています。
貪りと、怒りと愚かさであります。
外のものを見たり聞いたりして、心地よいものを欲しがることが貪欲です。
逆に、心地よくないものを排斥しようというのが瞋恚です。
それから真理を知ろうとしないのが、愚癡であります。
「慢」というのは、「他と比較して心の高ぶることをいい、自ら自己におごり高ぶることを憍という」のです。
慢は、慢・過慢・慢過慢・我慢・増上慢・卑慢・邪慢(じゃまん)の七慢に分けられます。
ひとつひとつ見てゆきましょう。
第一の「慢」というのは、自分より劣ったものに対して、自分の方がすぐれていると思うことです。
これも当たり前のようですが、慢心のひとつなのです。
第二の「過慢」とは、自分と対等のものに対して、潜在的に自分の方がいいと考えていることであり、自分よりすぐれたものに対して、あれくらいは大丈夫と思うことです。
三番目の「慢過慢」とは、自分よりすぐれたものに対して自分の方がすぐれていると思いこむことです。
四番目が「我慢」、自分にこだわって、自分の方が相手よりすぐれていると思い上がることです。
一般に我慢は、我慢するといって辛抱することに使われていますが、本来は慢心のひとつです。
それから五番目が「増上慢」です。まだ分かっていないことを、さも分かっているかのようにふるまうことです。まだ悟っていないのに悟ったと思う慢心であります
六番目が「卑慢」で、自分よりはるかにすぐれた者に対して、たいしたことはないと思うことです。
七番目が「邪慢」で、自分に全く徳がないのに、徳があると思いこむことです。
ちなみに「卑下慢」というのがありますが、これは卑慢と同じです。慢の一種で、自分より数段勝るものに対して、少しく劣るのみと思って慢心することですが、また通俗的には、へりくだっているふりをして、実際には自慢する意にも用いられています。
よく挨拶で、「甚だ僭越ながら」とへりくだっているように見えながら、自慢していることがございます。
お釈迦様は、「自分をほめたたえ、他人を軽蔑し、みずからの慢心のために卑しくなった人、彼を賤しい人であると知れ。」(スッタニパータ・132)と仰せになっています。
「疑」は、「ものごとをはっきり決めかねて、ためらうこと。意の定まらないこと。四諦など仏教の説く教えを信じきれず、あれこれと疑いを抱くこと」であります。
見には五つあって、五見といいます。
有身見(うしんけん)・辺執見(へんじゅけん)・邪見・見取(けんじゅ)・戒禁取(かいごんじゅ)の五つです。
有身見とは、自我と自我の所有物をありとする見方です。
辺執見とは、「極端なことに執着する誤った見解のこと。具体的には、自我は人の死後も存続する常住なものであるという常見と、自我は人の死後には断滅するという断見との二つの見解に固執すること」を言います。
邪見は、「善悪の果報や三世の因果などを否定する誤った見解」です。
見取見は、誤った見解を真実とするものです。
戒禁取は、「仏教以外の宗教で、解脱を得るためや天界に生まれるために誓いを立て、禁戒(ごんかい)・習慣を守り、苦行を行おうとするのを、正しい方法とみなす誤った見解」を言います。
いろいろたくさんありますが、慢心は気を付けないといけません。
黒住宗忠もまた「己(おの)が慢心にて人を見下す事」を戒められました。
白隠禅師も二十四歳の時に越後高田の英巖寺で鐘の声を聞いて大悟しました。
しかしそれが却って、おれほどの大悟した者はいないという慢心になってしまいました。この慢心も迷いです。
それが正受老人の処に行ってコテンパンに叩かれて慢心が抜け落ちたのでした。
慢心を去るにはいつも初心でいることであります。
真民先生の詩を思い起こします。
「初々しさ」という詩です。
初々しさ
初咲の花の初々しさ
この一番大切なものを失ってしまった
わが心の悲しさ
年々歳々花咲き
年々歳々嘆きを重ね
今年も初咲きの花に見入る
横田南嶺