手間をかける
不便の効用を活かすということであります。
私たちの今の暮らしは、少しでも便利で豊かな社会を実現しようとして努力してきた結果であります。
この数十年で、随分便利になったのだと思います。
子どもの頃、私の生家は、鉄工業を営んでいましたので、図面や見積書などを、工場に届けるお手伝いをしたものでした。
それがやがてファックスという便利なものができて届けなくてもいいようになりました。
更にパソコン、メールで一層便利になっています。
円覚寺にいますと、土曜や日曜日の観光客の多い時には、北鎌倉の駅で切符を買うのがたいへんでした。
長い行列になっていたのでした。
それが、オレンジカードが出来て楽になり、更にスイカという便利なものが出来て、小銭を出す必要もなくなりました。
しかし、本当に便利でいいのだろうかと考えさせられることもあります。
通学の道を自転車やバイクを使わずに歩いてみると、途中にあるいろんなお店に気がつきます。
川上先生は、新聞の話をしてくれていました。
新聞を配達してもらうと楽で便利ですが、つい読まずに積んでおいてしまうことがあります。
それを敢えて手間と時間をかけて、コンビニに行って小銭を払って新聞を買ってくると、これは必ず読むようになるというのです。
なるほどその通りだなと思ったことでした。
かつてのフィルム式のカメラだと、それこそフィルムを大事にして、一写入魂の気持ちで撮ったというのです。
今は、いくらでも撮れますので、とりあえず撮っておこうという気持ちになります。
たくさん保存できるのですが、保存して安心してしまい、あと見返すことがなくなるという話でした。
私は写真を撮りませんが、なるほどそうだろうなと思います。
便利ばかりがいいわけではない、少し不便で手間と時間がかかるのがいいという発想であります。
便利といえば、なんといってもメールやSNSでしょう。
メールは、私などもで、原稿の校正などには用います。
本を書いたり、雑誌に連載したりする原稿は、メールで送られてきます。
それを校正して送り返せば、その日のうちに済むのです。
これを郵便で原稿を送って、手元に届いたのを校正してまた郵便で送り返すと数日かかるものです。
これは致し方無く、その便利さにあやかっています。
しかしながら、手紙を書くことも私は大事にしています。
原稿の校正や、日程の調整などには、メールを用いますものの、やはりお礼状などは手紙を書くようにしています。
いただいた手紙には出来る限りですが、返事を書くようにしています。
これはメールのように手軽ではありませんし、日数がかかりますが、やはりその分いいものがあるものです。
私の場合は、筆で書きますので、墨を摺って書いて、乾かして封をして糊付けして、切手を貼って、ポストに入れるという手間がかかります。
でもその分いいものがあるものです。
先日ハガキ道の坂田道信先生と対談する機会をいただきました。
坂田先生のことはかねて存じ上げており、ご挨拶もしたことがあるのですが、対談は初めてでした。
坂田先生は、広島県で農業をなさっている方ですが、三十一歳の時に森信三先生にめぐり合ってハガキを書くことを教わりました。
私が坂田先生にお目にかかってまず印象に残ったのは、お声が大きくて澄んでいらっしゃることでありました。
ああ、この方はなんて正直な方なのだと思いました。
森先生にハガキを書くように言われたけれども、漢字を知らないので、一枚のハガキに最低三字は漢字を入れるように辞書を引きながら書いたというのでした。
コツコツハガキを書き続けて、ご縁は全国に広がって、多い時には年賀状が二万通来たのだと話してくださいました。
そんな農業をなさっていた方が、どうして教育者である森信三先生にめぐり合ったのですかと伺うと、福岡正信先生の話を聞こうとして出逢ったのだということでした。
昭和四十年に森信三先生の研修会が松山で開催されて、そこに福岡正信先生が講師のお一人だったというのでした。
福岡先生は、『自然農法・わら一本の革命』という著書があり、自然農法を提唱した農学者であります。
そのほかの講師はというと、坂村真民先生に大山澄太先生だったというお話でありました。
森先生をはじめ錚々たる講師陣であります。
その時に森先生に出逢い、また徳永康起先生に出逢うのでした。
複写ハガキといって、カーボン紙をはさんでハガキを書いて、先方に書いたハガキの文章がこちらにも残るというものです。
森先生も常にハガキを書いて出すように心がけておられたと寺田一清先生から教わりました。
『森信三一日一語』にも
「ハガキの活用度のいかんによって、その人の生活の充実さ加減が測定できるといえよう」
「ハガキを最上の武器として活用しうる人間にー
かくしてハガキ活用の達人たるべし」
「たった一枚のハガキで、しかもたった一言のコトバで、人を慰めたり励ましたり出来るとしたら、世にこれほど意義のあることは少ないであろう。」
という言葉もございます。
坂田先生の『ハガキ道に生きる』という本には、ハガキの効用がたくさん説かれています。
メールも使わざるを得ない今の時代ですが、手書きのハガキも大切にしたいものだと思いました。
対談が終わって、寺に帰って、早速複写ハガキのお礼状を書いて、翌朝ポストに投函しました。
するとなんとその日に坂田先生からお礼のハガキが届いて恐れ入りました。
対談した次の日にハガキが届いたのですから、対談してすぐに書いて投函されたのでしょうか。
対談は夕刻に終わったのに、です。
さすがはハガキ道の方だと脱帽した次第でした。
これからは、手間を省き便利を求めるだけでなく、手間をかける不便益も大切にしたいと思います。
坂田先生は、『ハガキ道の人生』の中で、
「実業の人たちの多くは、商売とは手を抜くことだ無意識のうちに勉強してきたようですが、手をかけたところにこそ幸せがあるのです。」
と書かれています。
そう思いつつ、今年も自分で梅干しを漬けていました。
梅干しもまた手間のかかるものですが、これがやめられないのであります。
横田南嶺