人間の二面性
「世の中から一番無くしたいこと」という題であります。
結論から申しますと、この社説で説かれている、一番無くしたいことは、児童虐待であります。
はじめに、この社説の筆者の方に、とある友人からメールが来たという話から始まります。
「今入院中です」というので
病状を聞くと、
「何も異常はないんです」というのでした。
その方が入院していたのは、精神科の病院でした。
どういうわけかというと、社説には次のように書かれていました。
「お店で買い物をした後、駐車場の精算機で料金を支払おうとしたら、1万円札しかなかった。
インターホンで事情を説明したら、「しばらくお待ちください」と言われた。
1分経ち、3分経ち、だんだんイライラが募った。
24時間営業のお店で、その時間が午前5時頃だったこともあり、すぐに対応できるスタッフがいなかったのかもしれない。
待たされることに彼のイライラはついに爆発し、精算機を叩き壊した。
通報は早かった。凶暴な男に思えたのだろう。
パトカー3台がやってきた。取り調べは6時間も続いた。
その後、再びパトカーに乗せられ、精神科の病院に搬送、即入院となった。
「今回で三度目です」と彼は言った。
普段は実に温和で、優しい男だ。
きっと警察は、彼には病歴があり、家族にも話を聞いた上で、そんな措置をしたのだろう。」
という話なのです。
この「普段は実に温和で、優しい男だ」というところが気にかかります。
そのあと、社説では、二本の映画について書かれています。
一本の映画は、「いい人で優しいけれど、時々凶暴」という五十代の元ヤクザの話、もう一本のは、「悪人で凶暴な男だけど、時々優しい」という人物の話であります。
あとの映画では、その素行の悪い主人公が空き巣に入った家で、虐待を受けていた少女と出会い、素行の悪い男だけれども少女を救いたい一心で動き出すというのです。
社説は、そこから、世の中で一番なくしたいものは、児童虐待だという話になっています。
私は、社説に説かれている「同じ人間から出てくる優しさと凶暴性」というところに興味を持ちました。
人間というのは、この二面性を持っているものなのです。
光と影、陰と陽、この二つは常に同時に存在しています。
貧乏神と福の神は常に一体なのです。
先代の管長であった足立大進老師に長年師事してきましたが、同じ事を思います。
先代の管長がお亡くなりになって一周忌にお身内の方が、追悼文集を出されました。
主に身内の方々が書かれたものですが、私をはじめ数名の僧侶も寄稿しています。
その中で、先代管長のお弟子の方が、「足立老師は二重人格であった」ということを書かれて、お身内の方が気を悪くされてしまい、その文章を削って刊行したということがありました。
たしかに「二重人格」などと書かれると、お亡くなりになったご本人を傷つける表現のように受けとめられたのでしょう。
先代の管長は、修行僧に対しては、実に手厳しく、時には鉄拳制裁を辞せずでありました。
更には、禅問答の場においては、修行僧に罵詈雑言の限りを尽くされていました。
これは、修行僧の自我意識を無くさせ、更に向上させようというお慈悲なのですが、一見するとひどい仕打ちに見えるのであります。
そういう一面と、お身内や親しい方々に接しておられる時の、穏やかなお姿とでは、全く別人のように思われます。
それで、「二重人格」と書かれたのだと思います。
もっとも、今の時代に先代管長のような指導をしていては、たちまち社会問題になってしまいますし、そもそも誰も修行僧がいなくなってしまいます。
そこで私は、到って温厚に指導するようにしています。
私としては、時代に合わせてというよりも、お釈迦様の本来の精神の帰りたいという思いからなのであります。
そういうわけで、長年先代の管長にお仕えしてきて、人間は二面性をもっているのだということを身を以て教えていただいたのでした。
あの盤珪禅師の逸話に、よく知られた話があります。
人は誰でも人の不幸をお悔やみするときには、内心自分でなくてよかったという思いがあり、人の慶事をお祝いするときには、妬む心を持っているというのですが、盤珪禅師には、それが無かったという話であります。
盤珪禅師ほどの方でない限り、我々人間には、そのような浅ましい心があるものなのです。
まず、人間はそういうものだと認めることです。
それでもそんな人間を救って下さるのが、阿弥陀さまのお慈悲であると説くのが浄土門の教えであります。
そんなどうしようもない人間の心をすべて、まるごと包み込んでいるのが仏心であると、禅門では説くのであります。
そう思えば、他人であれ自分であれ、二面性があったとしても、そういうものだと受け入れることができるのであります。
もちろんのこと、あまり迷惑にならないように勤めるべきでありますが、究極のところでは、お互いに認め合い、許し合うことが大事であります。
横田南嶺