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臨済宗大本山 円覚寺

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2021.06.25
今日の言葉

生きていることに感謝を

毎日新聞の二十一日朝刊の投書に、十三歳の方の文章が載っていて感銘を受けました。

『「幸せ」に感謝したい』という題であります。

「『幸せ』って何だろう。」という一文から始まっています。

そして、

「私は、いつもと変わらない外の景色を見ると、幸せな気持ちになる。

きれいで透き通った空と雲の、青色と白色の景色がたまらなく好きだ。

でも、こんなちっぽけな幸せでも、当たり前だと思ってはいけないと思う。」

当たり前にある景色を見て、幸せだと思う、その心に感銘を受けました。

素晴らしい感性であります。

その方は、更に

「『あなたは幸せですか』。

そう聞かれた時、日本人の半分以上は「いいえ」と答えるらしい。

それはきっと、自分が今生きているだけでどれほど幸せか、に気づいていないからだと思う。」

というのであります。

今生きていられるだけで、どれだけたいへんなことなのか、考えてみることが大切であります。

同じ日の毎日新聞の余録には、

高橋竹山さんの話が載っています。

「郷愁を誘う津軽三味線の音色は、聴く者の胸を締めつける。

各地を旅してその音色を広めたのが初代・高橋竹山(ちくざん)である。

18日に生誕111年を迎えた。

幼くして視力を失う。

小学校に入るといじめられ、学校に行かなくなる。

食べていくためつらい稽古(けいこ)に耐え、三味線を覚えた。

家の軒先で演奏してお米やお金をもらう旅に出た。」

というのであります。

これは、「門付(かどづ)け」と呼ばれたのでした。

「門付けのため竹山は北海道へ渡る。

記録映画「津軽のカマリ」によれば、寒さと飢えの中で手を差し伸べてくれたのは、自分と同じように貧しい朝鮮の人だった。

以来、感謝の気持ちを表し「アリラン」を弾くようになる。虐げられた人の悲しみと怒りを深く知り、それをバチに込めた。」

というのです。

同じ日本人には冷たくあしらわれ、苦労していた朝鮮の人たちが親切にしてくれたという話は、読んだことがありました。

考えさせられたものでした。

余録では更に、

「戦後76年。

唯一の地上戦を経験した沖縄は23日に慰霊の日を迎える。

竹山は初めて訪れた時、島民の深い傷に触れ、演奏会で何分間も言葉を発することができなかったという。

島人(しまんちゅ)の心に津軽三味線の音色はどう響いただろう。」

という一文で結ばれています。

ご自身が辛い目に幾度も遭ってこられているので、筆舌に尽くしがたい苦しみを経験した沖縄の人たちを思うと、言葉が出なくなったのでしょう。

六月二十三日は、沖縄の慰霊の日であります。

この日は、現地の司令官だっだ牛島満中将が自決したとされる日で、沖縄県は、この日を日本軍による組織的戦闘が終結した日と捉え、平和を考える日としているのであります。

沖縄の戦没者は約二十万人と言われています。

忘れてはならないことであります。

東京大空襲の三月十日、広島原爆の八月六日、長崎原爆の八月九日、そして終戦記念日の八月十五日、どれも忘れてはならない日であります。

私などは、もはや直接その時のことを経験していないのですが、本で読んだり話を聴いたりしています。

そんな事を思えば、今生きていることは実に有り難いことなのです。

生きているということは、実に生かされていることであります。

戦争という特別の状況でなくても、この平和の時代にあっても死は避けられません。

何気なく生きている今日という日は、亡くなった方にとってはかけがえのない一日であります。

もう何年も前になりますが、ある方から手紙をいただきました。
その方は、まだお若かったのですが、がんになって、辛い闘病生活を送っていました。
そんなの中で、病気を治すには体の治療だけでなく心も治さなければ、と思い立って、私の本を読むようになったのでした。

『いろはにほへと』という本に、「坐禅の要領は、ほんの一時でも過ぎたことは気にしない、これから起こることも気にしない、この二つ」という一文を読んだのでした。

ともすれば既に手術で失った体の一部を思い煩い、これから先の不安にとらわれがちだったのを、いま現在をしっかり生きよう、こうして生きていることに感謝しよう、と思い直すことができたというのでした。

「自分はお坊様のようにお寺で修行はできないけど、病気とともに日常生活の中で生きている感謝、生かされている感謝を学ぶために、自分なりの修行をしたい」という手紙をいただいたのでした。

私は「いま置かれている状況の中で、毎日の日常の生活の中で、感謝をもって生きることこそ最大の修行です」と返事したことでありました。

その方も残念ながらお亡くなりになってしまいました。

投書を書かれた方は、

「どんなにつらく苦しいことがあって、たとえ死にたいと思ったとしても、一つでも楽しさや幸せが見つかれば、人は「絶対生きたい」と考えるのではないだろうか。
それには多くの困難を乗り越える、勇気と覚悟が大切なのかもしれない。」

と書かれていました。

そして最後に、

「大切なのは、自分の幸せに感謝することだと思う。
誰よりも幸せだと思える人生を目指して、頑張っていきたい。」
と結んでいました。

幸せとは、今生きていることにほかなりません。

今生きていることに感謝をする、忘れてはならないことであります。


 
横田南嶺

生きていることに感謝を

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