「立腰」と「ハイッありがとうございます」
編集や装丁には、長年小池心叟老師について参禅された田中勉さんが協力してくれたのでした。
これは今でも入手可能な本であります。
ただいまは、『いろはにほへと』1から3までございます。
そのはじめの1を出した頃、その中に、森信三先生の言葉を引用しています。
「人間の本当の値打ち、真価をはかる目安は二つあります。
第一は、その人の全知全能・自分のあらゆる気力能力を一瞬、かつ一点にどれほど集中することができるのかであります。
もう一点は、睡眠を切り詰めても精神の力によってどこまでそれを乗り切ることができるかです。」
という言葉です。
これは今でも十二月の一日から八日まで臘八大摂心を務めるときに、必ずといっていいほど、修行僧たちに伝えている言葉です。
臘八の摂心では、一日から八日まで身体を横にせずに、坐禅に集中しますので、まさにこの言葉の通りだと思って紹介しているのです。
この言葉の後に『いろはにほへと』では、
「これはなんの道においても、どんな仕事においても共通することであります。
我々の臘八の摂心は、自分の真価を試す修行であります。
この摂心を乗り切るために、大切なことは次の三つであります。
腰をたてる。
あごをひきつける
下腹の力・お腹の力を二六時中抜かない。
腰をたててお腹に力をいれることによって、気力が充実します。
下腹の丹田は、気力が湧く田んぼであります。
そこから限りない気力が湧いてきます。
その気力によって自分の全身の能力を一瞬に一点に、そしてこの一呼吸にどこまで集中することができるか?
一週間くらい寝なくても、いかに自分の気力によってそれを乗り切ることができるか?
おのおの自分の真価を試すつもりで、この臘八に臨んでいただきたいと思います」。
と書いています。
この言葉というのは、森信三先生の『森信三一日一語』に掲載されている言葉です。
腰骨を立てアゴを引き常に下腹の力を抜かぬことというのも『一日一語』にある言葉です。
私が、この言葉を引用しているのを知って、『森信三一日一語』を編集された寺田一清先生が、円覚寺まで尋ねてみえたことがありました。
今から九年前になる2012年10月のことでありました。
森先生のご高弟であり、『一日一語』や『修身教授録』など森先生の多くの書籍をまとめられたのが、寺田一清先生であります。
その年の暮れに、人間学を学ぶ月刊『致知』の企画で対談をして、その記事が、『致知』2013年2月号に掲載されました。
それから、2014年から、寺田一清先生の勉強会である人間学塾中之島に出講することになりました。
今年に到るまで八回毎年出講しています。
そして2014年『致知』6月号から、月刊『致知』に「禅語に学ぶ」を連載させてもらっています。
連載は、今も続いており、致知出版社からは、何冊もの本を出させてもらっています。
寺田先生には、2015年の4月に円覚寺にお越しいただいて『修身教授録』の読書会のやりかたを講習していただきました。
それから、今に到るまでずっと円覚寺で修行僧を中心にして、『修身教授録』の読書会を続けています。
『修身教授録』は、森信三先生が教師になる学生のために説かれたものですが、人間として如何に生きるべきか、その叡智を学ぶことができます。
私たち僧侶も、多くの人に道を教える教師の役目になるのですから、大いに参考になるものなのであります。
そんなご縁を作っていただいた一番の恩人が寺田一清先生なのであります。
毎年人間学塾中之島に出講して、寺田先生にお目にかかるのが楽しみでありましたが、近年はご高齢の為に塾にお見えになることはなくなっていました。
その寺田先生が、去る3月31日に94歳でお亡くなりになったのでした。
対談した折りには、
寺田先生は、坂村真民先生から
「弟子たる者は、師の年齢だけでも超えなければなりません」と言われたそうで、
「森先生は九十七歳で亡くなっていますから、私は白寿まで森先生の教えを説き続けようと思い定めております。」と語っておられたのでした。
寺田先生は、岸和田の呉服商の家にお生まれになって、呉服屋を継がれていました。
それが、昭和四十年三十八歳の時に、当時七十歳の森先生に出会ったのでした。
この出会いが、まさしく『一日一語』にある通りの、
「人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える。しかも一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に」という出会いだったのでした。
それ以来寺田先生は森信三先生の教えの実践と、その本の編集と出版に生涯を捧げるようになったのでした。
多くの人の読み継がれている『森信三一日一語』を編集なさった苦労も、対談でうかがいました。
寺田先生は、「私が三十八で森先生に巡り合って以来、先生から学んだことの集大成がこの本」だと語ってくれていたのでした。
対談の時に語って下さった次の言葉も忘れられません。
「最晩年に、二十一世紀の教育で何が一番大事ですかとお尋ねしましたら、森先生は即座に、
「それは君、立腰教育だよ」とおっしゃいました。
私はこれを我が師・森信三の遺訓と受け止め、白寿を迎える時まで語り続けたいと念じております。」
というのでした。
寺田先生が九十歳で作られた和歌を知人から教わりました。
その中にも、
「立腰」の一語にすべて 凝結の
師の面影の 偉大なるかも
立腰の 一事を教え たまひたる
生涯の師の 大恩おもふ
立腰の 三大功徳 問われなば
集中・持続・結実のこと
鳩寿こえ 生涯いのちの 果つるまで
立腰実践 ただひたすらに
なにをもて 師の大恩に 報いんや
「立腰」行持の その種まきを
という和歌がありましたので、腰骨を立てる「立腰」は、最期まで貫き通されたのだと思いました。
また最晩年には、「ハイッありがとうございます」という言葉を大切になさっていることが分かりました。
九十歳の和歌にも、
ひたすらに「ハイッありがとうございます」
あかるくすなほかんしゃの道を
ことごとに「ハイッありがとうございます」
内に唱えて 我の念仏
なにがあっても、わが身に起こることは、森信三先生は、
「逆境は、神の恩寵的試練なり。」
「絶対不可避なる事は絶対必然にして、これ「天意」と心得べし。」と仰せになっているのです。
晩年の寺田先生は、どんなことも「ハイッありがとうございます」と素直に受け入れておられたのだと思いました。
私もご恩に報いる為に、坐禅を通じて、腰を立てることをこれからも多くに人に伝えて、そして何事も「ハイッありがとうございます」と素直に受け入れられるように、修養を重ねてゆこうと思っています。
横田南嶺