人生は礼拝行
臨済宗、曹洞宗、そして黄檗宗であります。
中国においては、五家七宗と言いました。
黄檗宗というのは、その内容は臨済宗でありますので、大きく申しますと、曹洞宗と臨済宗の二つだといってよいでしょう。
この二つのどういう違いがあるのかというと、難しいのですが、分かりやすいところでは、曹洞宗では壁に向かって坐禅しますし、臨済宗ではお互いに対面して坐禅することだと言われたりします。
ただ、この問題なども、難しいところで、もともと臨済宗も壁に向かって坐っていたらしいのです。
江戸時代になってから、対面して坐るようになったと言われています。
ほかにも、坐禅の時に叩く棒のことを臨済宗では「けいさく」といい、曹洞宗では「きょうさく」と言うとか、五祖弘忍禅師のことを、曹洞宗では「ごそこうにん」と呼び、臨済宗では「ごそぐにん」と呼ぶなどいう違いもあります。
修行の上での大きな違いは、「公案」を用いた禅問答を行うかどうかでありましょう。
「公案」というのは、元来は、公文書の下書、官府の調書、訴訟の目安という意味から、禅宗では、参禅者に対して言葉で与える課題を言います。
公案の修行というのは、そのような先人の言行などを内容とする難問を与え、それを思考させることを通じて、とらわれの心から脱却させ悟りの世界に入らせることを目的とすると『広辞苑』に書かれています。
禅問答というと、もともとは、修行僧が指導僧(師家)に尋ねることや、指導する方から、修行僧に対して問いかけるものなど、さまざまありました。
それから、公開の場で行われる場合もあれば、密室に入って一対一で行われるものもありました。
臨済宗の修行では、今ではほとんど、密室において一対一で、指導する僧の方から修行僧へと、祖師の言葉が課題として与えられるものとなっています。
それがまた容易に答えのでるような問題ではありません。
両手を打てば音がするけれども片手ではどんな音がするかとか、両親から生まれる前の本来の姿はどうかなどという問題であります。
そのような問題に、自分なりの答えを持ってゆくのでありますが、はじめのうちは特に、何を言っても否定されて追い返されてしまうのであります。
円覚寺の開山仏光国師ほどのお方であっても、径山万寿寺の仏鑑禅師に参禅して、趙州の無字を公案として与えられました。
趙州和尚の「無」の一字とは何かという問題であります。
はじめは、こんな問題は一年もあれば片付くだろうと思われたのですが、一年経っても埒が明かず、二年が過ぎ三年が過ぎて、四年五年となりました。
その間、僧堂の門から外には出なかったというのです。
そうなってきますと、無とは何か、答えが出るというよりも、体全体が無になってしまい、更には天も地も悉く「無」の一字になってしまったと説かれています。
そうして、全身全霊「無」の一字に成りきって、ある日の明け方、時間を告げる打板の音を聞いて、本来の自己が顕わになったという体験をされたのでした。
このようにして、はじめは何を言っても否定されてしまい、とうとう何も言うことも、何もすることもできなくなって、窮しきって、そこから新たな心境が開かれるということを体験させるのであります。
ただ、その一時の体験だけでよしとするのではなくて、さらにいくつもの公案を順に透過していくことが、臨済の修行の特色であります。
私は、十三歳の頃から、この公案に取り組み始めて、ほぼ二十年間、公案の修行を続けてきました。
二十年経って、指導する立場となり、更に二十数年が経つのであります。
この公案の答えを持って、師の室内に入って問答することを、「独参」と言っています。
私は、修行する立場として独参を二十年行い、今度は指導する立場として、二十数年行っています。
特に独参は、なんど師の室内に通っても、叱られるか、にべもなく否定されるか、竹篦で打たれるか、はたまたすぐさま追い返されるかの連続なのであります。
今風に言えば実に「圧迫面接」であります。
そんな修行を二十年行ってきたのですが、終わり近くになって、独参は礼拝の行なのだと気がついたのでした。
独参で師の室内に入るには、三拝して入るのが礼になっています。
師家の前で仏を礼拝するのと同じように礼拝するのであります。
老師を礼拝するというよりも、その老師を通して、ブッダを礼拝しているのであります。法を礼拝しているのであります。
ただ、師の室内に赴き、ただ礼拝して、そして帰ってくるだけなのだと気がついたのでありました。
公案の見解がどうだの、答えがどうのということなどは、枝葉末節のことであって、ただ礼拝することだと気がついたのでした。
雨の日も風の日も、師から罵倒されようが、追い返されようが、ただ礼拝するのみなのだ思うと、実に軽やかな心境になりました。
そう気がついた頃に、修行が終わりを告げていました。
いや、終わりを告げたのではなくて、これからが本当の修行の始まりだと師から言われたのでした。
得るものも何もない、ただ礼拝するだけだと気がついたというと、聞いている人は、なんという無駄なことをしたと思われるかもしれません。
実にその通り、無駄といえば実に無駄、大いなる無駄、それをただ行うのみなのです。
何も得るものもない、それが分かった時に、真に得たということだと、般若経には書かれています。
その通りだと確証したのでした。
そうして礼拝行だと分かれば、実に気持ちが軽やかになります。
独参だけではありません、この人生が礼拝行だと思えば如何でありましょうか。
どんな人にあっても、何を言われても、ただ礼拝するのみ、何も得るものもない、ただその目の前の人を通じて、ブッダを礼拝するのみなのであります。
そう気がついてみて、ようやく『法華経』の真髄が常不軽菩薩にあるという教えが心から納得いったのでした。
常不軽菩薩とは、誰に対してもただ礼拝をしていたという菩薩なのであります。
人から謗られようと、石を投げつけられようとも、ただその人を仏になる人だと言って礼拝していたという菩薩であります。
良寛さんも、常不軽菩薩を理想とされました。
人生もただ礼拝行と思えば如何でしょうか。
咲く花にも手を合わせ、散る花にも手を合わせ、誰に会っても手を合わす心で接するのであります。
どんな人に対してもただ礼拝の心、拝む心で接することができたら、どんなに心穏やかになるこでしょうか。
横田南嶺