礼拝と立腰
奘堂さんとの出会いのおかげで、私の坐禅も益々深まったように感じています。
奘堂さんは、以前私が、この管長日記に、「人生は礼拝行」と題して書いたことに注目してくれています。
私は、中学生の頃から禅の老師から公案というものをいただいて、独参という禅問答をはじめてきました。
およそ二十年ばかり修行する立場として、独参をくり返してきました。
その後二十数年は、指導する立場として独参を今も続けています。
実に人生の大半を独参という修行に費やしてきました。
その結果思うことは、独参は礼拝行だということです。
独参で師の室内に入るには、三拝して入るのが礼になっています。
師家の前で仏さまを礼拝するのと同じように礼拝するのであります。
老師を礼拝するというよりも、その老師を通して、ブッダを礼拝しているのであります。法を礼拝しているのであります。
ただ、師の室内に赴き、ただ礼拝して、そして帰ってくるだけなのだと気がついたのでありました。
公案の見解がどうだの、答えがどうのということなどは、枝葉末節のことであって、ただ礼拝することだと気がついたのでした。
雨の日も風の日も、師からどのようなことを言われようが、追い返されようが、ただ礼拝するのみなのだ思うと、実に軽やかな心境になりました。
思えば、禅の修行に志したのは、十歳の頃に禅寺に行って坐禅をして、その時に老師が仏さまの前で恭しく三拝なされる、そのお姿に感動したのがご縁でありました。
こんなに尊い世界があるのだと感動したのでした。
そして老師は、私たちに向かって手を合わせて、ここにお集まりの皆さんは、みんな仏さまですと拝まれたのでした。
このことも驚きと感動でありました。
そんな感動から、禅の修行が始まって、ようやく到り得たところが、この礼拝なのであります。
そう気がついてみて、ようやく『法華経』の真髄が常不軽菩薩にあるという教えが心から納得できました。
常不軽菩薩とは、誰に対してもただ礼拝をしていたという菩薩なのであります。
人から謗られようと、石を投げつけられようとも、ただその人を仏になる人だと言って礼拝していたという菩薩であります。
奘堂さんも、礼拝を重んじられています。
奘堂さんに頼まれて「但行礼拝」という字を書いてあげたこともありました。
奘堂さんは、この礼拝が坐禅であり、礼拝によって真に腰が立つと説かれるのであります。
先日の講義でも、はじめに
昭和五十七年に発行された『別冊「禅文化」 坐禅のすすめ』(山田無文・大森曹玄・平田精耕他著)の中にある、山田無文老師の言葉を紹介されました。
「天龍寺の精拙老漢はよくこう言われた。
「お互いがこうして衣を着て、手巾(しゅきん)をしめて、肩に袈裟を掛けた姿は、この身体を奉書に包んで水引かけて熨斗(のし)を着けて、仏様に差上げた姿じゃ。一切衆生のために供養した姿じゃ。
もう自分の身体ではないから大切にして風邪をひかせてはならん」と。(12 頁)」
というのであります。
我が身を仏さまに捧げるという姿が、我々出家の姿なのだということです。
坐禅も然り、我が身を仏さまに捧げるという姿勢だというのであります。
この心がまず大事であります。
そして、この我が身を捧げるという心によって、腰が立つのだというのです。
更に同じ書物で、大森曹玄老師が、
「昔は「腰抜け!」という罵り言葉は、人間としての主体性を否定されたことになり、最大の侮辱だったようです。それは人間としての主体性、または人格性は腰をつっ立てるところにあったからだとおもいます。私どもは行住坐臥に腰を立てなければ真実人体になりませんが、特に坐るときにはその点の注意が肝要です。腰抜け坐禅は、絶対に禁物です。」
と仰せになっていることを紹介してくれました。
この『坐禅のすすめ』の中には、真向法も説明されています。
私も修行僧たちには真向法を勧めています。
この真向法というのは、長井津(ながい わたる)[1889 – 1963]さんが始めた体操です。
長井さんは、福井県の浄土真宗のお寺にお生まれになりました。
中学を中退して商売で身を立てようと単身上京し、働いたのですが、多忙とストレスの続く生活の中、四十二歳の時に脳溢血に倒れ、左半身不随の身となりました。
医師からは不治と診断されて悶々と日々を送る中、精神の安定を求め、『勝鬘経(しょうまんぎょう)』を紐解きました。
その中の「勝鬘婦人と一族・従者達は、頭を仏の足に接して礼拝し、清浄な心を以て仏の真実の功徳を嘆称したてまつった」と言う一節が目に留まり、礼拝に注目したのでした。
長井さんはこの礼拝を毎日くり返すようになりました。
何年もくり返すうちに、次第に体が柔軟になり、不自由だった体が元の通り動いて、以前にも増して健康になっていったのでした。
はじめはこの体操に驚嘆すべき自然治癒力のあることを確信して、これを世に広めようと努力するようになり、当初は「念仏体操」と称していました。
それから、「礼拝体操」とも言いました。それが、更に改良を加えて、「真向法」と名付けられたのでした。
真向法も、四つの体操によって成り立つものですが、礼拝が中心となっているのです。
礼拝によってこそ、腰が立つというのは、今回初めて学びました。
「ただわが身をも心をもはなちわすれて、仏のいへになげいれて、仏のかたよりおこなはれて、これにしたがひもてゆくとき、ちからをもいれず、こころをもついやさずして、生死をはなれ、ほとけとなる」という道元禅師の『正法眼蔵 生死』の言葉にも通じます。
午前中に修行僧たちと共に学び、午後からは、禅文化研究所の方も交えて、対談しました。
この『坐禅のすすめ』を今回新しくして出版しようという企画で、今奘堂さんとお互いに坐禅について、今日までの歩みと、今まで疑問に思ってきたこと、今たどりついたことなどを語り合いました。
単に手を組み足を組んで、ただじっと足の痛いのを我慢する坐禅ではなく、身の心も生き生きと躍動するかのような坐禅を目指しているのであります。
こうして、探求を続けるのは楽しく充実しています。
お互いに楽しくも充実した一日を過ごして、感謝しました。
横田南嶺