随処に主と作る – 心の強い人
このところ、毎月連載させてもらっています。
私が担当しているのは、「心に禅語をしのばせて」というコラム記事であります。
禅語を書いた私の下手な書と、文字数にしてわずか400字ほどの文章を載せてもらっています。
最初は、六ヶ月の連載というお話をいただいて始めました。
それが今のところ好評だというので、更に六ヶ月延ばしてくれたのでした。
今月で、八回目の連載であります。
今回の禅語は、「随処に主と作る」という言葉です。
『臨済録』にあるよく知られた言葉であります。
「随処に主と作れば、立処皆真なり」と続きます。
岩波文庫の『臨済録』にある、入矢義高先生の訳によれば、
「その場その場で主人公となれば、おのれの在り場所はみな真実の場となる」
ということであります。
『新国訳大蔵経 六祖壇経 臨済録』で衣川賢次先生は、
「いかなる場においても主人公たれ、そのとき、そこが真実の世界となるのだ」と訳されています。
「立つ処皆真なり」という言葉は、肇法師の言葉がもとになっているそうです。
「真を離れて立つ処あるに非ず、立つ処即ち真なり」という言葉があるそうです。
どんなところであろうと、その場その場で自らが主体性を持って生きるということであります。
わずか400字で説明しますので、簡単に、
「人間というのは、たとえ紙切れ一枚でも持たされて持っていると重たく感じるし、嫌になります。
ところがこれが、好きな人のために持つ荷物であれば、どんなに重くても軽々と担いでゆきます。心ひとつの持ちようで世界は大きく変わります。
どんな境遇であろうと、そこで自分の生きがいのある事を見つけ、そのことに打ちこんで、ああ生きててよかったと思えるならば、それが真実なのであります。
自分自身が心から楽しんで打ち込めることを見つけましょう。
そうして、お互いに生きいてよかったと思える生き方をしたいものです。」
と書いておいたのでした。
毎月連載しているおかげで、毎月送っていただくので、楽しみに『PHP』誌を拝読しています。
「談話室」というコーナーに、「エンドウがくれた安らぎ」という話が載っていました。
コロナ禍で昨年の暮れからプランターにエンドウの種を蒔いたのだそうです。
最初の頃は芽がでてきても、コロナ禍で気が沈んでいるせいか、あまり喜べなかったそうです。
しかし、支柱を立て、風よけの囲いを作り、世話をするうちにエンドウに愛情が芽生えてきたといいます。
ようやく四月になって実がなったそうです。
気持ちが落ち込みやすい時でもエンドウを育てたおかげで、心豊かにやさしくなれた気がすると書かれていました。
こんな記事にもホッとするものです。
八月号の特集は、「苦しくても、つらくても 心の強い人、やさしい人」というテーマなのです。
その特集のなかで、万城目学さんという作家の方が、書かれていました。
万城目さんは、「心が強い」と「やさしい」がひとつの人格の中で並立している人というのは、そう滅多にないのではないかと指摘されています。
でも万城目さんは、ただ一人だけすでに故人となっている方を思い出したと言います。
その人は、周囲の人間へ送る眼差しのやさしさが際立つ、心から尊敬できる人格者だったそうです。
そして、心の強さも兼ね備えていて、仕事もすべてひとりでこなしていたというのです。
ただし、その人は頑固だったとか。
頑固であるゆえに、体調が悪化しても医師の検査も受けようとせず、そのせいで癌の進行が進み帰らぬ人となったらしいのです。
万城目さんは、
「すべての性格は捉え方によって、百八十度、その印象を変える。
判断の冷静さは、ときに性格の冷たさとして捉えられる。
よく気づく洞察力は、ときにおせっかいに。
心の強さは、ときに融通の利かなさに。
やさしさは、ときに優柔不断に。」
という具合になるのです。
これなどは、なるほどその通りで、短所と長所とは裏表のようなものだと思います。
万城目さんは、心の強い人というのは、これは生まれつきの性分で、目指して装ってなれるものではないとして、そのかわり、
「やさしい人にはだれでもなることができる。
自分にやさしくして、その八割くらいの濃度で他人にやさしくする。
すると無理なく持続できるので、まずはやさしさから始めてみましょう。」
と書いてくれていました。
おやさしい作家さんなのだと思いました。
自分にやさしく、その八割くらいで他人にやさしくという言葉がいいなと思ったのでした。
今月号には大村崑さんが載っていました。
なんともう九十歳になるそうです。
しかしながら、そのお写真からみても今も変わらぬ「元気ハツラツ」のご様子です。
記事のタイトルも「百歳まで元気ハツラツ!」「八十六歳から筋トレに夢中になり、今が人生で一番調子がいいんです。」と笑顔の写真と共に写っています。
しかしながら、文章を読むと、大村崑さんという方はたいへんなご苦労をされた方だと分かりました。
「元気ハツラツ」のCMしか存じ上げなかったのですが、深く感銘を受けました。
まだ大村さんが、九歳くらいの頃に、お父さんが腸チフスで突然亡くなったのでした。
長男の大村さんはじめ妹や弟たちは、親戚の家にバラバラに引き取られていったのでした。
十九歳の時に肺結核を患って片方の肺をとってしまったのでした。
お若い頃は、「元気ハツラツ」どころではなかったというのです。
「四十歳までは生きられない」と言われたそうなのです。
それが九十歳になる今も仕事をなさっているのです。
健康管理には人一倍気をつかったと書かれていました。
「まずは睡眠」というのです。7~8時間は必ず寝るそうです。
どんなに大切な打ち上げがあったとしても、まず頭のなかで睡眠時間を計算して、睡眠が足りなくなると思ったら、トイレに行くふりをして帰るそうです。
そうして、付き合いが悪いと言われたそうですが、おかげで酒飲みと賭け事をする友達はいないと書かれていました。
それから食事は若い頃から一日二食、朝昼兼用のブランチと夕食だそうです。
そして、三年程前から筋トレに夢中になっているそうなのです。
「歳をとっても筋肉は鍛えられる」ということは本当だと書かれています。
このどれもが健康にとって大事なことだと思いました。
まずは睡眠です。そして食べ過ぎないこと、少食です。それから幾つになっても動くのは筋肉ですからトレーニングは大切であります。
そうして、若い頃は弱かった大村さんですが、今もお元気なのです。
これまた、若い日には過酷な環境だったようですが、主体性を失わずに生きてこられた、「随処に主と作る」生き方だと思いました。
そんな話に感動して、若い修行僧たちにも伝えようと思って話をしたのですが、二十代の若者たちは、誰も大村崑さんを知らないのでした。
「元気ハツラツ」といっても全くピンとこない様子でした。
残念。
横田南嶺