繊細すぎる人
オビには、
「信頼できる医師による専門的なアプローチが、感じやすく、傷つきやすい人の心を救う」「落ち込む」「クヨクヨする」「傷つく」「悩む」「疲れる」「他人の目や言動が「気になりすぎる」と思ったら?」
と書かれています。
直筆のお手紙を添えてくださっていて、有り難いのであります。
なんと海原先生のご友人の臨床心理士の方が、私のYouTubeチャンネルを見てくださっているとかで、これまた嬉しく感謝する次第なのであります。
手紙の末尾には、「しいちゃんもお元気でしょうか?」と書いて下さっています。
「しいちゃん」とは、寺にいる猫の名前なのであります。
この猫は、かつて、海原先生の著書『こんなふうに生きればいいにゃん』にも写真で登場しているのであります。
私が、海原先生が連載されている毎日新聞日曜くらぶの「新・心のサプリ」を読んで感銘を受けて、夏期講座の講師にお願いしたのでした。
今からもう五年前になります。
そんなご縁で、海原先生の関わっておられた日本肺癌学会で講演をさせてもらったことがありました。
死生観について話をして欲しいと頼まれたのでした。
お医者さん達が集まって肺癌について研究している学会に、お坊さんが一人、死について語るのですから、不思議な思いでありました。
私は、満二歳の時に祖父が肺癌で亡くなって、それから死について考えるようになり、坐禅するようになったのでした。
死について疑問を抱いて、満十歳の頃から坐禅を始めて今に到るまで坐禅しているという、私の人生はそれだけなのです。
死について考えて坐禅するというような生き方をして来ましたので、変わり者扱いされてきました。
それは当然だと思います。
そんな変わり者と思われてきましたので、私自身は、いたって鈍感というのか、周りにどう見られているのか、そんなに気にすることは少ないのです。
気にしていたならば、中学高校時代にお寺に通って坐禅など出来るものではありません。
海原先生との出逢いのきっかけは、毎日新聞のコラム記事で「イチゴジャムの味」という話を読んで感銘を受けたことからでした。
海原先生が、ある方からいただくイチゴジャムは格別においしいという話です。
その方からいただくジャムは、他でいただくものとは違うというのです。
何人かの仲間もそう感じていて、いったいどんなレシピなんだろうかという話題になったそうです。
きっとなにか特別な砂糖でも使っているにちがいないなど話していたのでした。
そこで、あるときに直接本人に確認したのだそうです。
そうしましたら、いや何にも特別な砂糖も使ってはいない、どこのスーパーにでも売っている普通のお砂糖だよと言われたという話です。
なにがこんなに味が違うのでしょうか。
その方というのは、実は末期の癌患者だそうで、かつてのお仕事をやめて今は自宅でできる仕事をなさりながら毎年イチゴジャムを作っているのだそうです。
結局海原先生は、やはりそのイチゴジャムは心をこめているのではないかという話でした。
末期の癌の患者ですから、明るく振る舞っていらっしゃってももしかしたら来年のジャムは作れないかも知れない。
これが最後かもしれないと思って、今こうしてジャムを作って食べてもらう方に喜んでもらいたい、そんな気持ちが一層おいしい味を作り出しているのかも知れません。
こういう話に感動して、夏期講座の講師をお願いしたのでした。
控え室でそんなことを申し上げました。
そして、その肺癌学会の講演に出掛けた時の事、控え室で海原先生が待っていてくれていました。
その講演会の不安なことは、かつてない経験です。
なにせ皆さんは少しでも長く生きてもらおうと願って肺癌の研究をなさっている先生方の会です。
その中で、お坊さんが法衣を着てゆくのですから、これほどやりにくいことはありません。
この時でした、「アウェー」というのは、こういうことを言うのだと合点したのは。
そんな中、会場になっていた横浜の大きなホテルの中を右往左往しながら、控え室にたどりついて、海原先生のお顔を見た時にはホッとしたものでした。
そして、控え室で、小さな袋を下さいました。
どうぞお召し上がり下さいと言って海原先生が渡してくれました。
何だろうかと思っていると、海原先生が、あのイチゴジャムです、あの方は今もイチゴジャムを作っているのですと言って下さったのでした。
私が控え室で、イチゴジャムの記事に感銘を受けたと申し上げたことを覚えていてくださってのお心遣いでありました。
その肺癌学会の講演は今も忘れられません。
祖父が肺癌で亡くなって、それから死の問題について考え続けて、ちょうど五十年になる年でした。
死について考えているといっても、ずっと誰に相手にされずに、「変わり者」扱いされてきたのが、五十年一つのことを貫いていると、こういう学会で死について講演が出来るようになるのです。
死についてなど、誰が聞きに来るのかと思っていましたが、お若い看護師さんなどをはじめ会場は満席で立ち見も出るほどでありました。
そこで、
「虚空(そら)にあるも 海にあるも はた山間(やまはざ)の窟(あな)に入るも およそこの世に 死の力の およびえぬところはあらず」という『法句経』一二八番の詩を用いて話を始めたのでした。
人は誰しも死を逃れることはできません。
しかしながら、それにも拘わらず、人は皆、死を見つめようとはしていません。
できれば死を忘れて暮らしたいと思っています。
そうして日常から死を遠ざけて暮らしているように思われます。
実に死は、現代社会において忌み嫌われていると言うことができます。
なぜならば、一般に、死は「喪失」すなわち失うことだと思われているからです。
たしかに死によって私たちは健康な肉体を失います。
人生において与えられた時間も、社会における存在意義も、様々な体験も、手に入れたものすべて、貯めたお金や家財産など、家族、友人や恋人、地位名誉などを「喪失」してしまうものであります。
また生命を一日でも長く生かすことを考える医療において、死は「敗北」と認識されているところが今もあろうかと推察します。
今ではかなり新しい見方もでてきてはいますが、それでも日々生命を生かすことが大前提であることに変わりはないでしょう。
しかし、もしも死が「喪失」や「敗北」でしかないとしたならば、人生は「喪失」と「敗北」に向かって確実に進んでいっているのです。
そのような見方だけでは、人生は実に空しいものとなってしまいます。
私は、今から五十年前、まだ二歳の時に祖父を肺癌で亡くしました。
まだ二歳でしたが、人の死を身近に体験しました。
という事から話し始めて、死は決して喪失でも敗北でもないこと、大いなる命の世界に帰ってゆくことなのだとお話をしたのでした。
祖父の五十回忌の年に、祖父の死をもとにこんな話をできたのは、祖父へのささやかな供養になったのかと思ったものでした。
その話が良かったのかどうか、後には世界肺癌学会でも講演をさせてもらうことにもなったのでした。
海原先生とのご縁をありがたく感謝するのであります。
この秋の十月三十日に、海原先生も関わっておられる日本ポジティブサイコロジー医学会学術集会でも講演させていただく予定であります。
これは一般の方でも参加できる画期的な医学会とのことで、海原先生からも「是非紹介してください」と頼まれています。
ご関心のある方は是非どうぞ。
横田南嶺