「熱心さ」ひとつあればいい
上甲先生は、今年八十歳をお迎えになりますが、その熱意は変わることがありません。
松下政経塾の塾頭などを長年勤められて、今は次世代のリーダーを養成するための「青年塾」を立ち上げて塾長を務めていらっしゃいます。
数年前に、私は、一度是非とも上甲先生の講演を拝聴したいと思って、拝聴したことがありました。
その熱意あふれるご講演に感動したのでした。
いつか円覚寺でも上甲先生に講演をお願いしたいと思っていました。
昨年ご講演を予定していたのですが、昨年は中止になってしまい、ようやく今年上甲先生のお招きすることができたのでした。
例年の夏期講座であれば、何百人もの方々にお集まりいただくのですが、今年は、会場には三宝会員の方々に限らせていただき、またその日は平日だったので、数十名の方々となってしまったのですが、それにも関わらず、実に熱意あふれるご講演をいただきました。
私自身、大きな感動をいただきました。
上甲先生は、このコロナ禍になる以前は全国をご講演に飛び回っておられました。
コロナ禍になってからは、講演活動はほとんど無くなってしまいましたので、家に居ることになりました。
そこで、何をするかで、人間は大きく変わってきます。
上甲先生は、『松下幸之助発言集』全四十五巻を読み直したというのであります。
その気概に驚かされます。
ご自身の志の原点を見直されたのでした。
松下幸之助翁は、八十四歳の時に、やがて「我が国を導く真のリーダーを育成しなければならない」と未来のリーダーを育成する為に松下政経塾を設立したのでした。
塾長は松下幸之助翁自身が務められて、上甲先生が、塾頭として直接指導に当たられたのでした。
それまで上甲先生は、松下電器の販売を担当されていました。
政治のことなどは、全く素人だったそうです。
それが松下幸之助翁から直接政経塾の指導を依頼されたのでした。
上甲先生は松下幸之助翁の依頼ながらもお断りになりました。
政治などに知識も経験もないことを理由にされたのでしたが、松下幸之助翁は、これから新しいことをするには、何も知らない方がよい、知識はなくてもいいのだ、ただ「熱心さ」ひとつあればいいと言われたのでした。
人はこの「熱心さ」に頭が下がるというのです。
上甲先生は、その松下幸之助翁の言葉を実に忠実に貫き通していらっしゃいます。
青年塾を始められてからも、「熱心さ」は変わることがありません。
毎年青年塾を始めるにあたって、ご自身でお決めになっていることがあるそうなのです。
新しい塾生を迎える時に、ワクワクしなくなったら青年塾は閉じる。
塾生と共にいることが嫌になったら塾をやめる。
規則の力を借りなければ秩序が保たれなくなったらやめるというのであります。
この言葉をみても、上甲先生の熱意が伝わってきます。
特に最後の「規則の力を借りなければ秩序が保たれなくなったらやめる」という言葉には、私などは考えさせられます。
修行道場などは、まさに規則で若い修行僧たちをがんじがらめにして秩序を保っているのであります。
元来は、志さえしっかりしていれば、規則などはなくても自然と秩序が保たれるのでしょう。
規則もある程度は必要かと思いますが、規則で縛りつけては、もはやそこに真の志を失われているのではないかと反省させられました。
控え室では、いろんなことも話をさせてもらいました。
私たちの修行の世界では、今修行に来る僧が随分減ってしまっているという問題があります。
円覚寺の僧堂などは、実に小さな道場なのですが、よそに比べるとまだ多く修行僧がいる方らしいのです。
少子化の影響だとは思いますものの、少子化以上に修行僧の数は少なくなっていると感じています。
ひょっとしたら、若い人は、禅の世界に魅力を感じないのかもしれないなどいうことを申し上げました。
すると上甲先生は、あるお寿司屋さんの話をしてくれました。
今調理師学校で一番の人気の職種は何かというと、給食センターに勤めることだそうです。
若い人たちは、挑戦よりも安定を求めているというのでした。
寿司職人などというと、厳しい職人の世界を思い浮かべて誰もやりたがらない、希望者は三百人に一人の絶滅危惧種だというのです。
業界では、一人前の寿司職人になるには、五千貫を握らなければならないらしく、それには八年前後はかかるというのです。
最近の若者はそんなに我慢強くない、今までのような職人の鍛え方では、誰も業界の門を叩かなくなるというのです。
この言葉を聞いて思いだしました。
私も修行時代に、先代の管長から、寿司職人も一人前に寿司を握れるようになるには、十年は修行するのだ、禅宗の坊さんになるには、黙って禅堂に十年坐らなければものにならないと、言われていました。
そのことを上甲先生に申し上げると、そんなことを言っているから若い者はこないと言われました。
ではどうしたらいいのでしょうかと聞くと、上甲先生は、とあるお寿司屋さんの試みを教えてくれました。
その寿司屋さんは、職人的な鍛え方ではなく、若い人に理解しやすいように合理的な方法で八ヶ月で一人前になる道場を開いたというのです。
寿司一握り十八グラムを十分以内に百個握ることに挑戦させるなど、分かりやすい数字を示すことによって、今までの職人の経験と勘に頼る方法を改めたというのでした。
なるほどと、上甲先生のお話を拝聴して頷いたのでしたが、果たして十年かけて身につく坐禅を、うまく数ヶ月で出来るよう指導できるかというと、これまた頭が痛い問題であります。
それにしても、若い修行僧に向かう「熱意」ひとつは、上甲先生に見習わなければならないと自らに言い聞かせたのでした。
横田南嶺