YouTubeが本になった -『盤珪語録』を読む –
主に第一日曜、第三日曜に行ってきていました。
昨年の三月以来、新型コロナウイルス感染症拡大によって、休会となりました。
そこで、オンラインで講義をするようにしてきました。
『盤珪禅師語録』という書物を講義してきたのでした。
その前は、黄檗禅師の『伝心法要』を読んできました。
『伝心法要』を一通り講じ終える頃になって、次にどの講本を提唱しようかと考えました。
ふと、この『伝心法要』に説かれたことに極めて近い内容の語録が、日本にあったことに思い到りました。
それが『盤珪禅師語録』であります。
そこで、『伝心法要』を講じた後に、一般の方々向けに、『盤珪禅師語録』を提唱し始めました。
只今の臨済宗の坐禅の修行は、公案を工夫することを主眼としています。
公案というのは、もともとは「公府の案牘」と言って、公の法則条文のことを言いました。
それが私情を容れずに遵守すべき絶対性を意味する言葉として用いられました。
唐代の禅僧方の自由自在な心境に、どのようにしたら到ることができるのか、色々と工夫したのだと思います。
そして宋代になってくると、唐代の禅僧の言葉を「公案」として工夫参究するようになっていったのでした。
そして唐の時代から宋の時代になって、公案を参究する禅が主流になってまいります。公案禅と言われますが、その中でも「看話禅」と言われるものです。
それは、ひたすら古則公案に全神経を集中させて、開悟の体験をさせるものであります。
現今の修行道場で行われているのは、看話禅が主体であります。
『無門関』や『碧巌録』にある一則の公案にひたすら意識を集中させるのです。
その公案について、師家と問答をする修行を「独参」と言います。
円覚寺に坐禅しに見える方は多いのですが、公案に参じて独参までする方は限られています。
多くの方は、独参まではしません。
そこで、公案を参究するための看話禅の講本よりも、公案を用いない盤珪禅師の語録がいいのではないかと思ったのでした。
この盤珪禅師という方は、公案修行を重んじる臨済禅の世界にあって、なんとその公案を否定されたのでした。
「身どもが所で、そのような古ほうぐのせんぎはいたさぬ」と言われたのでした。
また、坐禅中に眠る僧がいて、それを叩く僧がいると、眠った僧ではなくて、叩いた方の僧を叱ったのでした。
眠れば仏心で眠り、覚めたら仏心で覚めるだけのことで、仏心が別のものになるということはないというのです。
今では、坐禅の定番となっている警策も否定されたのでした。
盤珪禅師は「只仏心で寝、只仏心で起き、只仏心で住して居るぶんで、平生、行住坐臥活き仏ではたらき居て別に子細はござらぬわひの」と説かれました。
しかも坐禅中に、途中で用事があれば立ってもかまわないし、坐っていても、経行といって歩いていてもかまわないというのですから、今日の修行道場の坐禅とは随分と異なります。
盤珪禅師は、元和八年(一六二二)三月八日に、播州揖西郡浜田郷に生まれています。現在の兵庫県姫路市網干区浜田であります。
盤珪禅師が十一歳の時に父が亡くなりました。
もともと死に対して深く感じる盤珪禅師のことですので、大きな衝撃であったろうと察します。
十二歳の時に、郷塾で『大学』の講義を受けました。
その時に、「大学の道は明徳を明らかにするに在り」の一句を聞いて、「明徳とは何か」大きな疑問を抱きました。
塾の先生に聞くと、「性善のことだ」と言われました。
では「性」とは何かと尋ねると、「人の本性なり」とか「天の理である」といった答えが返ってきました。
それでは言葉を置き換えただけで、盤珪禅師には納得がゆきませんでした。
この時の疑問が、生涯をかけて貫く大問題になったのでした。
それからは、何とかしてこの「明徳」を明らかにして、年老いた母にも知らせてあげたいと思って、「色々あがきまわった」のでした。
独自の修行を続けて、最後にはもう死ぬしかないというところまで身心共に追い詰めて、二十六歳のある時にふと、すべては「不生」で調うことに気がついたのでした。
不生とは、駒澤大学の小川隆先生がそのご著書『禅思想史講義』の中で、「後天的に新たに生み出されたものではなく、もともと具わっているもの」であると解説してくださっています。
「不生の仏心」というのは、本来具わっている仏の心なのです。
親が産みつけてくれたのは、仏心ひとつだとやさしい言葉で説いて下さったのでした。
それまでの禅の修行は、やはり公案が中心ですので、漢文で説かれていました。
漢文の語録というのが禅の一番大切なものとされてきました。
そうした中で、江戸時代の盤珪禅師が、ようやく日本の言葉で説かれるようになりました。
盤珪禅師は、日本には日本の言葉があり、それで十分説いて示すことができる、というお考えでした。
それで当時の日常の言葉で語ってくださったのです。
確かに、『碧巌録』などの書物は、漢文で特に難しく、読む者を寄せ付けない厳しさがあります。
その厳しさに挑み続けるというのが禅の醍醐味だと私は思っていたのですが、それとはまた異なる世界もあると知ったのでした。
やさしい盤珪禅師の「~わいの」、「ござるわいの」とくり返される言葉を、講義していると、私もその穏やかな空気の中に身を委ねて、語る安らかさを感じるようになってきたのでした。
盤珪禅師の語録は、今の人たちの心に響くものがあるのではと思ったのでした。
ところが、昨年以来この坐禅会はできなくなってしまい、やむなくオンラインで配信することにしました。
すでに途中まで講義していたのですが、はじめて聞く方もいるだろうと思って、最初から講義してきました。
それが一年分ほどたまったところで、春秋社が一冊の本にまとめてくれたのでした。
なんとYouTube講義が一冊の本になったのです。
講義だけでは物足りないので、巻頭に私が少々盤珪禅師の経歴や盤珪禅師について思うことを書かせてもらいました。
それから、盤珪禅師は公案を否定したと言われますが、実際には用いていたこともあったことを、龍雲寺の細川晋輔老師が研究されていましたので、その論文を特講として掲載させてもらっています。
巻頭にも龍雲寺様に所蔵されている盤珪禅師の円相を掲載させてもらいました。
円相はカバーデザインにも用いられています。
盤珪禅師の円相は二筆で書かれているのが特徴であります。
そんな次第で、YouTubeで語っていた講義が一冊の本にまとまったのです。
『盤珪語録を読む 不生禅とは何か』です。
盤珪禅師の教えを繰り返し聞いていると、何ともいえない安らかな気持ちになってきます。
仏心はもとから具わっているのだから、なにも新たに造り出すものではないのです。
何の造作もなしに仏心のままで安らいでいればいいのです。
母の胸に抱かれるような安心感に満たされます。
自己をそのままでいいと肯定してくれているのです。盤珪禅師の教えは、大いなる自己肯定でもあります。
それに対して看話禅は、自己否定であります。
もちろんのこと、自己否定も大切なのですが、あまりに自己否定だけに偏り過ぎてしまうと、疲弊してしまいます。
自己否定を根底に支えるものとして、自己肯定が必要であると感じています。
大いなる自己肯定に支えられて、自己否定をするのがよろしかろうと思います。
あたかも大相撲の力士が、壊れない土俵があるという安心感の上で全力でぶつかるように、人は皆不生の仏心を具えているのだという信を土台にして、その上で自己否定の看話禅を修めるのが良いと考えます。
今の時代の臨済禅では、白隠禅師ばかりが強調されているのですが、その対極に在るような盤珪禅師の教えを学ぶことにも大きな意義があると思っているのであります。
横田南嶺