坐禅の準備運動
授業ということにはなっていますが、そんな大それたものではなく、つまらぬ話であります。
先日は、講義の前の晩に京都に泊まりましたので、その時間を利用して、花園禅塾の学生さんたちに、坐禅の準備運動について講習させていただきました。
花園禅塾は、妙心寺のすぐ隣りにあり、花園大学にも歩いてゆける距離であります。
主に花園大学に通う学生さんたちが、修行道場に準じた生活をしているところです。
みなそれぞれ、大学を卒業したら、修行道場に入って雲水修行をするのです。
その前の段階として、基礎を学んでいるところであります。
昔の場合ですと、それぞれのお寺で、お経を習ったり、禅寺の作法などを身につけていたのでした。
或いは、地方の大きなお寺で小僧生活を送って、朝早く起きてお経をあげ、掃除をして、交代で料理をするなど禅寺の暮らしの基礎を身につけて、集団生活にも慣れてから、修行道場に入門したものでした。
ただいまは、そういう基礎の教育が欠けているという問題がありますので、大本山妙心寺で、花園禅塾というのを作ってくれているのです。
禅塾には、塾頭さんという、学生さん達を指導する和尚さんがいらっしゃって、他に数名指導員という若い和尚様方が、学生さんたちの面倒をみておられます。
毎朝、朝課というお勤めをして、坐禅をして、日中に大学の授業に出て、夜はまた坐禅するという日課を送っているのです。
塾生さん達は、そこで二年の禅塾生活を送るのであります。
現在二十数名の学生さんが修行に励んでいます。
妙心寺の禅塾なのですが、妙心寺派でなくても、他の派の子弟も受け入れてくれますので、有り難いのであります。
この春からは、私もよく存じ上げている円覚寺派のお弟子さんもお世話になっているのです。
禅塾で基礎を身につけてから修行道場に来てくれると、集団生活にも慣れていて、いろんな行儀作法も身についていますので、指導する側は随分と助かります。
今も円覚寺の修行道場にも禅塾を卒業した者が、何名かおります。
昨年の暮れにも、大学の講義の前の晩に、布薩について講習したことがありました。
今回は、坐禅の準備運動について。実習をさせていただきました。
はじめにいくつかの森信三先生の言葉を紹介しまいた。
森信三先生は、腰骨を立てることを大事に説かれました。
「私は今、人から「子供の教育上なにが一番大事かと」と問われたら、一瞬の遅疑もなく「それは常に腰骨を立てる人間にすることです」と答えます。」
と仰っているほどなのです。
あるいは、「もししっかりした人間になろうと思ったら、先ず二六時中腰骨をシャンと立てることです。心というものは目に見えないから、まず見える体の上で押さえてかからねばならぬのです。したがって正しい心を整えるには、先ずからだを正し、次いで物を調える事から始めてゆかねばならぬのです。」
と仰せになり、
または、「腰骨を立てることはエネルギーの不尽の源泉を貯えることである。」とも示されています。
坐禅もまさに然りです。
腰を立てることこそ、坐禅の要であります。
塾生さん達にまず伝えたかったのは、坐禅というと、手を組み足を組んでジッと動かずに我慢していることだと思っている場合が多いと思いますが、大事なの腰骨を立てることだということです。
腰骨を立てていると、身体が最も調い、呼吸も自然と落ち着いて、一番安楽な姿勢なのだということです。
決してただ我慢していることではないのです。
むしろ、腰が立っている、その喜びの中にたたずんでいることなのです。
ただそれだけの腰を立てるということなのですが、容易ではないのです。
私も四十数年来ずっと探求し続けていますと伝えました。
そして腰骨を立てるということは、単なる姿勢のことだけでなく、森先生が、「腰骨を立てることによって、われわれ人間は、自らの主体性を確立しうると共に、さらにその持続的実践力の根源たる意志力を鍛錬しうるのである。」
と仰っているように、まず主体性が確立されるのです。
いくら言葉で主体性を保ちましょうと言ったとしても、腰が立っていないとどうにもなりません。
よし、起ち上がるぞという気迫が腰を立てることになるのです。
そんなことを伝えてから、坐禅の準備運動を教えました。
坐禅をしましょうというと、すぐそのまま足を股の上に上げて手を組んで坐ります。
慣れている人はそれでいいのですが、現代の暮らしを二十年近く行ってきている今の学生さん達は、足首も膝も股関節もとても固くなっていることが多いのです。
そこでそのままで坐禅の結跏趺坐という姿勢をとるのは、とても苦痛となってしまいがちです。
野球の選手にしてもいきなりバッターボックスに立ってバットを振るのではなく、その前に入念に準備運動をしています。
坐禅も準備運動が大切であります。
安楽に坐れる身体を作ることが大事なのだと思います。
この頃は、円覚寺の僧堂でも坐る前に準備運動にも力を入れるようにしています。
坐れる身体を作るのです。
それには関節を柔らかくほぐすことが肝要です。
足首、膝、股関節、肩甲骨などを一つ一つ入念にほぐすことと、私自身も修行道場の先輩から教わった真っ向法という体操を教えてあげました。
そうして、足を股の上にのせるという坐り方が苦痛でないようにしないと坐禅が単なる我慢大会になってしまいます。
柔軟にする体操を教えているときにも、決して痛いと感じるまではやらないように指導しました。
痛いと固くなります。
準備運動では、三つのことを大切してくださいと伝えました。
まず、吐く息に合わせて行うこと、反動を用いないこと、痛いと感じるまではやらずに、痛いの手前、痛気持ちいいという程度にして、むしろ心地よい感覚を味わうように指導しました。
私自身、どうしたらよく坐れるか、長年研究してきたことの一端を伝えたのでありました。
ほんの四十分ほどでありましたが、塾生さん達はみな元気で、動作もまた、普段の指導が行き届いているので、実にキビキビしていて清々しく、私の方がスッキリ爽やかになることができました。
そうして、少しでも坐禅を楽しむようになってもらえたらと願ってやまないのです。
しっかり準備運動をして腰を立てて坐れば、坐禅は安楽の法門なのです。
横田南嶺