明徳と仏心
「大学の道は、明徳を明らかにするに在り、民を親たにするに在り、至善に止まるに在り。」とあります。
それから、更に、
「止まるを知ってのち定まる有り、定まってのち能く静かに、静かにしてのち能く安く、安くしてのち能く慮かり、慮かりてのち能く得。」
と続いています。
『大学』は、儒教の経書の一つであり、『中庸』『論語』『孟子』と合わせて四書とも言われます。
はじめの「明徳を明らかにする」「民を新たにする」「至善に止まる」の三つが、三綱領とも言われて大切にされています。
盤珪禅師が、十二歳の時に、この『大学』を学んで、ここに説かれている「明徳」とは何かについて悩まれたのでした。
守屋洋先生の『新訳 大学・中庸 自分を磨いて人生を切りひらくための百言百話』には分かりやすい現代語訳が記されています。
その本から紹介させていただきます。
「大学で学ぶ目的は何か。
第一は、自分が生まれつき持っている素晴らしい徳を発現すること。
第二は、自分一人の修養だけにとどまらず、それを人々にも及ぼして、それぞれの徳を発現できるように導くこと。
第三は、以上の二つのことが到達した最高の状態を、つねに維持するように努めることである。」
というのであります。
そして大学で学ぶということを守屋先生は、
「社会に出て立派な働きをし、まわりから信頼される社会人になるためには、当然のことながら、能力と人格の両面にわたって自分を磨かなければならない。ここで言う「大学の道」とは、そういう学問を指している。古いことばを使えば、「君子の学」と言ってもよい。」と解説してくださっています。
ここでは「明徳」を「自分が生まれつき持っている素晴らしい徳」と訳されています。
それから、次のところを守屋先生は、
「最高の状態を自覚することができれば、おのずから志は定まる。
志が定まれば、もはや心に動揺はなく、どんな状態におかれても安定している。
そうなると、じっくりと思慮をめぐらすことができて、最高の目標に到達することができる。」と訳されています。
今北洪川老師も『禅海一瀾』という書物を著して、そのはじめに明徳を説かれています。
こちらは、盛永宗興老師の現代語訳を参照します。
「大学の道は明徳を明らかにすることにある。民を新たにすることにある。至上の善に止まることにある。
止まることを知れば心は定まり、心が定まれば静かになり、静かになれば、心は安らかになり、安らかになれば正しく思慮することができる。正しく思慮して、初めて明徳を明らかにすることができる。」
というのであります。
これを釈宗演老師は解説されています。岩波文庫の『禅海一瀾講話』を参照します。
「明徳というものはどんなものかと言えば、我が本心の変名と言うても宜い。」
といって、本心の別名だというのであります。
「要するにその心は名もない、名づけ様もない。目で見ることも、耳で聞くことも出来ぬが、」
それでは伝わらないので、
「捉まえ所がないから、ここに表示して、「明徳」と言う」というのであります。
そして更に
「この徳というものは天から降ったのでも、地から湧いたのでもない。
神様が造ったのでも、仏様が造ったのでもない。
我々が先天的に持って居るものを、暫く明徳という」というのでありますから、ここのところを盤珪禅師が「不生」と言ったのであります。
誰がつくったものでもない、もとから持っているものなのです。
更に宗演老師は、
「しかしその持って居る明徳であるけれども、如何せん「人欲の私」、仏法で言えば煩悩の為に、この明徳を曇らせて居る」
と説かれています。
これが盤珪禅師が身のひいきの故に見えなくなってしまっているというところであります。
そこで宗演老師は
「だから、先ず『大学』即ち大人の道を学ぶ者の要義は、何処にあるかと言えば、「明徳を明らかにする」に在る」と説かれます。
そのうえで、
「明徳を明らかにし終ったならば、次に「民を新たにする」。」というのですが、
これは「自分が明徳を明らかにしたならば、一般の人をして明徳を明らかにせしめよという意味をば、言葉を換えて「民を新たにするに在り」と申したので、要するに明徳を明らかにするは自利的、民を新たにするは利他的であり、利他は自利の起りで、自利は利他の起りである。」
と説かれています。
盤珪禅師で申し上げれば、不生の仏心を明らかにして、それをやさしい言葉で多くの方々に伝えたということであります。
そうして「その悟りと、行いと心が円満に至った所が「至善」である」と宗演老師は説かれているのであります。
これが三綱領なのであります。
そして更に宗演老師は、
「この「三綱領」を一つ我が物にしようというには、「五術」が要る」というのです。
その「五術」の初まりは「止まる」ということです。
止↓定↓静↓安↓慮↓得という順番なのです。
「先ず我々がこの動いて居る処の心を以て我が心の本を見ようというても、それは難い。自分の動いて居る心その者からして、先ずちゃんと、止水の如く、明鏡の如き、その境界へ這入らねばならぬ。
水の中に落ちて居る玉を探そうというならば、先ずその水を澄ましむるということが必要で、動いて居る心を以て直ちに真理を見ようと言うても、決してそれは見えぬ。」として、
「先ず我が心を止めることを一つ工夫しなければならぬ」というのです。
それから「一たび心が止まったならば、始めて能く「定まる」。止まるという字は、我々が歩いて居るのを、歩みを止めたというので、心がそういう状態に至ったならば、ちゃんと定まったので、我が大道の定まるが如く、精神も一定不変という域に至る」のであります。
それから「自ら静寂の境界は其処に現われてくる」ようになります。
その次には「静かにして而して後に安し」、「これは自然にして至るのであります」と説かれています。
「静かなる境界に居れば、自ら安くなってくる。
心が安くなってくる」のです。
心が安くかになってよく慮るようになり、至善、明徳が得られるのです
宗演老師は「この「五術」というものが、禅那ということになり、静慮ということになる。言葉が違うだけ」だというのであります。
盤珪禅師は、自分なりの独自の坐禅修行をなさって、散乱する心を止めて、心が定まり、静かにおさまって、安らかになり、よく慮って、不生の仏心を了解することを得たのであります。
明徳を明らかにしたと言っても同じことなのですが、盤珪禅師は、生涯かけてそれを「不生の仏心」として説かれたのでした。
盤珪禅師にとっては、明徳と仏心とはひとつのものでありました。
横田南嶺