それでも生きる
「人はなぜ生きると聞かれ」
という題であります。
「なぜ、生きる」と問われると、どう答えていいのやら難しいものです。
五十代の看護師の方からの質問なのです。
その質問が、看護師として「人はなぜ生きるのか」と患者に聞かれて困るというのです。
「70代女性から病気で仕事や家事ができなくなり、家人の世話になるのがつらく、生きる価値があるかと聞かれ」のだそうです。
それに対して「過去の仕事をねぎらうなどしますが、納得しないのか何度も聞かれます」というので、どうしたらよいかという質問なのであります。
立川さんは、はじめに
「若き日に読むか聞くかして、驚き納得した言葉があります。
それは「今まで死ななかった人はいない」というもので、若い頃は不死身だぐらいに思っていましたから、ガツンときました。
そうか、人は必ず死ぬのかと。」
と書かれていました。
武者小路実篤さんの
「生まれけり 死ぬ迄は 生くる也」の言葉を思い起こします。
「落語の中のセリフに「人は病じゃ死なない、寿命で死ぬ」というセリフがあります。」とも書かれています。
やがては、誰しも死を迎えるのであります。
それから、立川さんは、
「赤ん坊ほど手のかかるものはありません。
親は寝食を削ってまでして面倒を見ます。放っておくと死ぬからです。
子は成長してやがて子をもうけ、親の苦労を知ります。
親は老い、病を得て子や家族に迷惑をかけますが、人は誰でも生まれてくる時と死ぬ時に迷惑をかけるもので、その繰り返しなのです。」
と書かれていました。
誰しも生まれてくる時と、死ぬ時には迷惑をかけるというのはその通りです。
その間にも迷惑をかけているのが実情であります。
「患者さんに赤ん坊の話でもして、「大丈夫ですよ、誰もが迷惑をかけるんです」と励ましてやってください。明るくしかも軽くです。」と結ばれていました。
誰しも人の役に立つことには喜びを感じますし、迷惑をかけたくはないものです。
松原泰道先生は、百二歳でお亡くなりになる、その三日前まで法話をなさっていました。
文字通り、「生涯修行、臨終定年」を貫かれました。
そのことをかつて作家の五木寛之先生と対談した折に、申し上げたところ、五木先生は、
「松原先生のような超人的な方は稀で、大半の人は少しずつ呆けるんです。」と仰いました。
「松原先生のすばらしいご活躍を聞いて感動する一方で、その後ろに何千、何万もの呆けた人たちがいるということをどうしても考えてしまうんですね。」
「松原先生もきっとそのことはお考えになっていたと思うんです。自分はありがたくも頭脳の衰えに見舞われずにすんだと。だから恵まれた自分の責務を果たさなければならんとお思いになって、説法を続けられたのではないでしょうか。」ということを語られました。(『命ある限り歩き続ける』より)
たしかに松原先生のようなお方は、実際には稀であって、多くは晩年には何も出来なくなってきて、人に迷惑をかけるばかりだと思い悩むことになるのでしょう。
あの東日本大震災のあった年のことでした。
「私はお墓にひなんします ごめんなさい」という言葉を書き残して、九十三歳の女性が自死されたことがありました。
福島県の方でした。
私は、その言葉を見て、背筋が凍りました。
今世紀最も悲しい言葉になるのではないかと思いました。
こういう言葉を残して自ら死を選ばなければならない今の世は何だろうかと考えさせられました。
「老人はあしでまといになるから」という言葉も遺書にあったのでした。
「誰でも迷惑をかけるんです」と言って済まさせるような問題でもありません。
しかしながら、そうかといっても、やはり人は生きねばならぬと思うのであります。
昨年、ガンで亡くなった知人の和尚を思い起こしました。
和尚は、ガンが見つかった時には手遅れで、余命宣告を受けました。
その時に、
「明日のことはわからない。でも、今は生きてる。これは絶対間違いない。じゃあ、この今日をどう生きるか」と考えました。
その時、心に浮んだのは、私の言葉だったというのでした。
私の本に書いてある
「明日はどうなるかわからないけれど今日一日は笑顔でいよう。
つらいことは多いけれど今日一日は明るい心でいよう。
いやなこともあるけれど今日一日は優しい言葉をかけていこう」の言葉を思い起こし、一切比べることはやめようと決意されたのでした。
元気な頃と比べない、まわりの人とも比べない、そして今日一日、今を精一杯生きることに決めたのでした。
そして私のこの言葉をもとに和尚はご自分なりに、「私の四弘誓願」として、
「いろんなひとがいるけれども 今日一日やさしい心でいよう、
いろんなことがあるけれども、今日一日あかるい心でいよう、
この道は遠いけれども、今日一日一歩すすもう、
何があっても大丈夫、今日一日笑顔でいよう」と心に決められたのでした。
最後にお寺で法話をなされ「今ここに徹底したらね、なにがあってもだいじょうぶなんです。なにがなくてもだいじょうぶ。今日一日笑顔でいよう」と語ったのでした。そうして坐禅をして亡くなったのでした。
水野源三さんという方のことを本で学んだことがあります。
この方は九歳の時赤痢に罹りその高熱によって脳性麻痺を起こし、やがて目と耳の機能以外のすべてを失い話すことも書くことも出来なくなりました。
しかし母親が何とか彼と意思の疎通をしようと五十音順を指で指し示したところ、目の動きで応答しました。
それで病の床から詩を作ったのです。「瞬きの詩人」と呼ばれるようになりました。
その水野源三さんに「有難う」という詩がございます。
「物が言えない 私は 有難うの かわりに ほほえむ 朝から 何回も ほほえむ 苦しいときも 悲しいときも 心から ほほえむ」
というのです。
人に迷惑をかけることは辛いことでありますが、それでも辛くてもやはり生きるのであります。
たとえほんの一瞬でもほほえむことができれば、それだけでも世の中が明るくなるのだと思えば、大きな意味があるのだと思うのであります。
横田南嶺